« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月

2012/02/29

■節子への挽歌1640:雪を見ながら思い出したこと

節子
湯島で、雪が降っているのをボーっと見ていました。
朝から降り始めた雪は、いまも降り続いています。
風もあって、窓から見ているとかなり横に流れています。
積もりそうな気配です。

節子と湯島でオープンサロンを始めた頃、湯島に泊ったことがありました。
サロンで遅くなったので、泊ってしまおうということになったのです。
もしもの時のために、当時は寝具も少しだけ置いておいたのです。
お風呂もないし、食事の材料もないし、テレビもないし、どうやって泊り、翌日はどうしたのか、今では全く記憶がありません。
節子が残していった日記を読めば、間違いなく書かれているでしょうが、まだ節子の日記は読む気にはなれません。
最後まで読めないかもしれません。

私たちはとても狭い部屋で一緒に暮らし始めました。
部屋は6畳と2畳と2畳よりも小さなキッチンの借家でした。
もちろんお風呂はなく、隣の部屋の音まで聞こえてくる安普請のアパートでした。
そこでしばらく過ごしました。
節子の叔父さんが訪ねてきて、あまりに狭いので驚いていたという話も聴きました。
その後、会社の大きな社宅に入居できたのですが、社宅のことはほとんど覚えていません。しかし、最初の小さな借家のことはよく覚えています。
そこにいたのも、冬だったと思います。
寒くて夜は凍えるようだったのを覚えています。
でも私にはその頃の生活がとても気にいっていましたし、今も一番豊かに感じられる思い出です。

そこでの暮らしが、たぶん私たちのその後を決めたのでしょう。
その頃の暮らしが、私の理想だったのです。
休みの日はほとんど毎週、奈良か京都に行っていました。
おいしい食事をするわけではありません。
お金もなかったので、ただただ神社仏閣周りくらいだったような気がします。
当時は、私が主導権を持っていましたから、たぶん節子は私に引きずりまわされていたのかもしれません。
おかしな人と結婚したものだと思っていたかもしれません。
生真面目な節子といささか変わった私との結婚は、長くは続かないと思っていた人もいたでしょう。
そんな話も後から耳に入ってきたこともあります。
しかし、それがなんと最後まできちんと連れ添えたのです。
もちろん途中で「危機」がなかったわけではありません。
しかし「危機」のない結婚生活などは退屈以外の何ものでもないでしょう。
私は、そういう考えをしています。

雪がちょっと小降りになってきました。
雪を見ていて、いろんなことを思い出しましたが、書いているうちに雪とは無念なことになってしまいました。
あの頃、雪は降っていただろうか。
小さな借家時代の記憶には、雪の記憶も桜の記憶もまったくありません。
ただ狭い部屋と節子の楽しそうな姿だけがよみがえってきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/28

■節子への挽歌1639:水仙

庭の水仙が咲き出しています。
寒さは相変わらずですが、少しずつ春が見え出しています。

先日、娘たちが押入れの整理をしていたら、まだ使われたことのない新品のパジャマが2着出てきたそうです。
入院用に用意していたのでしょう。
節子は自宅療養でしたが、家族に迷惑をかけたくないと入院も覚悟していたのです。
迷惑をかけ合うのが家族だと私は思っていますが、節子は私や家族への迷惑をいつも軽くしようという思いを持っていました。
いつもみんなに迷惑をかけてごめんね、と言っていました。
もちろん、私はそう言わせないように努めましたが、節子は、そういう人でした。
もし、私と節子との立場が逆転していたら、どうでしょうか。
たぶん私も同じようになるかもしれません。
40年も一緒に暮らしていると、言動は似てくるものです。

私たちは、最初から同じ考えや気質だったわけではありません。
むしろ考えはかなり違っていました。
それが次第に近づき、いつの間にかお互いの考えに自然と共振してしまうようになりました。
相手が感じていることや考えていることが、なんとなくわかるようになっていました。
お互いに腹の底まで、心の奥まで、分かり合えていたのです。
そして相手のことがすべて肯定的に受け容れられたのです。
いや、正確に言えば、そうなりつつあったと言うべきでしょう。

私は節子の言動のすべてが好きでした。
もしかしたら、節子の言動の中に、自分自身も重ねていたのかと思うほど、好きでした。
節子に何かを問う時は、その答えはほとんどわかっていたのです。
節子も、そうだったかもしれません。
私たちは、私たちが好きだったのです。

庭の水仙を見ながら、一緒に住みだす前、修さんはナルシストだからと言われたのを思い出しました。
若い頃、私は私が大好きでした。
だからだれもが好きになれたのですが。
自分を愛せれば、他者も深く愛せます。
しかし、節子と長年暮らしているうちに、私は自分よりも節子が好きになりました。
その節子がいなくなって、「私たち」は壊れてしまった。
改めて、私たちは本当に私たちが好きだったんだなあ、と思いました。

週末には水仙をお墓に届けようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/27

■節子への挽歌1638:哀しみは日々深まっていく

節子
この挽歌を読んでくださっているPattiさんという方が、コメントを書き込んでくれました。
そこに、
>哀しみは日々深まっていくという本の一節がありました。
と書かれていました。
Pattiさんも愛する伴侶を亡くされたのです。

哀しみは日々深まっていく。
そのコメントに私も次のように書かせてもらいました。

私もまさにそう実感しています。
同時に、深くなっていくがゆえに表層的(感覚的)には意識しなくなってもいきます。
しかし心身の奥底で、哀しみが大きくなっているのを、時々、感じます。
そうなると、不安感や疲労感がどっと心身を襲ってきます。
自分ながらに、ちょっと恐くなることもあります。
ですから、それをどこかで発散させていかないと
心身の平安が保たれません。
深いところで哀しさがどんどんたまっていくのは、地震と一緒かもしれません。
心身の奥深くにたまっていく哀しさはマグニチュードを増幅させますが、地表の震度は震源が深いほど小さくなります。
しかし時に直下型で心身を襲ってくるのです。

最近はあまり涙が出ることはありません。
外から見れば、時間によって癒されたと思われるかもしれません。
自分でもそう思うこともあります。
しかし、実はそうではないのです。

最近、それを思い知らされています。
この数週間、いささか抱え込んだ問題が多すぎたのか、心身ともに疲れてきています。
この数日は寝不足状態でもあります。
昨日、友人から電話がありました。
相談というほどの相談ではなかったのですが、気やすい関係の友人だったためか、マグマが噴出するように、イライラを噴出させてしまいました。
長電話のあと、だいぶイライラがたまっているようなので注意したほうがいいと言われました。
確かにそうで、最近、いろんな人にぶつかっているような気もします。
困ったものです。

そして今朝、起きた途端に奇妙な不安感が心身に沸き起こりました。
危険な兆候です。
娘に、こういう時にフッといってしまうのかもしれないと話しました。
まあそう話せるということは大丈夫ということですが、自分ながらに少し怖くなりました。
そんな気分の時に書いたのが、上記に引用した私のコメントです。
人の気持ちは不思議なもので、自分でもわからないことが多いのです。

もしかしたら、3月の2つのフォーラムの準備で、最近自殺に関する情報に触れすぎているからかもしれません。
なにしろ私は暗示にかかりやすいタイプなのです。
まあこんなことを書くと読んでくださった方は心配してくださるかもしれませんが、今はもう大丈夫なので心配はありません。
しかし疲れすぎはよくありません。
なにしろ最近は、「無分別」に余計なお世話ばかりしているのです。

先ほど、知人の紹介で相談に来た人がいます。
そのプロジェクトを一緒にやってほしいという話でした。
一昨日だったら、きっと引き受けていたでしょう。
でも今日は引き受けるのを踏みとどまりました。
はやく今の時間破産から抜け出ないといけません。
余計なお世話を止めれば、時間は山のようにあるはずです。
それに何よりも仕事ができるようになります。

節子がいたらもう少し早く抜け出せたかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1637:八尾さんの献花式

節子
八尾さんの献花式に行ってきました。
八尾さんは、節子も会ったことがありますが、山城経営研究所の2代目の代表です。
経営道フォーラムの活動を起こした市川さんが行をしたいといって、山に入った後、それを継いで2代目の代表になりました。
八尾さんは松下電送の社長をされていましたが、その経営者としての実体験を踏まえて、市川さんとはまた違った特徴を持ち込み、多くの企業経営幹部から慕われていました。
数年前に3代目に譲られ、ご自身は長野の小諸に庵をつくって、転居されていました。
陽明学に通じていて、まさに知行合一の生き方をされていたように思います。

昨年末までお元気で、病のそぶりなどなかったとお聞きしていましたが、大晦日の日に足にむくみが出て奥さんの勧めで病院に行ったところ、入院になったそうですが、なんと翌日の元旦に息を引き取られたというのです。
まさに八尾さんらしい生き方、逝き方です。

献花式にはさまざまな人が参会し、私も久しぶりの方々にお会いしました。
その中に、味の素の会長だった歌田さんがいました。
声をかけると私を覚えてくださいました。
もう会社を引退されてから20年近くになると思いますが、お元気そうでした。
私はテレビの経営者インタビュー番組の企画に関わったことがあるのですが、制作費がなくてインタビューを私がやることになりました。
私には全く不得手なことでしたが、12回だけ引き受けました。
その最初のインタビュー相手が歌田さんでした。
番組の最初に街中で私が歌田さんを数分だけ紹介するシーンがあるのですが、それまでそんなことを体験したことはなく、原稿を書いて話す練習をしました。
その時、家族に聞いてもらい、コメントをもらったのですが、何回も練習したので、わが家の家族の間では「歌田さん」が有名になったのです。
その後、歌田さんがテレビなどに登場すると、節子が私を呼んだりしていたのです。
その歌田さんに久しぶりにお会いしたのです。

他にも懐かしい人たちにお会いしました。
献花の後、市川さんとエレガンスの棚沢さんとお茶を飲みました。
この2人は節子もよく知っています。

2人を別れて、帰り道にハッと気づきました。
そういえば、市川さんの比叡山での得度式に、八尾さんと棚沢さんと私とで行ったのです。
もしかしたら、八尾さんが3人を集めたのかもしれません。
大勢の参加者の中で、偶然にも同じ時間に、同じ場所に居合わせたのは、八尾さんの仕業に違いありません。

節子
彼岸で八尾さんに会ったら、よろしくお伝え下さい。
もう一度、此岸でお会いしたかったです。

八尾さん
ありがとうございました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/26

■節子への挽歌1636:懺悔2:無分別

懺悔ついでに、もう一つです。

私の分別のなさはかなりのものです。
自覚しているのになぜ正さないのか。
それには理由があります。
それは「正すべき」は私ではないと思っているからです。

私は現代の社会常識や大人の生き方から考えるとかなり逸脱した価値観や考え方のようです。
節子もよく言っていましたし、いまでも時々、いろんな人に言われます。
しかし、私自身は、人間の長い歴史という視野で考えると、極めて常識的で平凡な考えの持ち主だと思っています。
つまり現代という時代の人々の生き方こそが特別なのです。
たとえば、お金のために生きるなどと言うのは、たかだかこの100年程度の生き方でしょう。
私は自分の心身から出てくる素直な生き方に従っているだけです。

そこまでは節子も結婚して数年で理解し、共感してくれました。
私があまり世間的はない意思決定をしても、節子はそれには大きく異は唱えませんでした。
それが修の生き方だから、とむしろ賛成してくれました。
が突然会社を辞めるといった時もそうでした
拍子抜けするほど、節子はすぐにも賛成したのです。

しかし、家族の迷惑を考えない言動で家族はたぶん迷惑を受けていることでしょう。
節子にも多大な迷惑を与えてきたのかもしれません。
しかしこれも歳を重ねるに連れて、節子に判断を仰ぐ事が増えました。
世間流とは違ったことをする時には、まず、節子に相談するというようにしたのです。
でも、いまから考えると、私の無分別、あるいは「今様の常識」(私からすれば偏屈でしかありませんが)に反する行動は、節子のストレスを高めていたかもしれません。
そもそも結婚の時からそうでした。
私の考えを貫いたが故に、節子は親戚からひどい言い方をされたのかもしれません。
何があっても親戚には弱音や不満は口にしないと、節子は固く決意していました。
しかし最後まで、それを貫き通したおかげで、たぶん節子の親戚からの私の評価は、決してわるくはなくなったのです。
しかし、そこに至るまでの節子の苦労には、あまり思い至りませんでした。
そうしたことも、気づきだしたのは節子を見送ってからです。

私の無分別が大きくは逸脱せずにすんだのは、節子のおかげです。
私が会社を辞めてからは、節子のアドバイスにかなり従ったつもりです。
彼岸に行ったら、それも節子に話して感謝しようと思います。

懺悔しようと思うと、際限なく、節子への謝罪の材料が出てきます。
あんまり良い夫ではなかったのかもしれません。
でもまあ、節子はそれなりに幸せな人生だったでしょう。
苦しい症状の中で、その言葉を残してくれた節子には感謝しています。
残されたものは、そういうわずかな言葉にすがって生きているものですから。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1635:懺悔1:鬼の修

