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2012/01/18

■節子への挽歌1599:苦労こそが人を幸せにする

節子
節子も知っているNさんが久しぶりに湯島に来てくれました。
そして奥様にお花をと言って、お花代をいただきました。
辞退しようと思ったのですが、受け取ってしまいました。
今もなお、そう言ってもらえることがとてもうれしいです。

Nさんは、10数年前に会社を辞めて起業しました。
しかし、いまも苦労されているようです。
苦労していると、人は他者のことを思いやる心が起こるものです。
苦労は、人を優しくし、幸せにします。
つまり苦労こそが、人を幸せにするのです。
最近、そのことがとても実感できるようになりました。

帰り際に、Nさんに、奥さんにはすべて話してあるのかと訊きました。
半分くらい、とNさんは応えました。
みんな話すといいと言いたかったのですが、今回は言い切れませんでした。

なぜみんな、苦労を伴侶と分かち合わないのか、いつも不思議に思います。
分かち合えば、苦労は優しさと幸せにつながっていることに気づくのですが。
しかし、「優しさと幸せ」はいつ反転するかもしれない不安定さも持っています。
愛すればこそ憎しみが高まり、そしてまた、幸せが不幸にいかに転じやすいか。
そうした話は、世の中にはあふれています。
だから躊躇するのかもしれません。

いろいろな人が、私のところに来ては、いろんな悩みや迷いの話をしてくれます。
考えてみると、私はそういう、誰かに相談に行った記憶がありません。
迷いや悩みは、すべて節子と分かち合っていたからです。
そして、幸いにそれは反転することなく、私たちの間に「優しさと幸せ」を生み出してくれていました。
2人で解決できないことは、何一つないと思っていました。
そう思えていた頃が、私たちにとって一番幸せな時だったのでしょう。

その幸せを思い出して、最近、時々思うのです。
そのままずっと今も続いていたら、あまりに幸せすぎたのだろうな、と。
そして、その幸せに気づかないままにいたかもしれない、と。
あるいは、それが幸せから不幸に転じたかもしれない、と。
節子との別れは、むしろ私たちに、幸せをくれたのかもしれません。
おかしな論理ですが、とても納得できるのです。
Nさんのおかげで、そんなことを考えさせてもらいました。

節子の位牌壇は、お正月の花でまだ賑やかです。
すかしユリも満開です。
それが終わったら、節子が好きだったカサブランカを供えさせてもらおうと思います。


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妻への挽歌08」カテゴリの記事

コメント

不躾に投稿してしまい、すみません

時々拝読させていただいております

読むたびに涙が出ます
言葉のひとつひとつに共鳴して、というより、奥様への想いがそのまま自分の胸に飛び込んできて涙が出ている感じがします
図々しいですね

自分にはそういう存在がいないのだと、近頃淋しく思うようになりました
離婚してもう10年程になりますが、今になって心に大きな穴があるのに気付いた感じがします

投稿: 大場 英子 | 2012/01/20 13:14

大場さん
ありがとうございます。

離婚された方の思いがあまり理解できておらずに、傷つけるような文章を書いてしまっているかも知れません。
申し訳ありません。

離婚も死別も、もしかしたら同じなのかもしれません。

心の穴は、もしかしたら誰にでもあるのですね。
妻がいる時には、それに気づかずにすんでいただけなのかもしれません、
私が自立しだしたのは、妻を送り出してからなのですが、時間と共に、妻と一緒にいた意味がわかってきたような気がします。
大場さんのように、10年経ったら、その穴が見えてくるかもしれません。
その前に私自身が彼岸に行けるかもしれませんが。

読んで下さってありがとうございます。

投稿: 佐藤修 | 2012/01/20 14:46

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