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2012/01/31

■節子への挽歌1611:アンナ・カレーニナの原則

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。これはトルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の有名な書きだしの部分です。
29日のグリーフケアのワークショップでも、そのことを実感しましたが、それに参加するための大阪に向かう新幹線で読んだジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌、鉄」という歴史書に、この言葉が「アンナ・カレーニナの原則」として紹介されていました。
ジャレド・ダイアモンドは、こう解説しています。

結婚生活が幸福であるためには、互いに異性として相手に惹かれていなければならない、金銭感覚が一致していなければならない、そして、子供のしつけについての考え方、宗教観、親類への対応などといった、男と女が実際に生活をともにするうえでいろいろ重要な事柄について、2人の意見がうまく一致していなければならない、ということである。これらの要素は、幸福な結婚生活の実現になくてはならぬものであり、ひとつとして欠けてしまえば、その他もろもろの条件がすべてそろっていたとしても結婚生活は幸福なものにならない。
一つでも欠けていれば不幸になるとしたら、その「欠け方」は実に多様なわけです。
ジャレド・ダイアモンドは、このことは、結婚生活以外にもいろいろな事柄にあてはまる「一つの原則」だと言い、それを「アンナ・カレーニナの原則」と名づけたのです。
そして、多くの人は、「成功や失敗の原因を一つにしぼる単純明快な説明を好む傾向にあるが、物事はたいていの場合、失敗の原因となりうるいくつもの要素を回避できてはじめて成功する」と述べています。

私は、必ずしもそうは思いません。
幸福も成功も、同じようにさまざまなものであることを知っているからです。
そしてまた、幸福と不幸、成功と失敗は、それぞれが同じ事象の裏表からの捉え方だとも思っているからです。
たしかにジャレド・ダイアモンドの「アンナ・カレーニナの原則」はとてもわかりやすく、話としては面白いです。
私も2年前までであれば、確実にそう思っていたはずです。
しかし、最近はちょっと違います。

一昨日のグリーフケアのワークショップに参加した人たちも、みんな事情は大きく違いました。
思いも違っていたでしょう。
しかし、話していて、なにかどこかに共通するところが伝わってくるのです。

セルフヘルプグループというのが増えてきています。
同じ悩みや困難や問題を抱えた人たちが、当事者同士の自発的なつながりで結びついたグループです。
1930年代にアメリカのアルコール依存症者の間で生まれ、その後、さまざまな問題を持つ人たちの間に広がっています。
このことからもわかるように、実は「不幸」もまた深くつながっているわけです。

さらにいえば、不幸や悲しみや辛さを体験した人は、他者のそうしたことに共振する心身になるような気がします。
少なくとも私は、そうです。
これをなんと名づけましょうか。

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