節子
昨日、ある活動を一緒にやっている人からいろいろと厳しい意見をもらいました。
「佐藤さんは人を追い込んでいって、逃げる隙を与えない」と言われたのです。
そして一緒にやっていくのはもう限界だとも言われました。
4時間も、いろいろと話し込んだなかでの話です。

その言葉を聞いて、すぐに節子のことを思い出しました。
節子も時々そう言って、私をたしなめました。
久しぶりに聴く言葉でした。

節子は、私を「仏の修」と「鬼の修」が同居していると言っていました。
そして、「鬼の修」をとても嫌っていました。
その「鬼の修」とは「追い込む修」です。

節子は時々、私に追い込まれていたのでしょう。
節子がいた頃もそれに気づいて謝ったことはありますが、節子がいなくなってからは、思い出しても謝れないので、ただただ辛いだけです。

節子からよく言われた言葉は他にもあります。
修は強いから、弱い立場の人のことがわからないのよ、とも言われました。
理詰めで責められたら反論もできない、とも言われました。
言葉がうまいからとも言われました。
私にも言い分はありますが、節子は、そうした私が好きではありませんでした。

歳を重ねるに連れて、節子は私との付き合い方に慣れてきました。
鬼の佐藤になる前に、かわすことを身につけました。
まあ、簡単に言えば、ハイハイと聞き流すわけです。
意見が対立してもある程度まで言い合うと、ハイハイで終わってしまうわけです。
そして、私が自分の間違いに気付いて後で謝ると、こうなるとわかっていたわ、と偉そうに言うのです。
もっとも節子がハイハイと言った場合は、私に非があることが多かったのですが。

しかし若い頃には、私はたぶん節子を追い込むことも多かったのでしょう。
いまとなっては悔やむしかありませんが、彼岸で節子に会ったら、まずは素直に謝ろうと思います。

追い込んでわるかったね、節子。
心から謝ります。

昨日の人にも謝らなければいけません。
これからは人を追い込むことのないように、できるだけ注意しようと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/23

■節子への挽歌1634:死の余波

節子
親を自殺で亡くした人から聞いた話ですが、自死遺族の支援活動をされている方が、「経験からですが、親を自殺で亡くした子どもは、たいていおかしくなってますよ」と言っていたそうです。
つい先日、死刑が確定した光母子殺害事件の被告も、母親が自殺したそうです。
人の「死」は、本人だけではなく、周辺の人にも大きな影響を与えます。
これも、生命がつながりあっていることを示しています。
誰がなんと言おうと、人は一人では生きておらず、一人では死んでいけないのです。
そのことがわかれば、人の生命は他者であろうと自らであろうと、おろそかにはできません。
この数年、自殺防止関係の活動をしていて、そのことがよくわかってきました。

おかしくなるのは、親を自殺で亡くした子どもだけではありません。
子どもを亡くした親も、伴侶を亡くした大人も、愛する人を亡くした若者も、です。
自らの生きる一部だった、そうした存在がいなくなると、自らの心身が変調してしまうのです。
それは、悲しさとか辛さとか、そうしたこととは別の話です。
心身に激震が走り、ともかく「まっすぐに」歩けなくなってしまうのです。
大人の場合は、それでもなぜそうなったのかが何となくわかりますが、子どもの場合は、おそらく自分でもわからずに道に迷いだしてしまう。
その結果、前に進むこと、あるいは成長することが止まってしまうこともあるでしょう。
そうしたことを考えると、光母子殺害事件の被告の悲しさが伝わってきます。
そうした状況を、みんながきちんと支えてやれば、被告は変われたかもしれません。
残念ながら、彼を弁護した弁護士には、そうした優しさや人間らしさはなかったように思います。

この事件を最初に知った時に、原告の本村さんの主張に圧倒されました。
家族を奪われた悲しみはいかばかりか、私には想像を絶します。
しかし彼は見事に道を外しませんでした。
節子はいつも、彼の発言に感心していました。
節子がもう一人、感心していたのが、松本サリン事件で妻を奪われた河野さんです。
河野さんも、まっすぐに前に進んでいました。

たとえ遠くの人の死でも、その余波は伝わってきます。
身近で愛する人の死は、強烈です。
そこでおかしくなっても、それこそおかしくはありません。
それを超えられたのは、おふたりの、愛の強さかもしれません。

しかし、もしかしたら、まっすぐに歩いているように見えた、本村さんも河野さんも、おかしくなっているのかもしれません。
だから逆にまっすぐにしか進めなかったのかもしれない。

一昨日の判決とその後の本村さんの発言には、思うことがたくさんありました。
死とは、かくも悩ましい事件なのです。

節子
最近は、そうしたことを考えさせる事件が多すぎて、気が滅入ります。
あなたがいたら、いろいろと話し合えるのですが、

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■「見て見ぬふりをする社会」と「見ても見えない社会」

米原子力規制委員会が一昨日公開した福島原発事故後のやりとりの記録が公開されました。
テレビのニュースで、3000ページを超える文書の映像とその一部の内容を見ましたが、そのすごさに感動しました。
しかし、これがアメリカのスタンダードなのでしょう。
記録さえ残さなかった日本政府とは大違いです。
小学校時代にアメリカの「知る権利」という考えを社会科で学んだことを今でもはっきりと覚えていますが、アメリカではその伝統がしっかりと残っているようです。
それにしても、その記録の仕方が人間的で実にいいです。
会話をそのまま再現していて、人の表情さえ感じられます。
これがアメリカの政府の「もう一つの顔」なのでしょう。
勝手な理屈で、密室の会議が行われる日本の政府とはかなり思想が違うのでしょう。
マスコミのミッションも全く違います。
公に従う文化か、公を監視する文化か。

もっともアメリカでも状況はそう楽観できないようです。
最近読んだ「見て見ぬふりをする社会」には、そうした事例がたくさん登場します。
お金万能のアメリカ社会にも、そうではない動きもまだ残っているようです。
ペンタゴン白書を内部告発的に公開したエルズバーグのような人が生まれる素地はなくなってはいないのでしょう。

組織の一つの役割は、責任の明確化(構造化)ですが、現実には組織は責任を回避するための道具に利用されます。
そうならないためには、よほどしっかりした情報管理が行われていなければいけません。
生々しい生きた言葉の記録をどう残し、どう検索できるようにしておくかは、私が会社に入った1960年代から話題になっていたテーマです。
情報技術は飛躍的に発達しましたが、管理思想はあまり変わっていないのかもしれません。
そのため、その後の「情報化」は、私には「非情報化」に見えています。
それは「何のための情報」というテーマにおける「何」の議論が不十分だからかもしれません。

アメリカは日本以上にシステムの国で、主導権はもはやシステムに移っています。
1960年代に、それを予感した若者たちの反乱がありましたが、それをある意味で指導したチャールズ・ライクは、システムへの敗北傾向が強まる中で、痛々しい反撃の呼びかけを行いました
しかし、金融システムに見るように、そのシステムの実体は人間には見えなくなり、もはや管理不能になっているわけです。
「見て見ぬふりをする社会」の著者マーガレット・ヘファーナンは、そうした事態に立ち向かうために、まずは現実をしっかりと見て、疑問を抱くことだと書いています。
米原子力規制委員会の公開文書は、その現実を見るための材料です。
この記録と公開を知って、アメリカにはまだシステムと戦っている人たちがいることを知りました。
アメリカ人ではないですが、少し前になったウィキリークスのジュリアン・アサンジもその一人です。
イラク戦争やアフガン介入、あるいは9.11以後の政府行動に関しても、こうした文書がきちんと残っているのでしょう。
アメリカには、第2、第3のエルズバーグが出てくる素地があるわけです。

日本では、現実を抹消するために記録を残さないようにしているわけですが、これでは「見て見ぬふりをする社会」どころか「見ても見えない社会」になっていくのかもしれません。
それが楽だと思う人が圧倒的に多いのでしょうね。
私には生きづらい社会ですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/22

■節子への挽歌1633:私の立場

節子
これは書くのをやめるようにユカから厳しく言われたのですが、まあ、節子亡き後の私の生活ぶりを知ってもらうために書いてしまいます。
ユカに見つからなければいいのですが。

一昨日、湯島である集まりをやっていました。
私は足を組んでいたのですが、隣に座っていた人が私の足の裏を指差して、佐藤さん、風邪ひきますよ、と言うのです。
言ったのは、おしゃれな吉田銀一郎さん、銀ちゃんです。
足の裏を見たら、靴下に穴があいていました。

少しだけ弁解すると、湯島のオフィスはカーペットですが、私はいつもスリッパを履かないので、柔らかな素材の靴下はすぐ擦り切れてしまうのです。
ですから時々、底が薄くなっている靴下は娘が廃棄するのですが、節約家、というか、貧乏な私は少しくらい薄くても捨てられずに、娘にこっそりと再使用してしまいがちなのです。
ユカは、お父さんは良いかもしれないけど、娘の恥になるから、と言うのです。
靴下に穴が開いていて、何が悪い。最近は穴の開いたジーパンをはいている若者もいるじゃないかと言いたいところですが、まあユカの顔をつぶすわけにもいきません。
帰宅してから、穴が見つかっちゃったよ、と言ったら、ユカからまた怒られました。

ユカとそんな話をしていて、そういえば節子ともよくこんなやりとりがあったなと思い出しました。
修はいいかもしれないけれど、私の立場もあるでしょう、というわけです。
逆に、節子はいいかもしれないけど、私の立場もあるからね、と私が言っていたこともありました。

「私の立場」ってなんでしょうか。
節子と私は、大体において考えは似ていましたから、「私たちの立場」ということで一致することが多かった気がします。
しかし、時に、「私の立場」を守るために、相手に言動を替える要求をしあうこともあったのです。
まあ、みんな勝手なものです。
靴下の穴のような、些細な話が多かったような気がしますが、節子がいなくなってから、「私の立場」から私の立場をしっかりとチェックしてくれる人がいなくなったのは、私にとっては大きな影響を与えているのではないかと改めて気づきました。
娘たちが時々、私の言動をチェックしてはくれますが、その親身さの度合いにおいては残念ながら節子とは違います。
そういえば、節子はこのブログを時々読んで書き直したほうが良いと言ってくれていました。
私は、時に感情的になって、書き過ぎてしまうことがあるからです。
節子はそれを止める役目を果たしてくれていたわけです。
それは、私の行動に関してもそうです。
感情的についつい動いてしまい、とんでもないことに関わってしまうことがあまりなかったのは、節子のおかげかもしれません。
しかし、いまはその「私の立場」で止めてくれる人がいないのです。
注意しないと「唯我独尊」ないしは「投げやり」の生き方にならないとは限りません。
「私の立場」から私の立場をしっかりとチェックしてくれる人がいないと、私のように自立できていない人間は危ういですね。
いやはや困ったものです。

明日からは靴下の穴には注意しようと思いますが、まあ風邪はひかずにすみました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1632:介護する大変さと介護する幸せさ

新潟からチューリップを送ってきてくれた金田さんは、私よりも年上ですが、まだご母堂も健在です。
しかし、ご苦労も多いようで、その介護もあって新潟に夫婦ともども転居されたのです。
大変とはいえ、介護できる相手がいることは幸せなことです。
介護する大変さと介護する幸せさ。
これはなかなか微妙な問題です。

介護疲れが原因で、痛ましい事件が起きることは少なくありません。
そうしたニュースに触れる度に、心が痛みます。
しかし、もしかしたら、と思うことがあるのです。
介護は大変ですが、どちらがより大変だったのだろうか、と。
そして、果たして、それは不幸な結末といえるのだろうか、と。

こういう捉え方をするとどうでしょうか。
介護できる幸せと介護される辛さ。
介護疲れは、双方にあるのです。
そして幸せも双方にあるわけです。

しかし、体力的に介護できなくなったらどうなるか。
介護できる幸せと介護できない辛さ。
介護の大変さは、介護できることの幸せによって報われます。
しかし、その関係が終わったらどうなるか。
二重の辛さが襲ってくるのです。
介護しなければいけない辛さと介護できない辛さ。
双方の幸せを守る方法は、一つしかありません。
痛ましい事件と思うのは、他人事で考えているからかもしれません。

まあ、時々、そんなことを考えてしまうわけです。
介護は、さまざまなことに気づかせてくれます。
私の両親の介護は、私よりも節子がやってくれました。
私がもし両親の介護をしっかりとしていたら、節子が再発して寝たきりになってしまった後、もう少し節子の気持ちを理解できたかもしれません。
金田さんはとても親思いで、献身的な介護をされています。
金田さんと話すと、いつもこのことが悔やまれます。

節子
反省することばかりです。
わるかったね。
でも節子はきっと笑って許してくれるでしょうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1631:新潟のチューリップ

節子
新潟の金田さんが今年もどっさりとチューリップを送ってきてくれました。
チューリップは新潟の県花であり市の花なのだそうです。
今年は雪が多くて、出荷も遅れているようですが、寒さのせいか、花自体もいつもより小ぶりです。
しかし色とりどりのチューリップがどっさりとあると節子の周りが華やかになりました。
奥さんがわざわざ花を選んでくださったようです。
節子
とてもありがたい、うれしいことです。

