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2012/02/20

■節子への挽歌1630:さぁ 春だ

節子
今日の陽射しには、少し春の気配を感じます。
不思議なもので、春をイメージすると、気分が前向きになっていきます。
私の心身の中にいる節子も動き出しそうです。

寒さのせいもあったかもしれませんが、年明け後ずっと、私の周辺では重い話が多かったです。
また自分から進んで、重い話に近づこうという奇妙な気持ちもありました。
そのせいか、この数週間、時間的にも精神的にも、とても不安定な状況を続けていました。
それが、今日の春を感じさせる陽射しを受けて、変わったような気がします。
さぁ 春だ! 気分を変えていこう! というような感じです。
まあ一時的な「気のせい」かもしれませんが。

春は桜の季節です。
節子の胃がんが再発する前の年の今頃、河津桜を見にいきました。
まだ少し早くて寒かったですが、桜は咲いていました。
その頃は、節子に引っ張られて各地の桜を見に回りました。
節子はすでに病気の中にいて、たぶん不安を抱えていたでしょうが、私よりも行動的で、私をいつも引っ張り出してくれました。
節子のすごさを感じたのは、節子が病気になってからです。
不安を抱えていたでしょうが、いつも明るく、私を元気づけてくれました。
しかも、それが実に自然なのです。
時に、節子が病気であることさえ、忘れてしまうほどでした。
節子が病気にならなかったら、私はこんなにも節子に惚れ込まなかったかもしれません。
ほんとの節子に気づかないまま、まあそれなりの夫婦で終わったかもしれません。
それでもまあ、ほどほどに良い夫婦だったとは思いますが。

節子がいた頃、仕事に埋没しがちな私に春を気づかせてくれたのは、節子だったのかもしれません。
そういえば、近くのあけぼの山公園のチューリップ畑にも毎年誘ってくれました。
節子がいなくなってから、あけぼの山公園のチューリップもコスモスも、見なくなりました。
桜も、です。
私にとって、春はどうでもいい季節になったのです。

この5年、私はずっと春を感じたくない気分だったような気もします。
お花見を誘われて行ったこともありますが、桜は心にはうつってきませんでした。
今年はもしかしたら、お花見にも行けるかもしれません。
これも、いまの春めいた陽射しのせいでしょうか。

わが家は幸いに高台にあり、東側が比較的開けていますので、午前中は強い日差しが飛び込んでくるのです。
その陽射しの中にいると気分が明るくなります。
まるですぐそこの庭で、節子が花の手入れをしているような雰囲気です。

この高台の家も、節子が見つけて手に入れてくれました。
それも実に節子らしいやり方で、です。
節子は実に魅力的な女性でした。
まあ、しかしそれは、私にとってだけかもしれません。
娘たちにとっては、かなりいい加減な母親でしかないようですし。

今日は節子の笑顔のような、とてもあったかくなる陽射しです。
家から出かけるのが心残りです。

でもまあ、今日は約束があります。
節子
心残りですが、行ってきます。
夜は遅くなります。

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