■「信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者」
君が代訴訟の最高裁判決が出ました。
処分への歯止めとなる内容と言われますが、私には違和感の残る判決です。
大阪市の橋下市長が、これによって少し動きを変えたのは歓迎できますが。
新聞で報道された判決要旨では、桜井裁判官の補足意見に共感できるものがあります。
次のような意見には「人間」を感じます。
不起立行為は、行為者の歴史観に起因してやむを得ず行うもので、式の妨害が目的ではない。保護者の一部に違和感、不快感を持つ者がいても、教育活動、株序維持に大きく影響している事実は認められない。私は、日の丸も君が代も受け容れています。
処分対象者は、自らの歴史観との葛藤を経て、信条と尊厳を守るためにやむを得ず不起立を繰り返すことを選択した。信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者がいることが推測できる。
国歌斉唱には声を出して歌いますし、日の丸も嫌いではありません。
しかし、もし強制的に歌えといわれ、国家を祝祭日に掲げよといわれたら、たぶん従わないでしょう。
しかし、学校の行事で、教師がどうして君が代が歌えないのか、国旗の前で立ち上がれないのかという思いもないわけではありませんでした。
矛盾があったわけです。
私が、桜井さんの意見にある「行為者の歴史観」が、抽象的な理屈ではないことを知ったのは恥ずかしいことながら8年ほど前です。
ある方の文章を読んで、それを知りました。
それについては、ホームページ(CWSコモンズ)に書きました。
歴史観は、理屈ではなく、体験知なのだと気づきました。
それを否定することは、その人の人生をないがしろにすることなのです。
それがわからない人には、教育などできようはずがない、と気づいたのです。
「信条に忠実であるほど心理的に追い込まれている者」という表現にも共感できます。
そこに感ずるのは、誠実な人柄です。
もし私が親であれば、そうした教師に子どもを預けたいです。
しかし最近の多くの親はどうもそうではないようです。
それが不思議でなりません。
信条は、人さまざまでしょう。
しかし信条をしっかり持った人は、自らとは異なる信条を持った他者を理解できるはずです。
信条と無縁な小賢しい者どもが、信条を持つ者を抹殺しようとする動きには抗いたいものです。
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