金田さんとの出会いは、前に書いたかもしれませんが、節子のおかげなのです。
節子とギリシアに旅行した時、スニオン岬に行きました。
その前年、スニオン岬は火事にあい、行った時には岬にはまだ燃え残った跡がありました。
節子は、そこに桜の花を植えたらどうかと言い出しました。
そして帰国後、ギリシア観光局に手紙を出したのです。
残念ながらそれは実現しませんでしたが、その話を聴いた私の友人が、ギリシアの会をつくろうといっている人がいるといって紹介してくれた一人が金田さんだったのです。
金田さんとは、それが縁で、長いお付き合いが始まったのです。
ここでもまた節子が出てくるわけです。

チューリップといえば、最初の年にわが家に献花に来てくださった人にはチューリップの球根を差し上げました。
いろんなところでチューリップが育ったら、節子を思い出してくれるかもしれないと思ったからです。
一番遠いところでは、ネパールでした
その後、どうなっているでしょうか。

そういえば、近くのあけぼの山公園のチューリップも、そろそろ咲き出しているかもしれません。
誘ってくれる節子がいなくなってからは、すっかりご無沙汰してしまっていますが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/20

■死刑確定になってしまいました

光市母子殺害事件の差し戻し後の上告審判決は上告を棄却し、死刑が確定しました。
複雑な重いです。
この裁判に対しては、私は安田弁護士たちの言動に強い違和感を持ちましたが、それを読んだ見知らぬ人が、わざわざ私のオフィスまで、安田弁護士の書いた本を届けてくれて、私の考えへの疑問を呈してくれました
安田さんのこれまでの活動もきちんと読ませてもらいました。
また、最初は私も自殺支持者でしたが、いろいろと考えているうちに、自殺反対に考えが変わりました。
私にとっても、とても気になる判決でした。

被告の育った環境も次第にわかってきました。
それを知らずに、考えていたことを反省しました。
誠実に考えれば、そうしたことは思いついたはずでしょう。
まだまだ私の視野は狭いです。
被告の生い立ちなどを知るにつれて、ますます死刑には反対になりました。
本当の犯人は、どうも違うところにあるような気がしてきたのです。
まさに先日書いた Wilfil blindness です。

しかし、安田弁護士たちのとった行動にはますます違和感が高まっています。
もっと普通の感覚で、そうした背景や情報を社会に誠実に伝えていけば、今のようなことにはならず、もしかしたら安田弁護士たちが目指している「死刑制度の是非」を議論できる状況が生まれたのではないかと思うのです。
安田弁護士の発言は、誠実に生きている生活者には耳を疑うものでした。
目線の高さも感じました。
私のように、素直に感覚的に生きている者には、嘔吐したくなるほどの嫌悪感を生む言葉でした。
それに専門家の傲慢さを感じさせるものでもありました。
安田弁護士の、本来の思いや誠実さは、残念ながら私には読み取れませんでした。
実に残念です。

最近は、死刑支持者が増えているように思いますが、これからも第2、第3の福田被告のような若者が出てくるかもしれません。
それがとても悲しいです。

被害者の家族の原告にとっても、死刑は本当に良かったのか。
考えることが多すぎる裁判でした。
裁判が結審しても、どうもすっきりしません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1630:さぁ 春だ

節子
今日の陽射しには、少し春の気配を感じます。
不思議なもので、春をイメージすると、気分が前向きになっていきます。
私の心身の中にいる節子も動き出しそうです。

寒さのせいもあったかもしれませんが、年明け後ずっと、私の周辺では重い話が多かったです。
また自分から進んで、重い話に近づこうという奇妙な気持ちもありました。
そのせいか、この数週間、時間的にも精神的にも、とても不安定な状況を続けていました。
それが、今日の春を感じさせる陽射しを受けて、変わったような気がします。
さぁ 春だ! 気分を変えていこう! というような感じです。
まあ一時的な「気のせい」かもしれませんが。

春は桜の季節です。
節子の胃がんが再発する前の年の今頃、河津桜を見にいきました。
まだ少し早くて寒かったですが、桜は咲いていました。
その頃は、節子に引っ張られて各地の桜を見に回りました。
節子はすでに病気の中にいて、たぶん不安を抱えていたでしょうが、私よりも行動的で、私をいつも引っ張り出してくれました。
節子のすごさを感じたのは、節子が病気になってからです。
不安を抱えていたでしょうが、いつも明るく、私を元気づけてくれました。
しかも、それが実に自然なのです。
時に、節子が病気であることさえ、忘れてしまうほどでした。
節子が病気にならなかったら、私はこんなにも節子に惚れ込まなかったかもしれません。
ほんとの節子に気づかないまま、まあそれなりの夫婦で終わったかもしれません。
それでもまあ、ほどほどに良い夫婦だったとは思いますが。

節子がいた頃、仕事に埋没しがちな私に春を気づかせてくれたのは、節子だったのかもしれません。
そういえば、近くのあけぼの山公園のチューリップ畑にも毎年誘ってくれました。
節子がいなくなってから、あけぼの山公園のチューリップもコスモスも、見なくなりました。
桜も、です。
私にとって、春はどうでもいい季節になったのです。

この5年、私はずっと春を感じたくない気分だったような気もします。
お花見を誘われて行ったこともありますが、桜は心にはうつってきませんでした。
今年はもしかしたら、お花見にも行けるかもしれません。
これも、いまの春めいた陽射しのせいでしょうか。

わが家は幸いに高台にあり、東側が比較的開けていますので、午前中は強い日差しが飛び込んでくるのです。
その陽射しの中にいると気分が明るくなります。
まるですぐそこの庭で、節子が花の手入れをしているような雰囲気です。

この高台の家も、節子が見つけて手に入れてくれました。
それも実に節子らしいやり方で、です。
節子は実に魅力的な女性でした。
まあ、しかしそれは、私にとってだけかもしれません。
娘たちにとっては、かなりいい加減な母親でしかないようですし。

今日は節子の笑顔のような、とてもあったかくなる陽射しです。
家から出かけるのが心残りです。

でもまあ、今日は約束があります。
節子
心残りですが、行ってきます。
夜は遅くなります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1629:夢判断

節子
久しぶりに節子の夢を見ました。
最近、挽歌を書いていないので、その督促かもしれませんね。

夢の中での節子は私とは別行動をしていました。
夢は湯島で毎月開催しているオープンサロンでした。
これは毎月最後の金曜日に定期的に開催していた、誰にでも開かれた気楽な集まりでした。
誰が来るか私たちにもわからない集まりでしたが、いつも節子が受け入れ準備をしてくれていました。
節子がいなくなってからしばらくはやめていましたが、今はまた細々と再開しています。
しかし節子がいた頃のような雰囲気は全く戻ってはきません。

そのオープンサロンが夢に登場したわけです。
最初は節子と2人で準備しているような感じでしたが、そこに人が集まりだしました。
節子の知っている人もいれば、知らない人もいました。
私はそのうちのある人とかなり話しこみました。
その人は最近久しくお会いしていない人ですが、節子も知っている人です。
しかし、気がついてみると、話し合いの輪っかが2つに分かれてしまっていました
節子は向こうに、私はこっちにと、いう感じです。
そして、いつの間にか節子が消えてしまったのです。
いつもは節子の夢を見た時にはあったかい気持ちが残ります。
でも昨夜の夢は、目覚めたあとに、そういう気分は残っていませんでした。

まあたいした話ではありません。
「夢判断」とか「夢占い」とかには、私はあまり興味はありません。
しかし、時に自分が見た夢について、考えることがあります。
そこから何かのメッセージを得たくなることもあるのです。
節子との別れのあとには、何回か、彼岸に続く電車や駅の夢を見ました。
2つほどは実に生々しいイメージを受けた夢もありました。
起きてからその駅の名前をネット検索したほどです。
もちろん見つかりませんでした。
しかし、最近はそうした夢は全く見なくなりました。
彼岸願望は消えたのかもしれません。
最近は節子が向こうから会いに来るのです。

夢に関していえることは、節子がいた頃といなくなってからは、見る夢が違っているということです。
これは少し不思議ですが、それまで繰り返し見てきた夢を見なくなったのです。
もっとも夢に関する記憶はとても曖昧ですから、これまで見ていた夢と思っているのが本当にそうなのかは確信が持てません。

しかし、夢が現実とつながっていることは間違いありません。
今朝、起きて、フェイスブックを開けたら、なんと昨夜の夢で久しぶりにオープンサロンにやってきた人からメッセージが届いていないのです。
それも昔を懐かしむメッセージです。
とすると、昨夜、夢で見た節子の行動ももしかしたら何らかの意味を持っているのかもしれません。
最近、いろいろと問題続きで、いささか頭が疲れています。
これ以上、頭を悩まさせないでほしいものです。
節子はきっと、彼岸から、最近の私の混迷ぶりを楽しんでいるのでしょうね。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/17

■wilful blindness

オリンパスの損失隠し事件で逮捕された菊川前会長や岸本元会長は損失隠しへの関与を否定しています。
知らなかったと言っているそうです。
それは事実かもしれませんが、正確には「知ろうとしなかった」、あるいは「知りたくなかった」というのがいいかもしれません。

しばらく前に、中国で自動車に引かれた血だらけの女児が、そのそばを何人もの人が通ったのに誰も介抱せずに死んでしまったという事件がありました。
あそこまで極端ではありませんが、通ずるところがあります。

こういう事件を見ると、私たちは、なんとひどい話なのかと思います。
とりわけ後者の事例であれば、自分なら無視はできないと思うでしょう。

しかし、心理学者によるさまざまな実験や調査によれば、それはかなり不確かなことのようです。
私もそれなりの自信はあるつもりでしたが、「見て見ぬふりをする社会」という本を読んでいて、自信をなくしたばかりか、すでにさまざまな「見て見ぬふり」をしていることに思い当たりました。
イギリスでは、そうした「見て見ぬふり」は、wilful blindness といわれて、犯罪構成要素になっているそうです。
つまりwilful blindness は法的に裁かれるのです。

同書にはwilful blindness のさまざまな事例が紹介されています。
それを読んで、全く自分が、そうしたことと無縁であるという人は少ないでしょう。

法的にはwilful blindness は有罪になったとしても、実際の日常社会ではwilful blindness のほうが心地よいことは少なくありません。
とりわけ企業や行政の組織に属していれば、あるいは地域社会でうまく暮らしていこうとすれば、事を荒立てるよりもwilful blindness のほうが安全です。
夏目漱石も「智に働けば角が立つ」と書いています。
その上、人間の脳の容量は限度がありますので、複雑な社会で生きていくためには思考を縮減しなければいけません。
見るところはしっかり見て、それ以外はwilful blindnessを決め込むのがいいのかもしれません。
それは「生きる知恵」でもあります。
子どもたちが学校で学ぶのは、そうしたことだと言う心理学者もいるようです。
「裸の王様」の物語が示すように、大人になるということは、wilful blindnessを身につけるということなのでしょう。
そうしなければ、うまく生きていけないのが、社会です。

しかしながら、昨今のさまざまな事件に触れるにつけ、どうも気分がすっきりしません。
本当はみんな知っているのに、普段は気づかない振りをしていて、あることが顕在化して、だれかが叩かれだすと、寄ってたかって非難しだす風潮も気に入りません。
みんな自分を棚に上げているのです。

管理できるのは自分だけだ、とよく言われます。
同じように、批判できるのは自分だけではないかと、最近思うようになって来ました。
まあ、その割には、このブログではけっこう他者を批判していますが、少し考え直さなければいけません。
そういう視点で、オリンパス事件を見るとさまざまな気づきがあります。
どんな事件も、自分と無縁のものはないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1628:心の糧

節子
最近、なんだか挽歌に追われているようです。
書いても書いても、また書かないと追いつけません。
そして、日がずれてしまうことが多くなってきました。
もっと習慣化しないといけませんね。
しかし、それが私の最も苦手なことなのです。

挽歌が書けていないからといって、節子のことを思い出さなくなってきているわけではありません。
テレビで心癒される風景を見れば、節子を連れて行きたかったと思い、おいしそうなレストランのメニューを見れば、節子を連れて行けなかったなと悔い、新しい発見があると節子に話したくなるのです。
まあ、しかしこれは言い訳かもしれません。

ある人が、昨日、自分の仕事の相談に来ました。
相談に乗っていて、なんで私が相談に乗らないといけないのと、つい訊いてしまいました。
こんなことをやりたいという話ばかりだったからです。
節子も知っているように、私は、思いつくとすぐに質問してしまうタイプなのです。
それで時には、相手に失礼なことも起こってしまいます。
幸いに昨日は、手は気分も害さずに、佐藤さんは「心の糧(かて)」ですからと言うのです。
心の糧?
要は、食べられているわけです。
そういえば、必ずといっていいほど、相談に乗ると何かをやらないといけない気分になって、ついつい自分の仕事を後回しにして、やってしまう自分がいます。
実に困ったものです。
今回もそうなりそうです。
うれしいような、腹立たしいような、奇妙な気分でした。

