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2012/01/02

■節子への挽歌1583:「一人」という言葉

節子
昨年の元日の新聞には「無縁社会」とか「孤族」とかいう言葉が目立ちました。
しかし、今年の元日の新聞は、むしろ「縁」とか「絆」という言葉が目立ちます。
こうした世論の風潮にはとてもついていけません。
たぶんいずれの言葉も、使っているのは同じ種類の人なのでしょう。
言葉だけで生きているから、すぐ乗り移れるのです。

年末にある人から「生まれて初めて一人で年を越します」と言うコメントがありました。
心に深く突き刺さる言葉です。
その言葉が頭から離れません。
しかも、元日の夜にテレビで録画していた東野圭吾のドラマ「赤い指」を観たら、そこにもまた「一人で旅立つ」話が出てきたのです。

「一人」
これまではあまり考えたことがありませんでした。
人は所詮、一人で生まれ、一人で死ぬものだという言葉にも反発を感じていました。
人はいついかなる場合にも「一人」ではないというのが、私の考えだからです。

「赤い指」は、いろいろと考えさせられる内容のドラマです。
ドラマの謎解きの鍵とも重なっているのですが、死を直前に迎えた父親を主人公は見舞いにも行きません。
なぜ行かないのかと従弟から責められます。
結局、父親を看取るのは従弟なのですが、息を引き取った父親を前に、主人公は語るのです。
父は仕事ばかりしていて母と離婚、その後、母は誰にも看取られることなく一人で死んでしまった。
父は、その母の思いを自分でも背負うために、息子にも看取られずに一人で寂しく死ぬことを望んでいたのだ、と。
娘と一緒のこのドラマを観ていたのですが、私は涙があふれてしまいました。
父親の思いが痛いほどわかりますし、彼がどれほど別れた妻を愛していたかもわかります。
妻を孤独死させたのであれば、自らもそれを味わうことで、妻に近づける。
安易な解決策と思う人もいるでしょうが、私には素直に受け容れられます。

ところで、主人公の父親は「一人」で闘病し、「一人」で死んだのか。
決してそうではありません。
ドラマではそこにまた感動的な話が込められているのですが、それは別にして、彼は決して孤独死ではないと思います。
亡き妻と一緒に死を迎えたからです。
本気で愛したことがあれば、人は決して孤独にはなりません。

なにやら暗い話で、また長い話になりそうですね。
続きはまたにして、今日は「一人」とは何かを考えたかったのです。
今朝も5時に目が覚めて、このことをずっと考えていました。

コメントくださった方は「生まれて初めて一人で年を越します」と書いています。
「そんなことはない、ご主人が一緒にいますよ」と言ってしまうのはいかにも月並みです。
それにその方も、そんなことはよく知っているのです。
間違いなく伴侶を心から愛していたからです。
「生まれて初めて一人で年を越します」という言葉にこそ、伴侶への愛を強く感じます。
そう思ったのです。
そして私には、「一人で年を越す」意識があったのだろうかと気づいたのです。
節子は、たぶんそうした気遣いを私に向けていました。
私がいなくなった後、修は大丈夫かしらと時々心配気に話していました。
それにもかかわらず、私は「生まれて初めて一人で」彼岸へと旅立つ節子の不安を気遣っていませんでした。
4年以上経って、それにようやく気づいたのです。

一人で旅立つ不安はどれほどのものであったか。
それに私はどのくらい気づいていたのか。
節子がいなくなってから、いつも節子と一緒にいるという思いで、なんとか平静さを保っていますが、彼岸に向かう節子の一人旅の不安の感覚を、私も味わわなければいけません。
寂しいのは残された者だけではありません。
残していった者こそ、寂しく不安でしょう。
節子の無念さや寂しさを、どうしたら共体験できるのか、ずっと考えていますが、答が見つかりません。
難問を抱えた年の始まりです。

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コメント

佐藤様。以前数回コメントさせていただきました。お久しぶりです。
年始のご挨拶は控えさせてください。

「生まれて初めて一人で年を越す」
私もそうでした。

でも佐藤様が書いてらっしゃるように孤独ではないのです。
「本気で愛したことがあれば、人は決して孤独にはなりません」
という言葉。
本当にその通りだと思いました。
こうやって、文章にしていただくことで、不思議なのですが、慰められるような気がしています。

いつもありがとうございます。

投稿: まな | 2012/01/03 08:39

まなさん
ありがとうございます。

孤独ではないけれど、でもやはり会いたいですね。
きっと私たちの伴侶も、同じ気持ちなのでしょうね。
最近はむしろ妻のほうの気持ちへの思いが強まっています。
4年も経つと、少しずつですが変化はあるようです。

でも、人を愛するって、結構、大変なことですね。
それができたことが、私の支えにもなっています。

投稿: 佐藤修 | 2012/01/04 22:41

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