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2012/01/07

■2つの経済システム

今年の景気に関する企業関係者の見通しはかなり楽観的です。
生活者に対するアンケート調査結果と財界関係者のそれとは大きく乖離しているようです。
それもまた当然のことだろうと思います。
両者の経済観が大きくずれてしまってきているからです。

改めていま、カール・ポランニーの「経済の文明史」を読み直しているのですが、この本の書き出しは「現代以前には、原則として、経済システムは、社会システムの中に吸収されていた」という文章です。
私のとても好きなメッセージなのですが、ポランニーが言うように、そもそも「経済的秩序は、常態としては、それを包み込む社会秩序の一機能である」にすぎなかったのです。
それがいつの間にか、経済が社会を律するようになってしまい、擬制であったはずの労働や土地さえもが実体としての商品になってしまっているのが現代です。
社会システムのサブシステムではない経済システムが主流になってしまったわけです。
サブシステンス経済とは全く違う、マネタリー経済、あるいはカジノ経済です。
サブシステンス経済に関しては、何回か書いていますので、ご参照ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2010/07/post-f533.html
つまり私たち生活者が生きている経済の世界といわゆる「経済人」や「政府」が捉えている経済は、全く別のものなのです。
GDPがいくら上向こうが、それは生活とは無縁です。
しかし、みんななぜか両者を混同してしまっています。
経済が成長し発展すれば生活が良くなると思い込んでいるわけです。
しかし、そこに必然的なつながりはないでしょう。

学校で習う経済も、すべては「閉鎖空間」でのマネタリー経済です。
働くということは雇用されて、マネタリー経済に寄与することだということを習得させるために、義務教育としての学校は生まれたのですから、それは仕方がないことかもしれません。
しかし、もし家庭というサブシステンス経済の場がきちんと機能していれば、そうはならなかったはずです。

新しい経済パラダイムへの動きは少しずつ強まっていますが、パラダイム転換にはかなりの時間がかかるでしょう。
したがって私たちは、マネタリー経済社会の中で、しっかりと生きていく自分の経済観や生活スタイルを持たなければいけません。
マスメディアが報道する経済動向に振り回されることは避けたいものです。

4日のこのブログで、ネグリの言葉を引用して、政府の意味もまた変わりつつあることを書きました。
日本の首相は、要するに自治会会長のような存在になりましたから、毎年人が代わるのは健全なのかもしれません。
その発想で考えると、実は財政や行政の意味が全く変わっていくだろうことが想定されます。
そこでもまた、生活者から考える政治と統治者の政治とは全く別のものなのです。

生活者の経済や政治の動きも、広がっています。
今年は、そうしたところにできるだけ関心を向けながら、自分の生活スタイルをもう一度見直していくつもりです。

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