心の糧、心を支えるもの。
私にとっての「心の糧」はなんだろうかと考えました。
節子は心の糧なのだろうか。
どうもぴったりしませんね。
でも、もしかしたら、この挽歌を書くことは、私にとっての「心の糧」かもしれないと思いました。
挽歌を書き続けていることで、私はなんとか平安に生きていられるのかもしれません。
だとしたらもっときちんと毎日書かないといけませんね。
そうしないと、ほかの人の「心の糧」になることもできません。
みんなに食べられて、細く萎えてしまうことは避けたいですし。
だれかの「心の糧」には、あんまりなりたくはありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/15

■節子への挽歌1627:節っちゃんのいる佐藤さんは幸せ者だ」

吉田銀一郎さんは、自殺未遂者です。
ご自分でカミングアウトしていますので、実名を書いても許してくれるでしょう。
それに時々、この挽歌も読んでいるそうですので、へんに匿名で書くのも失礼です。

吉田さんは時々、湯島に来てくれます。
私よりもわずかばかり年上ですが、私とは大違いで、とてもしゃれなのです。
彼との付き合いが始まったのは、2年ほど前からです。
会う前から、吉田さんのことは噂に聞いていました。
しかし会った途端に、噂とは少し違う吉田さんを感じました。

吉田さんは、以前はご自分の会社を経営していましたが、その経営の行き詰まりから人生が変わりだしました。
そして自殺を試みましたが、生還されたのです。
いまも頭にその時の傷が残っています。
残ったのは頭の傷だけではありません。
さまざまな事が起こり、心にも傷が残ったはずです。
しかし、今の吉田さんはとても明るいのです。
それにおしゃれなのです。

先日、湯島で2人で話し合ったのですが、その帰り際に吉田さんが言いました。
「節っちゃんのいる佐藤さんは幸せ者だ」と。
私が、そろそろ向こうの世界に行きたいといったことへの返事でした。
そして、「でも節っちゃんは待っていないよ」とも言いました。
そんなはずはないと言いましたが、そうかもしれません。

吉田さんは、現世でやらねばならないことがまだたくさんあるので、110まで生きるそうです。
吉田さんなら、それも十分に考えられます。
自殺未遂を体験するとたぶん生命観も変わるのでしょう。
そういえば、先月お会いしたもう一人の自殺未遂された方も、もう絶対に死のうとは思わないときっぱり話してくれました。
そういう体験からの思いを語ってもらう場を4月から始めようと思っています。
ちょっとお茶目で、おしゃれな吉田さんの、少し重いかもしれない話をを聴きたい人は、ぜひ聴きに来てください。
私のホームページで案内をする予定です。

節子がいなくなってから、湯島に集まる人たちは、ますます広くなりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1626:分かち合ってくれる人のありがたさ

節子
いろいろなことに関わっているせいか、真夜中に目が覚めると、そういうことを考えるようになっています。
一人で考えていると、不安が高まります。
最悪の事態を考えてしまうのです。
そういえば、私と話している時になにか目線が定まっていなかったなとか、もっと大きな問題を抱えているのではないだろうか、とか、まさか・・・などと考えていると眠れなくなるのです。
隣に節子がいたら、起こして相談するのですが、今ではそんな事はできません。
いろんな人の相談に応じるということは、ある意味では、その人の人生に関わるということですから、それは仕方がありませんが、一人で不安を抱えることは、それなりに辛いことです。
分かち合ってくれる人がいる事のありがたさを、改めて感じます。

絆とか分かち合いという言葉がよく使われるようになりました。
しかし、いざと言う時に、一体どれだけの人が苦労を分かち合ってくれるのか、それはいささか疑問です。
節子は、よく私にそういっていたものです。
誰かの役に立っておけば、必ずいつかは戻ってくるよ、という私の言葉に対してです。
そのくせ、節子は、私のそうした行為を分かち合ってくれました。
そのおかげで、私自身は自分に気持ちに素直に生きてこられたのです。
以前にも何人かの人の重荷を、ささやかに背負い込んだことがありますが、状況が変わればそんなことはほとんどの人は忘れてしまいます。
それどころか、手痛いダメッジさえ与えられることもありました。
しかも、言葉と行動は、まさに反比例するような気がします。
海援隊の「贈る言葉」にあるように、「人を騙すより、騙されるほうがいい」というのが私の信条ですが、それも騙されるさびしさを分かち合える人がいればのことかもしれません。
人に優しくなれるのは、自分に無限の優しさを降り注いでくれている人がいるおかげなのかもしれません。

最近、そんな気がしてきました。
口では強がりを言っていますが、かなり弱気になっている自分に、時々、気づきます。

今日も寒い1日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■アリス・スチュワートの信念

胎児期のレントゲン検査が小児がんの発生を激増させることを証明したデータをアリス・スチュワートが発表したのは1956年でした。
多くの医師がそのデータに触れたにもかかわらず、妊娠中の母親たちへのレントゲン検査が行なわれなくなったのは、20年以上たった1980年に入ってからだそうです。
いま、読んでいる「見て見ぬふりをする社会」(河出書房新社)に出ている話です

なぜ医師たちは、危険だと繰り返し証明されていた妊婦へのレントゲン検査を続けたのか? それに関して著者は、当時の医師界の権威だった人が、アリスを認めたくなかったことが一番の理由だったのではないかと書いています。
アリスは権力側の人でも、またアカデミズムの人でもなく、現場の人、実践の人だったのです。
いま、私は認知症予防ゲームの普及にささやかに関わっていますが、そこで感じていることを思い出しました。

しかし、著者はもう一つ重要なことを書いています。

アリス・スチュワートの小児がんに関する調査は、通常の診療に疑問を投げかけるだけにとどまらない過激で挑戦的な内容だった。彼女の発見は当時の科学界では主流になっていた、重大な説の問題の核心を衝いた。放射線のようなものは大量に被曝すれば危険だが、これ以下の値ならば絶対に安全だという閥値が必ずあるという閥値説が支持されていた。しかしアリス・スチュワートはこの場合、胎児にとって放射線はどんなに少量でも有害であると主張したのだ。科学界の権威の礎が攻撃されたのだ。
これを読んで思いだしたのは、最近の放射線汚染の報道です。
どこまでが危険で、どこまでが安全かという、私には全く意味のわからない議論が横行しています。
そこで問題になっているのが、まさに「閾値」です
いまもなお、「閾値説」は科学者の拠り所になっているのです。

ちなみに、アリスの主張に関しては、1977年に、アメリカの放射線防護委員会が胎児にⅩ線検査をすればその胎児はがんになると発表したことによって、閾値説は斥けられました。
福島原発事故後、日本の科学者や政府の言っていることとのつながりはわかりませんが。
私は、閾値説は科学者の傲慢さと無知の表明以外の何ものでもないと思っています。

閾値説の悩ましさは、それこそが科学と思わせるところがあるからです。
白か黒かではなく、程度問題だというのも、何となく「賢さ」を感じさせます。
それに、程度論を取り入れれば、事態は自分の都合のいいように解釈できますから、だれにとっても都合がいいのです。
しかし、アリスはそんな似非科学やご都合主義には流されなかったのです。
それは、たぶん、アリスが現場の実践の人だったからでしょう。
それがアリスの信念を貫く力だったように思います。

科学技術のパラダイムは時代とともに変わります。
科学的知見は絶対のものではありません。
閾値も時代によって変わります。
そんなものに振りまわれることなく、アリスのように、もっと物事の大きな意味を考えなければいけないと、改めて思いました。

ちなみに、わが家の放射線量はテレビなどで報道される千葉の平均値の数十倍です。
ここはホットスポットと言われていますが、それは、現代という社会を生きる者にとっての、不運の一つだろうと、私は受け止めています。
運が悪いか良いかは、人に生まれついたものかもしれません。
自らの不運をちょっとだけ嘆きたくなることもありますが、誰にせいにもできません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/14

■節子への挽歌1625:家族の2軸

節子
先日、家族ってなんだろうかと言うようなテーマで、カフェサロンを開催しました。
さまざまな人が集まりました。
仕事よりも家庭よりも地域の祭でがんばっていて、毎年、年末年始の家庭団欒は体験したことがないという50代男性。
まだ親元で暮らしているのに、家族以上に仲良しの仲間が自分にとっての家族だという30代女性。
結婚の時に相手に絶対服従を条件にしたのに関係が逆転してしまった70代男性。
実の親と並んで、もうひとりの「日本のお父さん」を持っている韓国からの留学生。
男友達は多いのに、なぜか結婚していない40代女性。
結婚しているのに、なぜか独身者的行動の多い50代男性。
それに私です。

そもそもこのサロンは、最近、血のつながりのない「家族」のドラマや映画が多い気がすると、ある人が言い出したのがきっかけでした。
家族と血縁は、どうも多くの人には深く重なっているようです。
でもそんなことはありません。

家族には2つの軸があります。
「夫婦軸」と「親子軸」です。
後者は多くの場合、血のつながりがありますが、前者は全くありません。
家族の基本軸は夫婦軸だと思っている私にとっては、家族と血縁はあまり重なりはしないのです。
それに、そもそも「家族」とは「家を同じくする」と言うことでしょうから、暮らし方の形態でしかありません。
そこを混同すると、いろいろとややこしい問題が発生するわけです。

まあそれはそれとして、私も節子も、親子軸よりも夫婦軸を基本に考えていました。
娘たちにとっては、それは大きな不満のタネだったでしょう。
お母さんは娘よりもお父さんを大事にしていた、と、たぶん娘たちは思っています。
私も、同じように思われているでしょう。
もちろん、夫婦と親子とは、その愛情の種類が違うようで、比べることはできません。
もし私たち家族が事故にあって、誰かが犠牲になるという状況になったら、おそらく私たち夫婦は躊躇なく、自らを犠牲にし、次に伴侶を犠牲にしたでしょう。
これに関しては、絶対の確信があります。
にもかかわらず、娘と節子とどちらを愛しているかと問われれば、私は躊躇なく、節子と答え、節子は私と答えたでしょう。
わが家は夫婦軸の家族だったのです。
血のつながりがないからこそ、私たちは純粋に愛し合えたのです。

私にとって、節子はまさにかけがえのない、唯一人の人なのです。
早くもう一度会いたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1624:「愛とは裁かないこと」

節子
この挽歌に出てくる節子は、かなり「美化」されているようです。

ある本を読んでいたら、ロンドン大学の神経科学研究者のチームが、愛情と脳の活動の関係を調査した話が出ていました。
愛する人のことを思っている時、人の脳は、否定的な感情や社会的な判断を司る領域の活動が止まるのだそうです。
つまり、「愛によって脳に化学反応が引き起こされ、愛する人について批判的に考えられなくなる」というのです(「見て見ぬふりをする社会」)。
「愛とは裁かないこと」であると証明されたと、その本の著者は書いています。
なるほど、と思いました。
「愛は盲目」とよく言われますが、なぜ盲目になるかがわかったわけです。

「似たもの夫婦」になっていくことも、このことから説明できるでしょう。
相手を批判できずに美化するということは、自らの生き方もそれに無意識に合わせていくことを意味します。
そして、自らをも裁かないということにもなりかねません。
これはいささか危険を伴います。

裁きも批判もない、全面的に肯定的な夫婦や親子の関係は、危険もあれば至福もあります。
危険と至福は、まさに紙一重、ちょっとしたところから関係は反転します。
しかし幸いなことに、私と節子の関係は破綻することはなくなりました。
私の節子像は、批判にさらされることなくどんどん美化されていくからです。

さて今現在で、どのくらい「美化」されているのでしょうか。
美化されればなされるほど、節子を思うほどに私の精神は満たされるのだそうです。
そして、その「素晴らしい節子」の喪失体験に比べたら、いまや何を失ってもそうたいしたことではないような気分になれるのです。
大きな落し穴にはまらなければいいのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■ふたたびニーメラーの教訓

昨日に続いて、マルチン・ニーメラーの話です。
ニーメラーに関しては、以前もこのブログで書いたことがありますが、今日はもっと具体的な話です。

ニーメラーはナチスに抵抗したために1937年の7月から敗戦まで、ダハウの強制収容所に収容されていました。
戦後、夫を8年もの間つないでいた獄舎を見たいという妻と一緒にそこを訪れます。
そこを訪れた時のことを彼は書き残しています。

