■節子への挽歌1624:「愛とは裁かないこと」
節子
この挽歌に出てくる節子は、かなり「美化」されているようです。
ある本を読んでいたら、ロンドン大学の神経科学研究者のチームが、愛情と脳の活動の関係を調査した話が出ていました。
愛する人のことを思っている時、人の脳は、否定的な感情や社会的な判断を司る領域の活動が止まるのだそうです。
つまり、「愛によって脳に化学反応が引き起こされ、愛する人について批判的に考えられなくなる」というのです(「見て見ぬふりをする社会」)。
「愛とは裁かないこと」であると証明されたと、その本の著者は書いています。
なるほど、と思いました。
「愛は盲目」とよく言われますが、なぜ盲目になるかがわかったわけです。
「似たもの夫婦」になっていくことも、このことから説明できるでしょう。
相手を批判できずに美化するということは、自らの生き方もそれに無意識に合わせていくことを意味します。
そして、自らをも裁かないということにもなりかねません。
これはいささか危険を伴います。
裁きも批判もない、全面的に肯定的な夫婦や親子の関係は、危険もあれば至福もあります。
危険と至福は、まさに紙一重、ちょっとしたところから関係は反転します。
しかし幸いなことに、私と節子の関係は破綻することはなくなりました。
私の節子像は、批判にさらされることなくどんどん美化されていくからです。
さて今現在で、どのくらい「美化」されているのでしょうか。
美化されればなされるほど、節子を思うほどに私の精神は満たされるのだそうです。
そして、その「素晴らしい節子」の喪失体験に比べたら、いまや何を失ってもそうたいしたことではないような気分になれるのです。
大きな落し穴にはまらなければいいのですが。
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