■節子への挽歌1585:ミラーニューロン
今朝は日の出が見えました。
年が明けて初めての元気な太陽です。
ようやく年があけた感じで、元気が出てきました。
しかし、妻のいない正月は、どうしても正月気分にはなれません。
家族の写真が載った年賀状がたくさん届きます。
みんな幸せそうで、その幸せが見ているだけで伝わってきます。
以前なら、その幸せ気分が見ている私にまで広がるのですが、なかなかそうはなりません。
我ながらいやになります。
今年の箱根駅伝は感動的な場面が多かったような気がします。
ほとんどすべてを見ていたのですが、涙が何回も出ました。
とりわけ選手たちの涙を見るとついつい泣けてきます。
これまでもこうだったのだろうか、もしかしたら涙もろくなったせいのでしょうか。
他の人がしていることや状況を見て、それが自分のことのように感じる共感能力を司っている神経細胞を、ミラーニューロンというそうです。
ミラー、つまり鏡のように他者の感情を写し取ってしまうわけです。
だから泣いている人を見ると悲しくなり、笑っている人を見ると笑ってしまうのです。
最近のお笑い芸を見ていると、芸そのものの面白さよりも、そうしたミラー効果に依存しているような退屈なものが多いような気がします。
節子は、そういう芸が大嫌いでした。
そこが私と違うところでした。
私は、なぜかミラーニューロンが過剰なほどに発達していて、テレビの中の人の行動にすぐ影響されるタイプなのです。
ところで、ほかの人よりもミラーニューロンが強いはずの私が、なぜか幸せそうな家族写真を見ても共感が起きないのです。
それが最近とても気になっています。
私の中に、ねたみの心情があるのでしょう。
時々、自己嫌悪に陥るのは、そのせいなのです。
いやな人間になってきています。
このままだと節子にも嫌われそうですね。
どうしたら素直になれるでしょうか。
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