「その建物(死体焼却炉)の前に一本の木が立っていて、そこに白く塗った板がかけてあり、黒い字で何やら書いてありました。
『1933年から1945年までの問に、23万8756名の人々がここで焼かれた』。
それを読んだ時、妻が失神したようになって私の腕の中に沈み、ガタガタ震えているのに私は気がつきました。
私は彼女を支えてやらなければなりませんでしたが、同時に冷雨のようなものが私の背すじを走るのを覚えました。
妻が気分が悪くなったのは、25万人近くという数字を読んだためだと思います。
この数字は、わたしにはどうということはなかった。わたしはもう知っていましたから。
その時私を冷たく戦慄させたものはいくらか別のこと、つまり『1933年から1945年まで』 という2つの数字だったのです。
1937年の7月1日から1945年の半ばまでは、わたしにはアリバイがあります(強制収容所に捕らえられていたという意味です)。
しかし、そこには『1933年から』と書いてある。
1937年の半ばから戦争の終りまでは、お前にはなるほどアリバイがある。
だが、お前は問われているのだ。
『1933年から37年の7月まで、お前はどこにいたのか?』と。
そして私は、この間いからもう逃がれることはできませんでした。
1933年には、私は自由な人間だったのです……」
このことが彼のその後の生き方に大きな影響を与えていくわけです。

私にはニーメラーほどの峻厳な生き方はできませんが、その生き方をいつも思いだすようにしています。
他者を批判する前に、まず自らを正す。
その上で、おかしなものは素直に怒りをぶつけて生きようと思います。
もちろん行動も含めてです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/13

■責任を負うべき人

「原爆投下と原発事故の奇妙な一致」の記事をフェイスブックに転載したら、ある人(中川さん)から次のようなコメントをもらいました。

日本はワイマール時代のドイツ、自分たちの歴史を総括する必要があると思いますが・・・。一般市民は米国のくれた民主主義に浮かれて、経営層は明治維新以来の産業資本の振興に浮かれ、そうしたバブルの負債だけが引き継がれていく。福島が提示しているのは、そういう問題なのだと思います。
そこで、ヴァイツゼッカーとニーメラーを思い出しました。
その2人はこのブログやホームページで何回か書いた記憶がありますが、最近は余り思い出さずにいましたので。

ヴァイツゼッカーは、ベルリン市長を経て、1984年に西ドイツの大統領に就任、翌年、ドイツの敗戦40周年に当たり、連邦議会で行った演説が話題になりました。
日本でも「荒れ野の40年」というタイトルで岩波ブックレットから出版されています。
多くの人に読んでほしい名演説です。
ヴァイツゼッカーは、そこで国家元首として、自国がかつて犯した罪責を具体的にあげて反省したのです。
日本では残念ながら、今もって、慰安婦問題にしろ南京事件にしろ、事実を隠そうとする、あるいは忘れようとする動きが強いです。
中川さんは、そのことを指摘しているのでしょう。

もちろんドイツでも、事態はそう違っていたわけではありません。
ヴァイツゼッカーは、こう述べています。

戦いが終わり、筆舌に尽くしがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
しかし彼はこう言います。
目を閉じず、耳をふさがずにいた人々、調べる気のある人たちなら、ユダヤ人を強制的に移送する列車に気づかないはずはありません。人々の想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
映画「ニュールンベルグ裁判」でのヤニングは、まさにそれを認識していました。
組織の犯罪は、組織の成員全員に某なんらかの責任があるといえます。

同じように、原発事故に関しては、責任を負わない人などいないのです。
ですから責めるだけの人を、私は信頼できません。
だからなかなか反原発にデモに参加できずにいるわけです。
知ろうとすれば、1980年代に知りえたはずです。
少なくとも私は知っていたと認識でしていますが、生き方を少し変えただけで、原発の恩恵を受け続けていました。
だから東電を責める気にはなれません。
この現実はまずは従容として受け止めるのが私の生き方です。
もちろん事故後の東電の対応は責めることはできますが。

話がそれてしまいましたが、この演説はヴァイツゼッカーだけの言葉ではありません。
たとえば、彼に多分大きな影響を与えたであろう、マルチン・ニーメラーがいます。
ニーメラーはナチスに抵抗したために強制収容所に収容させられていましたが、戦後そこを訪れた時に受けたショックを書き残しています。
その話は、明日、書こうと思いますが、ドイツにはそうした想像力豊かな人がいたのです。
そしておそらくそうした人が生まれる素地があるのです。
責めるべきは、まず自らであるという文化があるのかもしれません。
そしてもしかしたら、それはキリスト教のような神をいだく一神教の文化に関係しているのかもしれません。
だとしたら日本にはどんな文化があるのか。
社会のダイナミズムが違うのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/11

■原爆投下と原発事故の奇妙な一致

昨年8月の放映されたNHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」の再放送を観ました。
ご覧になった方も多いと思いますが、私は初めてでした。
あまりにも衝撃的でした。
かなり過激にものを考える私にも、まさかと思える内容でした。

広島や長崎への原爆投下は、実は日本軍の上層部は事前に知っていたという話です。
しかも長崎の場合は、5時間前にその可能性を知った現場の諜報部隊が参謀本部に伝えていたのです。
その知らせに基づいて、的確な対応がとられていたら、広島の被爆者は激減し、長崎は投下さえ防げてかもしれません。
なぜ軍の上層部がその情報を握りつぶしていたかについても、明確ではないですが、示唆されていました。

当日、実際にその情報を受信し、上層部に伝えた当人が、番組に出ていました。
つい最近になって、その人は口を開き始めたのだそうです。
長い人生を、その人はとてつもない重い荷物を背負ってきたのです。
きちんと記憶していないのですが、その人は最後にこう話しました。
なぜ情報が活かされずに隠されたのか、そのことを明らかにしなければ、この国はまた同じことをするだろう。
その言葉は聞いて、私は昨年の原発事故をすぐに思い出しました。
この国は、まさに繰り返してしまっているのです。

その人だったか、別の人だったか、はっきりしませんが、敗戦後、上層部から、そうしたことに関する書類をすべて焼却するように指示されたそうです。
ここで灰になるまで燃しましたとその人は身体すべてを使って語ってくれました。
これも原発事故と似ているようにも思います。

もっと似た話もありました。
当時、軍は「想定外」の奇襲を受けたとして、原爆ではないと言い切っていたそうです。
「想定外」
この奇妙な一致には、不気味ささえ感じます。

最近、新聞などに「棄民」という文字が現れだしています。
日本政府はこれまでも「棄民政策」を繰り返してきました。
しかし、それはもう過去の話だろうと思っていましたが、どうもそうではないのかもしれません。
とても重いドキュメンタリー番組を見てしまいました。
世の中には、知らなかったほうがいいことがあるものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1623:身体の思想

節子
また仏教の話です。

人は一人で生まれて一人で死んでゆく、と言ったのは一遍上人です。
いまも多くの仏教者はそう言います。
その一方で、四国巡礼では「同行二人」とも言われます。
私にはこれがよくわかりません。
当然、死においても一人であるはずはないと私は以前から思っています。
歴史上、有名な高僧も、その書いているものには私には違和感のあることも少なくありません。
これでは仏教徒とは言えません。
困ったものです。

鎌田茂雄さんの「正法眼蔵随聞記講話」を読んだのですが、そこに一遍は死の恐れから脱却するために、「南無阿弥陀仏」を唱えたと書かれていました。
一遍の『消息法語』に次のような文章があるそうです。

「この体に生死無常の理をおもひしりて、南無阿弥陀仏と一度正直に帰命せし一念の後は、我も我にあらず。故に心も阿弥陀仏の御心、身の振舞も阿弥陀仏の御振舞、ことばもあみだ仏の御言なれば、生たる命も阿弥陀仏の御命なり。」
死を知り、無常を思うことは、身体で知るのである。頭で知るのではない。
鎌田さんはそう言うのです。
そして、それを「身体の思想」と言います。
「頭の思想」ではなく、「身体の思想」。
なるほどと思いました。
身体の思想ということを自分なりに理解できるようになったのは、節子を見送って以来です。
それを知ってしまうと、頭の思想にはあんまり興味を感じなくなりました。

頭で考えると、人は一人で生まれ、一人で生き、一人で死んでいく。
しかし仏に帰依すれば、「同行二人」を身心で実感できるというわけです。
節子との別れを体験した、今の私には、とても納得できる話です。
見えないけれど、誰かがいつも一緒にいるのです。

帰依するとは素直になること。つまり、自分の考えを全部捨てることだと鎌田さんは言います。
すべてを捨てれば、自然と称名が口から出ると言うのです。
そして、一たび「南無阿弥陀仏」と唱えれば、自分は自分であって自分ではなし 自分の心は阿弥陀の心 自分の言動は阿弥陀の言動、この生かされた命も阿弥陀の命、つまり無量寿、永遠の生命になると言うのです。
何となくわかるような気がします
人は決して一人で生まれて一人で死んでゆくのではないのです。
愛する人はかならず、いつも一緒です。
だから自分も、愛する人のところにいないといけません。
それこそが悟りではない、覚りかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/10

■節子への挽歌1622:造花

節子
湯島で時間ができました。
ゆっくりしましたので、元気が戻ってきました。
時間があったので、少しまた後片付けをしようと思い、倉庫になっているお風呂場を見たら、たくさんの造花が出てきました。
季節に合わせたさまざまな種類があります。
私が造花嫌いなのを節子は知っていましたから、以前はできるだけ活花にしてくれていましたが、オフィスにあまり来られなくなってからは、造花を用意して、季節ごとに変えてくれていたのです。

最近は造花といってもとてもよくできています。
いまは玄関に真紅のバラの造花がかざってありますが、少なくとも2人の人から、きれいなバラですね、と言われ、造花ですよといったら驚かれました。
このバラは、節子が最後に来たときに、つくってくれたままになっています。
もう4年半も経つのですが、いまもきれいです。

節子の行動を継いで、季節に合わせて、造花を変えようかとも思いましたが、やめました。
造花といえども、やはりきちんと活けなければいけません。
それは私には無理ですし、季節に合わせて模様替えをするのも、季節感を失ってしまった今となっては、何となく億劫です。
この際、ずっと節子が活けてくれた真紅のバラで通すことにしました。

部屋の植物は幸いに最近は枯らすことも少なくなりました。
ミニバラも冬を越しそうですし、室内に入れておいたシクラメンは白い花を咲かせています。
節子が元気だった頃は、ブーゲンビリアやスパティフラムも見事に咲いていたこともありましたが、それは無理としても、今年の春には手のかからない花を増やそうと思います。
メダカも元気ですが、実はもう2種類、魚を飼う予定です。
1種類はあったかくなってからでないとダメですが、もう1種類はなかなか餌を買いに行けないので、まだ飼えずにいます。
これは前にも飼っていた魚です。
何回も逃がしてしまい、飼うのをやめていたのですが、復活します。
とても楽しい魚です。
春にはたぶん飼いはじめるので、ぜひ会いに来てください。
かなり大きな魚です。

節子、そんなわけで、湯島の部屋も少しずつ「生気」を取り戻していきそうです。
玄関の造花だけは変わりませんが。
私も今日はだいぶ元気です。
まだ滅入ることは多いのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/09

■節子への挽歌1621:ちょっと愚痴を言いたい気分です

節子
相変わらず寒いですが、今日は晴れ上がった気持ちの良い日になりました。
節子がいたら、そろそろ庭仕事の準備が始まるなと思うような陽射しです。

最近はいろんなことがありすぎます。
なぜこうなってしまったのかわかりませんが、前にも増して、さまざまな問題と出会います。関わらなければいいのですが、ついつい関わってしまい、時に自らを忙しくさせてしまっています。
困ったものです。

節子がもしいま元気だったら、たぶん違った生活になっていたでしょう。
もしかしたら「静かな隠居的生活」に入りだしていたかもしれません。
しかし、節子がいない今は、たぶん隠居生活は夢のまた夢になりました。
節子さえいたら、すべてを捨てられたでしょうが、節子がいない今は、捨てられないものが多すぎるのです。

他者の人生に関わってしまう習癖は、どこで生まれたのでしょうか。
いまの私の生き方を、節子はどう思っているでしょうか。
引き受けなくてもいい重荷を、なんで修は背負ってきてしまうの、と言うかもしれません。
そして、半分を背負う私はもういないのよ、と言うかもしれません。
他者のことより、わが身のことを考えなさい、と言っているかもしれません。
たしかにそうかもしれません。
今日は少しだけ弱気になってしまっています。

人生はつかれます。
一昨日書いたMさんが言うように、生きるってほんとにたいへんです。

明日は元気を回復したいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■金は天下の宝もの

私は、できるだけお金から距離を置く生き方をしてきました。
そのおかげで、あまりお金がなくても豊かに暮らせるようになっています。
いろんな人に支えられてのことですが。
しかし、いま、お金を貯めておけばよかったとちょっと思っています。

金は天下の宝ものとはよくいう言葉であるが、悪人が金をもてば人を苦しめると同時に自分自身も苦しむのである。
それに反して善人が金をもてば人を助けることができるし、その人自身も人生を楽しむことができる。
これは、鎌田茂雄さんの「正法眼蔵随聞記講話」に出てくる文章です。
私が、ここでいう「悪人」か「善人」かは、自分ではわかりません。
お金を持てば、それがわかると思いますが、残念ながらその機会はありませんでした。
しかし、悪人の可能性も強いので、お金にはできるだけ近づかないようにしてきたのです。
実は、時々、迷いは生じるのですが。

