■節子への挽歌1618:「永遠の僕たち」
節子
この挽歌で知り合ったKさんがだいぶ前にメールを下さいました。
そこで、最近観た映画のことを教えてくれました。
映画は「永遠の僕たち(原題Restless)」。
ヒロインが脳腫瘍の再発で余命3か月と診断されてから、旅立っていくまでのストーリーだそうです。
「命、愛、そしてTeenの純粋な心が、秋から冬へ向かう美しい景色のなかで光り輝いていました」とメールに書いてありました。
Kさんは最近、昔、愛していた女性の死を知りました。
よほど深く純粋な愛だったのでしょう。
その死を知って以来、Kさんの人生は変わったようです。
愛とは、実に不思議なものだと、改めて思います。
それはともかく、Kさんは、こう書いています。
近年、命と死をテーマにした映画が増えているそうです。100年ほど前に、リチャード・モーリス・バックが語ったことが、まさにいま、起こっているのかもしれません。
私には感性の研ぎ澄まされた芸術家たちの心が、私のような凡庸な一般人に先立って、「命」と「永遠」というテーマに敏感に反応し始めたからではないかと、感じられます。
宗教家や哲学者ではない、死や命の問題を専門領域にしていない人々がこれらのテーマに同時並行的に取り組みだしたことは、われわれの意識が徐々に変化してきていることの証左ではないかと思うのです。
感性の敏感な彼らの間には、明らかにシンクロニシティーが起きている。
「命とはなにか」「死とは何か」に、研ぎ澄まされた彼らの意識が向いている。
荒々しく迫るようにそれらの「意義」を問いつめるのではなく、静かにそれと向き合い、優しく見つめる視点が彼らにはあります。
Kさんは、この映画を観て、人間の「命」が永遠のものであること、死によって失われるものではないことを確信したようです。
メールの最後にはこう書かれていました。
取り留めの無い文章になってしまって、申し訳ありません。人は、自らの愛を語りだすと、何を語りたいのかわからなくなってしまうもののようです。
何をお伝えしたかったのか、書いていて自分でも解らなくなりました。
命と死と、そして愛について、私も静かに向き合って行きたいと思います。
命と死と、そして愛。
それは語るよりも、静かに向き合うものだからでしょうか。
しかし、同時に、無性に語りたいものでもあるのです。
Kさんのお気持ちがよくわかります。
ちなみに、私はまだこの映画を観る勇気がありません。
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コメント
命というテーマで、現在進行で自分も「ヨナ記」を題材に、映画作りではありませんが創作してました。
感性が研ぎ澄まされた結果だとか、同時多発現象の一端だとかは知りませんけれど。
投稿: 2933 | 2012/02/08 07:10
2933さん
ありがとうございます。
作品は公開されていますか?
投稿: 佐藤修 | 2012/02/12 09:15