■節子への挽歌1607:半脳も削がれてしまっているようです
節子
いろいろと新しいことを始めすぎてしまい、いささか混乱しています。
一時は少し整理された自宅のデスクも書類が山積みです。
読まなければいけない資料や手紙も、いまや限界を超えてきています。
その上、最近はややこしい問題が多発し、人嫌いになりそうです。
まあ、節子がいた頃も、時々、こういう状況になってしまい、節子にSOSを求めたこともありました。
しかし、今はすべてを自分で消化しなければいけません。
そのため、挽歌も時評も書けない日が増えてきています。
今年になって脳の本を何冊か読んでいるのですが、そのどこかにたぶん書かれていたことですが、人間の脳は「個人」単位では完結していないようです。
そのことは実感として納得できます。
節子がいた時には、私の思考世界はもう少し広かったように思います。
つまり節子の脳も活用していたということです。
考えることがもっと楽しかったような気がします。
あまり論理的には説明できませんが、感覚的にはそんな気がするのです。
太い関係性を持った人の脳とは思考を分かち合えるわけです。
なかなかわかってはもらえないでしょうが。
ともかく最近はいささかパンクしているのです。
半身削がれただけではなく、半脳も削がれてしまっているようです。
さてさて、どうやってバランスを回復するか。
明日から大阪ですが、新幹線の中で少し考えましょう。
挽歌も挽回しようと思います。
| 固定リンク
「妻への挽歌09」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1800:ささやかな日常の営みこそ輝いていた(2012.08.11)
- ■節子への挽歌1799:お人好し(2012.08.11)
- ■節子への挽歌1798:危うく熱中症?(2012.08.10)
- ■節子への挽歌1797:死んでいるのに、生きている(2012.08.10)
コメント