ところが、数日前に、知人が会社の資金繰りで相談に来ました。
資金を貸してくれという相談ではありません。
私のことを知っている人は、そんな相談ではやってきません。
事業をやめてしまうかどうかの迷いを整理するために私と話したかっただけでしょう。
彼は、人生を思い切り変えてしまうシナリオも考えていました。
しかし話していて、お金があれば事業を諦めずに再興できる可能性があることを知りました。
しかもそのお金は、さほどの金額ではありませんでした。
そこで、お互いの周りの人に声をかけて、1口50万円ずつ集める案を出しました。
そしてさらに成り行き上、その半分を私が集めることを約束してしまったのです。

友人知人に声をかけました。
ある友人は、私のためならいくらでも出すが、私の知人のためなら協力はしない、お前もお金を出すな、と怒られました。
私の生き方をよく知っている友人なので、彼の言っていることはよくわかります。
事業が必ず再興できるわけではありません。
詳しいことを聞いても、私には評価能力がありません。
私はただその知人の苦境を聞いて、黙っていられなかっただけなのです。
冷静に考えれば、あまりにもリスクが大きいです。
娘たちは、お父さんはいつも思いつきで動くのでやめたほうがいいというのです。
娘たちは、私の過去のことを知っていますから、反論はできません。
しかし、成り行き上とは言え、決めたことです。
娘にも協力してもらい、私が集められるお金を集めました。
そして2人ほど協力してくれる人も現れました。
最低限の資金は集まりました。

鎌田茂雄さんは「正法眼蔵随聞記講話」でこう書いています。

金の魔力は金によって相手を縛る。
また自分も縛られる。
金を与えた者も受けた者もともに縛られてゆく。
そうなってしまっては、私の行為は意味がありません。
私の生き方が試されているような気がしてきました。

今回の知人の事業が再興したら、彼の協力も得て、事業応援結い基金を立ち上げたいと思っています。
数十万円、数百万円で、人生を狂わせてしまう人がでないような、そんな結い基金を実現したいです。
それができれば、私は善人であることが安堵できます。
まあそれが何だという気もしますが。

ちなみに、昨日、テレビで高額の詐欺事件である人が逮捕されたことを報道していました。
もしかしてと思って調べてみたら、20年ほど前にやってきた人でした。
付き合いが途切れていましたが、とても残念です。
よほどお金に困っていたのでしょう。
付き合いが途切れていたことが残念です。
今日は複雑な1日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/08

■節子への挽歌1620:コンプレックス

節子
今日はちょっと重い話です。

自死遺族の若い女性からメールが来ました。
ある集まりを彼女と一緒に企画しているのですが、私が書いた「自殺をなくすために」という言葉に関して、違和感があると書いてきました。
少し表現を変えていますが、彼女が書いてきたのは次のようなことです。

自殺をなくすことを目標にすると、遺族は自殺した人の人格や人生、存在を否定されているような気持ちになります。
表現した側の人にはそんな気持ちはなくても、自殺をする人を排除する社会をつくるような気分になる場合があります。
言葉とは、むずかしいものです。
自死遺族の人たちの思いが、まだまだ理解できていないのに気づきました。

節子は病死でした。
しかし、その私でさえ、たとえば、「がんで死ぬ人は少なくなった」などという言葉に出会うと、節子や私が否定されているような気持ちになるのです。
その気持ちは、かなり歪んだ思いなのでしょうが、いまだもって克服できずにいます。
ですから、自死遺族の人が、こう考えることもわかります。
もっともっと複雑な思いのなかで、外部の言葉や眼差しには敏感になるでしょう、
それに気づけなかった自分に、少し落ち込みました。
人の死は、関わっている人に大きなコンプレックスを残します。

最近読んだ小冊子「自死遺族14人が語った物語」のなかに、親が自殺した子どもたちはみんなおかしくなってしまう、という言葉があったことを思い出しました。
そういえば、その言葉は、以前、彼女からも聞いていました。
家族の自死は、子どもたちの人生を変えてしまうのでしょう。
彼女とはもう2年ほど交流がありますが、まだまだ心は通じていないのかもしれません。
妻を病死させてしまった私にとっては、どこかで彼女と通ずるところがあると思っていましたが、やはり大きな溝があるのかもしれません。

しかし彼女は、さらにこう書いてきました。

何故かと考えるうち、私は自殺(自死)が病名ではないからだと思いました。

彼女は、自殺も「病気」だと気づいたのです。
私もそう思っています。
社会が引き起こしている「病気」あるいは「事故」です。
いつか溝が埋まる日が来るかもしれません。
しかし、私のコンプレックスが解ける日はくるでしょうか。
3月に大阪で、彼女の企画した集まりに参加することにしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■ささえあいカフェのお誘い

昨日は「家族をテーマにしたカフェサロン」のご案内をしましたが、今日もまたカフェサロンのお誘いです。
何しろ湯島の私のオフィスでは毎週サロンをやっているのです。
おかげで仕事をする暇がありません。
困ったものです。

今日のお誘いは「ささえあいカフェ」です。
これは新装第1回目のカフェなのです。

これまで私が関わっている「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」と「コムケアネットワーク」の、いわば共催で、毎月、「ささえあい交流会」を開催してきました。
この1年は、どちらかといえば、「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」を主軸に開催してきました。
しかし、「自殺のない社会づくりネットワーク」というイメージが大きく影響したのか、なかなか「ささえあいの輪」が広がりません。
そこで、以前のように、「ささえあいの輪」に重点を移して、広がりを回復しようと思います。
そこで名前も「ささえあい交流会」から「ささえあいカフェ」に変えて、再スタートすることにしました。
交流と言うよりも、むしろ誰もが気楽にやってきて、珈琲を飲みながらホッとする場にしたいです。
話題も、自殺問題にかぎらずに、さまざまな支え合い活動をしている人に話題提供などもしてもらいながら、日常の生活での、あるいは仕事での、支え合いを自由に話せる場にしたいと思います。
そうした、何でも気楽に話せる場があれば、人の支え合いの輪も広がり、自殺もなくなっていくでしょう。
GKB47宣言などという馬鹿げたキャンペーンなどは不要になります。

そんなわけで、下記の通り、新装ささえあいカフェを開催します。
カフェですから、出入り自由です。

○日時:2012年2月13日〈月曜日)6時半~8時半(遅くも9時には終わります)
○会場:湯島コムケアセンター
○話題提供者:自殺防止ネットワーク風の伊地智さん
○参加費:500円
○参加申込先:コムケアセンター(comcare@nifty.com)

話題提供者が自殺防止ネットワーク風の伊地智さんになっていますが、だからと言って、また自殺の問題に話を押しとどめる気はありません。
むしろ、そこから社会の実相がいろいろと見えてくる。
それを切り口に話を広げたいと思っています。

話題は参加者次第で、いくらでも、どちらにでも広げられます。
そんなやわらかなカフェサロンです。

できるだけさまざまな方たちにご参加いただき、「ささえあいの輪」を広げていきたいと思いますので、
まわりに連れてきたい人がいたら、ぜひお誘いください。
参加者がみんなホッとできるような場にしたいと思います。
これから毎月開催します。
よろしくお願いいたします。

参加される方は事前にご連絡いただければと思います。
もちろん当日の飛び入り参加も大歓迎です。
お会いできればうれしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/07

■家族サロンのお誘い

家族のあり方が、最近良く話題になります。
新しい家族のあり方を考えさせられるような映画やテレビドラマも増えているようです。
先月開催した湯島での新年会サロンでも、家族のあり方が話題になりました。
そこで、今度の日曜日に家族をテーマにしたカフェサロンを開催することにしました。

○日時:2012年2月12日〈日曜日)午後1~3時
○場所:湯島コムケアセンター
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf○テーマ:あなたにとって家族ってなんですか
参加者それぞれから自己紹介も含めて、テーマに関しても話してもらい、
その後はカジュアルな話し合いで、これからの家族のあり方や社会のあり方を考える。
○会費:500円

抽象的な話ではなく、できれば参加者がそれぞれ、自分の問題として家族の問題を考えながら、これからの社会のあり方や家族のあり方を話し合えればと思います。
さまざまな活動をされている視点で問題が広がると、お互いに多くの気づきを得られるのではないかと思います。
開かれたサロンですので、誰でも歓迎です。
喫茶店に珈琲を飲みに行く感じで参加していただくとうれしいです。
ぜひ多くのみなさんの参加をお待ちしています。
周りに関心を持ちそうな方がいたらどうぞお誘いください。

お会いできるのを楽しみにしています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1619:生きることはたいへん。だからこそ、生きる価値がある

節子
最近とても涙もろくなっています。
すぐ涙が出ます。

今朝、パソコンを開いたら、先日会った「DV冤罪被害者」の人からのメールが届いていました。
その人、Mさんは、前回、お会いした時には怒りで世界がたぶん見えなくなっていました。
薬物に依存しないと眠れないとも言っていました。
Mさんに会うといったら、みんなが心配しました。
ある人は、俺が一緒に行ってやろうかと電話してきたほどです。
しかしMさんは、優しく素直な人でした。
ただ怒りを暴発させる怖れを少し感じました。
社会から思い切り疎外されていると感じているのでしょう。
2時間話しました。

Mさんからのメールには、先日はなした時とは違うものを感じました。
とてもうれしく、すぐ返事を書きました。

Mさんのメールにはこう書いてありました。

自分自身は、何年かで立ち直ろうとは思っています。
45歳ですが、40年間かけて自分が作ってきたもののほとんど、大切なものをここ数年で失ってしまったのですが。。。
Mさんが受けた被害に似た話を昨日、時評編で書きました。
裁判で家庭を壊されている人は決して少なくありません。
私も怒りを禁じえません。
しかし、怒りは怒りのままでは何も起こせません。
Mさんが、前を向きだしたことがとてもうれしく涙が出ました。

メールの最後に、Mさんはこう書いていました。

佐藤様も奥さんに先立たれて、辛いだろうと思います。
わたしも、先妻は32歳で、妊娠中に腎不全で亡くしました。
『自愛』とは、どうすればよいのでしょう?
とにかく、平穏な生活は訪れるのでしょうか?
生きることとは???たいへんですね。
そうです。
生きることはたいへんなのです。
しかし、だからこそ、生きる価値がある。
そう思ったら、また涙が出てきました。
最近はどうも涙が出すぎます。
節子がいたずらしているのでしょうか。
困ったものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/06

■家庭を壊す裁判官

子どもの連れ去り・引き離しが最近増えているそうです。
離婚によって、わが子との交流を一方的に断たれた親が悲観して自殺するケースも起こっているそうです。
そうしたことも踏まえ、離婚時に子どもとの面会交流の取り決めを定めることをうたった改正民法が今年5月成立しました。
当時の法務大臣江田さんは、国会で、
「たとえ別れた元夫、元妻との交流であっても子の健全な育成のためには重要」
「例外はどんな場合でもありうるが、(面会交流の実現に)努力をしようというのが家庭裁判所の調停または審判における努力の方向だ」と国会で明言しています。
最高裁の豊澤佳弘家庭局長も、「子どもの健やかな成長、発達のために双方の親との継続的な交流を保つのが望ましい」と答弁したそうです。
ところが、そんなことなどどこ吹く風かとばかり、子どもの連れ去り・引き離しを言い渡す裁判は後を断たないようです。

週刊朝日の2011年12月23日号に、『「子ども連れ去り」で飛び出した裁判官の“トンデモ”発言』と題した記事が載りました。
上記の文章は、そこから引用させてもらったものです(書き変えていますが)。
そこで取り上げられている裁判官は、若林辰繁裁判官です。
この分野では何回も問題を起こしている裁判官のようです。
ネットで調べるといろいろと出てきます。

週刊朝日の記事を、長いですが、引用させてもらいます。

自身の離婚審判に臨んでいた30代の父親は、改正案が審議された国会の会議録などを示し、
「子どもの利益を第一に考えた審査をしてほしい」と、担当の若林辰繁裁判官に訴えた。
 ところが若林裁判官は、こう言い放ったという。
「法務大臣が国会で何を言おうと関係ない。国会審議など、これまで参考にしたことは一度もない」
父親は驚いた。司法は立法府から独立した存在であるとはいえ、裁判官は立法者、すなわち国会が定めた法律に拘束される。憲法にもそうあるではないか。
「立法者の意思をまったく無視して法解釈していいと判断する根拠はなんですか。司法は立法府より上の立場ということですか」
こう食い下がると、若林裁判官は、「あなたと法律の議論をするつもりはない」と、その場を立ち去ってしまったという。

この父親は昨春、3歳の娘を妻に突然、連れ去られて以来、妻側から身に覚えのないDVで訴えられ、疑いは晴れたものの、その後もわずか数時間の面会を何度か許されただけだ。もう1年以上、会っていない。

