■節子への挽歌1637:八尾さんの献花式
節子
八尾さんの献花式に行ってきました。
八尾さんは、節子も会ったことがありますが、山城経営研究所の2代目の代表です。
経営道フォーラムの活動を起こした市川さんが行をしたいといって、山に入った後、それを継いで2代目の代表になりました。
八尾さんは松下電送の社長をされていましたが、その経営者としての実体験を踏まえて、市川さんとはまた違った特徴を持ち込み、多くの企業経営幹部から慕われていました。
数年前に3代目に譲られ、ご自身は長野の小諸に庵をつくって、転居されていました。
陽明学に通じていて、まさに知行合一の生き方をされていたように思います。
昨年末までお元気で、病のそぶりなどなかったとお聞きしていましたが、大晦日の日に足にむくみが出て奥さんの勧めで病院に行ったところ、入院になったそうですが、なんと翌日の元旦に息を引き取られたというのです。
まさに八尾さんらしい生き方、逝き方です。
献花式にはさまざまな人が参会し、私も久しぶりの方々にお会いしました。
その中に、味の素の会長だった歌田さんがいました。
声をかけると私を覚えてくださいました。
もう会社を引退されてから20年近くになると思いますが、お元気そうでした。
私はテレビの経営者インタビュー番組の企画に関わったことがあるのですが、制作費がなくてインタビューを私がやることになりました。
私には全く不得手なことでしたが、12回だけ引き受けました。
その最初のインタビュー相手が歌田さんでした。
番組の最初に街中で私が歌田さんを数分だけ紹介するシーンがあるのですが、それまでそんなことを体験したことはなく、原稿を書いて話す練習をしました。
その時、家族に聞いてもらい、コメントをもらったのですが、何回も練習したので、わが家の家族の間では「歌田さん」が有名になったのです。
その後、歌田さんがテレビなどに登場すると、節子が私を呼んだりしていたのです。
その歌田さんに久しぶりにお会いしたのです。
他にも懐かしい人たちにお会いしました。
献花の後、市川さんとエレガンスの棚沢さんとお茶を飲みました。
この2人は節子もよく知っています。
2人を別れて、帰り道にハッと気づきました。
そういえば、市川さんの比叡山での得度式に、八尾さんと棚沢さんと私とで行ったのです。
もしかしたら、八尾さんが3人を集めたのかもしれません。
大勢の参加者の中で、偶然にも同じ時間に、同じ場所に居合わせたのは、八尾さんの仕業に違いありません。
節子
彼岸で八尾さんに会ったら、よろしくお伝え下さい。
もう一度、此岸でお会いしたかったです。
八尾さん
ありがとうございました。
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