以下は週刊朝日の記事を読んでください。

先週、その若林裁判官によって、実際に家庭を壊されたMさんに会いました。
裁判時に提出した資料の一部も見せてもらいました。
Mさんは自らをDV冤罪の被害者だと言っていますが、見せてもらった資料などから、そのことがかなり納得できる話でした。
裁判所は正しい判断をしてくれると、Mさんはそれまで思っていたようですが、いまは裁判への不信と怒りで、自らの人生までをも壊されているようです。
話を聞きながら、私も若林裁判官に不信を持って、ネットで調べたら、同じような目にあっている人が他にもいることがわかりました。
Mさんは若林裁判官を起訴しましたが、棄却されています。
裁判官は多くの場合つるんでいますから、Mさんには勝ち目は少ないでしょう。
「正義」を語る人ほど、正義を私物化しているものです。

週刊朝日の記事に書いてありますが、若林裁判官は司法の世界でも問題になっているようですが、どうしようもないようです。
痴漢事件にしろDV事件にしろ、私は冤罪が多いのだろうと言う気がしていますが、泣き寝入りしている人は多いでしょう。
しかし確実に家庭と人生は壊されます。
Mさんは、裁判にはお金がかかるので続けられないと言っていました。
家も手放さざるを得ないようです。
制度で守られた裁判官の暴政に、弱い庶民はどう立ち向かったらいいのでしょうか。
私のできることは、そうした事件が起こっていること、そうした裁判官がいることを、一人でも多くの人に知ってもらうことくらいです。
そして、Mさんが怒りから解放されることを祈っています。
とんでもないことをして、若林裁判官と同じような人間にならないことを祈るばかりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1618:「永遠の僕たち」

節子
この挽歌で知り合ったKさんがだいぶ前にメールを下さいました。
そこで、最近観た映画のことを教えてくれました。
映画は「永遠の僕たち(原題Restless)」
ヒロインが脳腫瘍の再発で余命3か月と診断されてから、旅立っていくまでのストーリーだそうです。
「命、愛、そしてTeenの純粋な心が、秋から冬へ向かう美しい景色のなかで光り輝いていました」とメールに書いてありました。

Kさんは最近、昔、愛していた女性の死を知りました。
よほど深く純粋な愛だったのでしょう。
その死を知って以来、Kさんの人生は変わったようです。
愛とは、実に不思議なものだと、改めて思います。

それはともかく、Kさんは、こう書いています。

近年、命と死をテーマにした映画が増えているそうです。
私には感性の研ぎ澄まされた芸術家たちの心が、私のような凡庸な一般人に先立って、「命」と「永遠」というテーマに敏感に反応し始めたからではないかと、感じられます。
宗教家や哲学者ではない、死や命の問題を専門領域にしていない人々がこれらのテーマに同時並行的に取り組みだしたことは、われわれの意識が徐々に変化してきていることの証左ではないかと思うのです。
感性の敏感な彼らの間には、明らかにシンクロニシティーが起きている。
「命とはなにか」「死とは何か」に、研ぎ澄まされた彼らの意識が向いている。
荒々しく迫るようにそれらの「意義」を問いつめるのではなく、静かにそれと向き合い、優しく見つめる視点が彼らにはあります。
100年ほど前に、リチャード・モーリス・バックが語ったことが、まさにいま、起こっているのかもしれません。
Kさんは、この映画を観て、人間の「命」が永遠のものであること、死によって失われるものではないことを確信したようです。
メールの最後にはこう書かれていました。
取り留めの無い文章になってしまって、申し訳ありません。
何をお伝えしたかったのか、書いていて自分でも解らなくなりました。
命と死と、そして愛について、私も静かに向き合って行きたいと思います。
人は、自らの愛を語りだすと、何を語りたいのかわからなくなってしまうもののようです。
命と死と、そして愛。
それは語るよりも、静かに向き合うものだからでしょうか。
しかし、同時に、無性に語りたいものでもあるのです。
Kさんのお気持ちがよくわかります。

ちなみに、私はまだこの映画を観る勇気がありません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012/02/05

■節子への挽歌1617:「何がなんだかわからない」

節子
もう数年前ですが、わが家のポストに「私はDV冤罪の被害者」というかなり厚い資料が投函されていた事がありました。
誰が投函したのかはわからず、ちょっと気持ちの悪い感じがしました。
それで、そのことをブログに書きました
すっかり忘れていたのですが、先月、私のブログを読んだ当人からメールが来ました。
それで会うことにしました。
そして昨日、会いました。

彼は10年ほど前に奥さんと死別しました。
そこから人生が変わってしまったようです。
子供が小さかったこともあり、再婚することにし、結婚相談所に行き、そこで出会った人と再婚しました。
ところが、その相手の人が、彼に言わせればいささか異状だったようです。
彼の話だけから決め付けることはできませんが、いろいろな物証を見せてもらい、かなりの部分、彼の言い分に理があるように思いました。
しかし、その話をここで書こうとは思いません。

私が書きたいのは、伴侶と死別することが、いかに大きな打撃なのかと言うことです。
ともすれば、残された者の人生も壊れかねません。
それを超えるには、支えてくれる友人や家族が大切だと改めて思いました。
彼にも友人や両親がいましたが、小さな子供がいた故に、再婚に踏み切ったように思います。
そこでたぶん人生が変わりだしてしまったのです。

彼の場合は、良かれと思ったことが裏目に出たといってもいいかもしれません。
そしていつの間にか、彼はDV加害者にされてしまったのです。
冤罪の訴えを知ってほしいという思いが、数年前の小冊子配布になったわけです。
しかし逆にそのことが、たぶん彼をさらに孤立させ、周辺から避けられる存在になったのかもしれません。
2時間、彼と話しましたが、時に怒りが高じて、不穏な発言をすることもありましたが、本来は優しい人なのだろうと感じました。
ともかく彼の怒りを解きほぐさないといけません。
一歩間違えば、とんでもない事件を起こさないとも限りません。
伴侶の死は自らの死でもある、と前に書いた気がしますが、こういうケースも起こりうるのです。

死別した後の彼は、悲しみと不安で覆われていたと思いますが、それを乗り越えるための行動が、新たな怒りと不信を引き起こしてしまったわけです。
話している間にも、「何がなんだかわからない」と何回か話しました。
どこかで聞いた言葉だと思いました。
先日のグリーフケアのワークショップでお会いした、息子さんを亡くされた方も、確かそう言っていました。
愛する人がいなくなると、「何がなんだかわからない」状況に陥りがちです。
私も、きっとそうだったのだろうなと思いました。
いや、今もそうかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■原子力村を構成する人たち

昨年12月28日に放映されたNHK特集ドキュメント 追跡!真相ファイル「低線量被曝 揺らぐ国際基準」に対し、原子力関係者から抗議文が寄越されていることをあるメーリングリストで知りました。
早速、読んでみました。
抗議しているのは、次の3つの団体です。
エネルギー戦略研究会
日本原子力学会シニア・ネットワーク連絡会
エネルギー問題に発言する会
でした。
このことを知らせてくれた情報の発信者は、「原子力村の中核の、原発推進者、軍需産業企業、核武装推進論者」と呼んでいましたが、まあそういってもさほど間違いではないでしょう。

内容は、私にはほとんど納得できないものでした。
正直に言えば、いささか滑稽にさえ感じました。
自分たちのことを言っているのかと思うようなところもありました。

しかし、そもそも原子力の安全性に関しては誰にもしっかりした知見はありませんし、さまざまな意見や立場があるでしょうから、その是非はここでは問いません。
メーリングリストではかなり激烈な異議や非難が飛び交っていますが、私自身もどちらかといえば、それに近いです。

私が興味を持ったのは、その抗議文の最後に署名されていた112人の賛同者が全員男性だったことです。
そしておそらく全員が60歳以上ではないかと思われることです。
なぜそう思うかと言うと、そもそも中心になっているのがたぶん日本原子力学会のシニア・ネットワークだからです。
それに肩書きが「元」がついている人が多いのです。

原発事故に対する見方は、子育て世代の若い女性たちとシニア世代の男性たちとではかくも違うわけです。
立場が違えば、価値基準は全く違うわけです。
これは決して他人事ではないなと、自戒しました。

ちなみに、抗議文は次のサイトに掲載されています。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/aesj/snw/media_open/document/nhk_kougi120112.pdfまたすでにさまざまなブログなどで、話題として取り上げられています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/04

■傭兵と義勇兵

イギリスの人権団体「シリア人権監視団」が4日明らかにしたところによれば、反政府デモへの弾圧が続くシリアの中部ホムスで、政府軍による砲撃で200人以上の市民が死亡したということです。
こうしたニュースを見ていていつも思うのですが、なぜ兵士は同じ国に住む市民に向けて発砲できるのだろうかと言うことです。
兵士もまた市民の一員ですから、発砲の先にはもしかしたら知人がいるかもしれません。
常識的に考えると、発砲はできないはずですが、200人以上とはいかにも多い。
もしかしたら、傭兵が軍隊を構成しているのでしょうか。
そう考えたくもなります。

1930年代のスペイン戦争には、多くの義勇兵が世界中から集まったといわれています。
日本人も一人参加しています。
しかし、おそらくシリアの内戦には、そういう義勇兵は参加していないでしょう。
銃に向かって立ち上がっているのは、シリアの若者たちでしょう。
私には祈るだけしかできませんが、そうした人たちがいることに希望を感じます。

傭兵と義勇兵とは、全く違う存在です。
いわば企業の雇用労働者とNPOのボランティアとの違いです。
雇用されていたらお金で動きますが、ボランティアは大義で動きます。
傭兵は国家の権力者を守りますが、義勇兵は国民の生活を守ります。
銃の口先が正反対なのです。
いや義勇兵が向ける銃の先は人ではなく権力です。

マルチチュード革命を提唱するネグリは、最近の世界各地の抗議運動に、新しい民主主義を期待しています。
私もそれに共感していますが、もしそうであれば、スペイン戦争のような動きが出てきてもいいはずです。
しかし、そうした義勇兵の動きは、年々、後退しています。
それを考えると、ネグリに「新しい民主主義」は幻想のようにも感じられます。

何が一体違うのか。
若者の目が向いているところが違っているのかもしれません。
フェイスブックの上場が話題になっています。
その時価はなんと7兆円を越すそうです。
若者の目は、シリアよりも、そこに向いているのかもしれません。
義勇兵など、今の若者には興味がないのかもしれません。

フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグも、アップルのジョブズも、私は全く好きにはなれません。
私はほとんど誰とでも仲良くできる八方美人的な人間ですが、ザッカーバーグやジョブズは,好きにはなれません。
ああいう人たちが若者に人気があるような社会は、私には極めて住みづらい世界です。
彼らは、私には「新しい民主主義」の敵としか思えません。
しかし、その私の嫌いなザッカーバーグやジョブズが、新しい民主主義の地平を開くツールを創りだしているわけです。
それを考えると、彼らは間違いなく「新しい民主主義」の味方です。
彼らは、傭兵なのか義勇兵なのか。
なかなか悩ましい問題です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1616:涙の幸せ

節子
今日は誕生日ですね。
みんなで一緒にケーキを食べられないのがさびしいです。

テレビの報道特集で、お墓のない人が首都圏には100万人もいるということを知りました。
そのなかで、海に遺灰を散骨する人の話が紹介されていました。
お子さんのいないご夫妻で、前からお2人で決めていたのだそうです。
奥様が64歳で病気で亡くなられたのですが、散骨の様子が映像で流されました。
海に遺灰を戻すことを選ばれた人たちが、船で沖合いに出て、祈りながら散骨する風景です。
カメラがあったせいもあると思いますが、その方はしゃんとしていましたが、船に乗る前に、もう一度の別れのさびしさを口にしていました。
娘と一緒にテレビを見ていたのですが、またもや私は泣いてしまいました。

それにしても、どうしてこんなに涙が出てくるのか不思議です。
しかし、必ずしも悲しいからではないのです。
悲しいとか辛いとか、そんな感情はもうかなり前に超えています。
ところが、ただただ涙が出てくるのです。

実はその前に、新日本紀行の「聖地」の録画を見ていました。
そこでも死者を祀るシーンが何回か出てきました。
一心不乱に祈る若者の姿もありました。
それを見ていて、やはり涙が出てしまいました。
繰り返しますが、悲しいからではないのです。

ではなぜ涙が出るのか。
うまくいえないのですが、涙が出ることで、なぜかとても幸せな気持ちになれるのです。
なにやら「あったかなもの」が私を包み込んでくれるような、あるいは彼岸の節子に少しだけつながったような、そんな気分にさえなるのです。

今日は節子の誕生日。
誕生日が来ても歳をとらなくなってから、もう5回目の誕生日です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1615:今年は豆まきはやめました

節子
昨日は節分でしたが、今年は豆まきをやめました。
節子がいたらさぞ嘆くことでしょう。
節子は節分に生まれたので節子と命名されたと、昔、聴いた気がします。
私が書いた結婚通知の文章に、たしか「妻は節分に豆をぶつけられる鬼の涙のように、やさしい人です」と書いたような記憶があります。
どこかにその文章が残っているのですが、手元にないので確認はできませんが。

私は、昔から「鬼」が好きでした。
小学3年の時に小学校の学芸会で、「泣いた赤鬼」の赤鬼を演じて以来です。
その劇の最後のシーンで、私は舞台で実際に泣きじゃくるほど泣いてしまった記憶があります。
鬼は、やさしいのです。

それもあって、わが家の豆まきは、「鬼は内、福も内」でした。
福はほかの家でも歓迎される、しかし鬼はこの寒い夜にどこにも受け入れてもらえないとしたら、それは情に合いません。
節子もそれに賛成してくれ、「鬼は内、福も内」と声を出して豆まきをしていました。

しかし、節子が病気になり、その頃からわが家にはさまざまな問題や苦労がやってきました。
節子を見送った直後の節分の時には、もしかした鬼を内に招きこんだ結果ではないかとさえ思ったほどでした。
そのせいで、「鬼は内、福も内」の声も小さくなりました。
それに、娘たちは、あんまり納得しておらず、「福は内、鬼は外」のほうがしっくりくるようでした。

今年は、とても寒い夜でしたが、鬼を内に呼び込むのをやめることにしました。
もう「不幸」は呼び込みたくなかったのです。
娘も賛成で、豆まきは中止になったのです。
娘も、鬼を招きこむ豆まきにはどうも反対だったようです。

今朝は朝からとても良い天気でした。
しかし朝からいろんなことがありました。
訃報も届きました。
どうやら最近のわが家の不幸続きは、鬼のせいではなかったようです。
来年からまた、「鬼は内、福も内」は復活させようと思います。
鬼を疑ったことを恥じています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/03

■節子への挽歌1614:シルバーバーチの霊言

極めて長い年月を「3千年」と表現します。
リチャード・モーリス・バックの「宇宙意識」を読んでいたら、3千年前に人類の中に「宇宙意識」が芽生えだしたと書かれていました。
関係があるのでしょうか。

今朝、読者からいただいたメールは、「シルバーバーチの霊言」でした。
書き出しが「死は愛する者どうしを裂くことは絶対にできない」という霊訓ですが、その方はこの言葉に出会って、救われたと書いてきました。
その方も、つい最近、大きな喪失体験をされたのです。

シルバーバーチは、つい30年ほど前まで活動していた霊界の預言者ですが、さまざまな霊媒を通して、さまざまなメッセージを残しています。
私は名前は知っていましたが、その霊言はきちんと読んだことがありませんでした。
その方は、その一部を送ってきてくれました。
ちょうど「宇宙意識」を読み終えたところだったので、すんなりと心身に入ってきました。

しかし、最近はそうしたこともなんだか瑣末なことのように思えてきました。
むしろシルバーバーチよりも半世紀ほど前に活動したバックに共感するところが大きいです。
バックは36歳の時に霊的体験をします。
今回はその話を紹介して挽歌とすることにしました。
いささか手抜きではありますが、節子も許してくれるでしょう。
「宇宙意識」からの引用です。一部省略したりして要約しています。

それは、著者が36歳になったばかりの早春のことでした。突然、何の前触れもなく、著者は自分自身が炎のような輝かしい色彩の煙に包まれていることに気が付きました。一瞬、火事か、大都会で突然大火災でも起こったのではないかと思いましたが、次の瞬間、その光が自分自身の内部にあることを知りました。その直後、高揚感のような限りない喜びの感覚がもたらされ、それと共に、あるいはその直後に、筆舌に尽くしがたい知的啓示がもたらされました。
そして、宇宙が死んだ物質ではなく、生きた存在であること、人間の魂が不死であること、宇宙は、あらゆるものが必ず個と全体の善のために協働して働くように作られ、秩序づけられているということ、世界の根本的な原理が我々が愛と呼ぶものであること、万人の幸福が長期的には絶対に確実であることを理解しました。そのことを信じるようになったのではなく、理解し、知ったのです。
残念ながら私はまだこうした体験に出会っていません。
しかし、最近、少しだけですが、そうした世界が垣間見える気がしてなりません。
此岸で、こうした光に出会いたいと思いますが、私も節子と同じように、彼岸への旅立ちの直前にしか体験できないのかもしれません。
節子に先を越されたのがちょっとだけ残念です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■節子への挽歌1613:進化と汎化

節子
今日もとても寒いですが、気持ちのいい快晴の朝でした。
昨夜、布団に入ってから、「アンナ・カレーニナの原則」のことがまた頭に浮かびました。
挽歌で書いたのは、さまざまな不幸の先にある「一つの気持ち」のことでした。

トルストイが書いたように、不幸は「さまざまな表情」を持っています。
しかし、その先には「ひとつの表情」があると考えると、これはリチャード・モーリス・バックの「宇宙意識」につながると気づいたのです。
節子が隣にいたら、起こして話すところですが、残念ながらいまは隣には誰もいません。
そこで挽歌で書くことにしました。

言葉と概念は切り離せません。
そして、人は、まず一つの言葉から、言葉の世界、つまり概念の世界に入っていきます。
赤ちゃんが最初に覚える言葉は「まんま」でしょうか。
それはともかく、成長に従って言葉は増えていきます。
言葉の増加は概念の世界の拡大と深化です。
世界は多彩になり、さまざまなものが表情をもって輝きだします。
バックは、それを「進化」といいます。
人類の祖先はアフリカ大陸に生まれた一人の女性だとよく言われますが、そこからさまざまな人種に分かれていく、それも進化です。
時評編で虹の色のことを書きましたが、人が認識する色は、昔は黒と赤だけだったそうです。
それがいまや500万種の色を認識できるとさえいわれています。

子供は、感性が素直ですから、言葉に邪魔されずに、事象を直感します。
しかし言葉が不足しているために、概念化はできません。
そのため、他者の悲しみは、ほとんどが同じにように考えてしまう。
あるいは、違いが整理できずに混乱してしまう。
そんな気がします。
他者の悲しみの違いが、それぞれに理解できるためには、たくさんの言葉(概念)を持っていなければいけません。
言葉だけではなく、意味を踏まえた言葉という意味です。
そのために、そうした世界の現実にどのくらい関わったかが大切になってきます。
不幸を自らで体験した人ほど、言葉は豊かなはずです。
だからこそ、わずかな表情の違いに気づけるのです。
言葉(語彙)の豊かさは、世界の豊かさに通じています。
虹を5色と見るか7色と見るかの違いが、そこから生まれます。

しかし、実はその先に意識は進みます。
さまざまな表情の奥にあるものを「汎化」されて、そこから一つのメッセージが伝わってくるようになります。
虹が5色だろうと7色だろうと、そんなことはどうでもいい話で、虹は虹そのものなのです。
そう考えると、虹と自分がつながってきます。
バックの言う「宇宙意識」とはちょっと違うかもしれませんが、自らの自己意識を包み込んだ意識が生まれてくる。
そして、そこに立つと、自分も相手も、さらにさまざまな不幸の表情が、あるいは幸福の表情さえもが、つながって感じられるのです。
ここまでくると、なにやら般若心経の世界にもつながってきます。

朝からなにやら理屈っぽいことを書いてしまいましたが、昨夜はもう少し直感的に新しい気づきがあったような気がしたのですが、言葉に書いていくうちに、自分自身にも少し違和感のあるような説明になってしまいました。

ちなみに、今朝、この挽歌の読者から、アメリカ先住民のGreat Spirit に関するメールが届きました。
これもたぶん決して偶然ではないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012/02/02

■節子への挽歌1612:平板な時間

節子
今年は大雪の年です。
各地が雪で埋まっていますが、私は最近、いろんな人たちからの宿題で埋まりそうです。
挽歌を書く時間も最近はままなりません。
どこかで何かを間違えています。
机の上には、やらなければいけない事がリストアップされていますが、それが減る気配はなく、1つ終わると2つ増えているという感じさえあります。
困ったものです。
しかし挽歌もそうそうためるわけにはいきません。

節子がいなくなってからの生活は、考えてみると実に「平板」です。
変化がないのです。
メリハリがないといってもいいでしょう。
忙しい時にはすべての時間が忙しく、暇な時にはすべての時間が暇なのです。
忙中閑有り、という気分にはなれません。
言い換えれば、生への執着や変化への欲求が極端に低下しているのかもしれません。
あるいは、感情の密度や質が劣化しているのかもしれません。
ともかく「時間が輝いたり曇ったりしない」のです。

こう書きながら、我ながらどうもしっくり来ないなと思いますが、時間が、あるいは生活が平板になってしまったという思いはずっと感じています。
明らかに節子がいなくなって以来です。

平板になったからといって喜びや悲しみがなくなったわけではありません。
うれしいことも悲しいこともある。
しかし、それを体験することが、逆にむなしさとさびしさを引き起こします。
そうした思いを分かち合う伴侶がいないからです。
不思議なのですか、娘とは、そうした思いは分かち合えません。
なぜでしょうか。
そこに、夫婦の意味があるのかもしれません。

実は、最近の忙しさは、そうした平板さを変えたいという、私の無意識な思いが引き起こしているのかもしれません。
実は誰かから頼まれるわけでもなく、もちろん対価を得る仕事としてでもなく、自らが創りだしている宿題がほとんどなのです。
節子がいたら、節子との時間を増やすために、そんな宿題を創りだす気にもならないのかもしれません。

しかし、もしかしたら、と思います。
節子がいた時も、今と同じように、やらなくてもいい仕事を引き受けては、節子に笑われていたような気もします。
でも、その頃は、私の生き方を笑いながら理解してくれる節子がいました。
同じことをやっていても、時間も生活も平板ではなかった。
それだけは間違いない事実です。
人は何のために生きるかではなく、誰のために生きるか。昔そんなことを書いたことを思い出しました。

さて、今日ももう一つ宿題を減らしましょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

■「想定外」という言葉の示唆すること

昨日、原発事故後の技術者の倫理に関して、NPO法人科学技術倫理フォーラム代表の杉本さんとかなり密度の高い議論をさせてもらいました。
杉本さんと私とは、原発に対する考え方は大きく違いますが、お互いに議論する基盤は共有しています。
また杉本さんは、私が尊敬する先輩でもあります。

このブログでも時々書いていますが、原発事故後の科学技術者の対応に関して、私はかなりの怒りと不信感を持っています。
原発の科学技術者という意味ではありません。
科学技術者すべてに対してです。
それで、技術者倫理に実践的に取り組んでいる信頼できる杉本さんに議論したいと申し込んだのです。
杉本さんの影響力は、私と違って大きいからでもあります。

私の問題提起のうち、ひとつだけ少し紹介します。
それは、「想定外」という言葉の無責任さになぜ科学技術者仲間たちは異議申し立てしないのかということです。
技術者は、「ある前提を想定した論理の世界」で仕事をしています。
それに対して科学は、「理解可能な世界」を広げようとする活動です。
科学は当然ながら、その世界を広げようとして、その周りにある「現在は理解不可能な世界」を想定しています。
現実には「理解不可能な世界」の周辺に、想像できない世界があることも多くの人は知っています。
私たちは、そうした4つの世界を生きているわけです。
技術者も当然、そうです。
つまり、技術者は「ある前提を想定した論理の世界」で仕事をしていますが、その世界でのみ生きているわけではありません。

「想定外」とは、その人の生き方を示す言葉です。
原発技術者が「今回の事故は想定外」と言うとき、その人は「前提に置かなかった」という意味で使っているように思います。
しかし普通の生活者は、「想定外」という言葉で「想像を超えた」という受け取りをするでしょう。
ここに科学技術者の、科学技術者らしからぬ、大きなごまかしを感じます。
実は問題は「起こりうるはずの条件を前提にせずに原発を設計し運転していた」ということなのですが、それが「想像を超えるような大きな災害だったので科学技術者の責任ではない」ということをほのめかす言葉に意図的に誤解させることになっているのです。
実際にそう思っている人は少なくないでしょう。
しかし、そこにこそ大きな問題があります。
もっと言えば、原発の安全を保証し、原発コストを安価にするために、その前提が決められたということです。
そこをしっかりと認めなければ、その後の発想も体系も変わりません。
ストレステストなどナンセンスです。

これはリスクの捉え方にもつながっています。
いま語られている安全議論は、「経済性を考慮して管理されたリスク」を対象とする「閉じられた安全性」でしかありません。
それに対して私たち生活者にとって意味があるのは、「実際に起こりえるリスク」を対象とした「開かれた安全性」です。

とまあ、こんな議論をかなり激烈にさせてもらいました。
いろいろと合意できたことはあるのですが、1回だけの議論では限界があります。
もう一度議論することにしました。
今度はもう少しメンバーも増やそうと思っています。

しかし、科学技術者は、科学技術のこれからのあり方を考えるためにも、こうした議論を起こすべきです。
そもそも「想定外」への挑戦が、科学技術の本質でした。
にもかかわらず、技術者が「想定外」と言い訳して、事実を総括しようとしない現状に、仲間の科学技術者が大きな声を上げないのは私には不思議です。
科学技術者がみんな腐っているかとしか思えません。
技術への不信感の広がりに大きな危惧を私は感じています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »