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2012/02/14

■節子への挽歌1625:家族の2軸

節子
先日、家族ってなんだろうかと言うようなテーマで、カフェサロンを開催しました。
さまざまな人が集まりました。
仕事よりも家庭よりも地域の祭でがんばっていて、毎年、年末年始の家庭団欒は体験したことがないという50代男性。
まだ親元で暮らしているのに、家族以上に仲良しの仲間が自分にとっての家族だという30代女性。
結婚の時に相手に絶対服従を条件にしたのに関係が逆転してしまった70代男性。
実の親と並んで、もうひとりの「日本のお父さん」を持っている韓国からの留学生。
男友達は多いのに、なぜか結婚していない40代女性。
結婚しているのに、なぜか独身者的行動の多い50代男性。
それに私です。

そもそもこのサロンは、最近、血のつながりのない「家族」のドラマや映画が多い気がすると、ある人が言い出したのがきっかけでした。
家族と血縁は、どうも多くの人には深く重なっているようです。
でもそんなことはありません。

家族には2つの軸があります。
「夫婦軸」と「親子軸」です。
後者は多くの場合、血のつながりがありますが、前者は全くありません。
家族の基本軸は夫婦軸だと思っている私にとっては、家族と血縁はあまり重なりはしないのです。
それに、そもそも「家族」とは「家を同じくする」と言うことでしょうから、暮らし方の形態でしかありません。
そこを混同すると、いろいろとややこしい問題が発生するわけです。

まあそれはそれとして、私も節子も、親子軸よりも夫婦軸を基本に考えていました。
娘たちにとっては、それは大きな不満のタネだったでしょう。
お母さんは娘よりもお父さんを大事にしていた、と、たぶん娘たちは思っています。
私も、同じように思われているでしょう。
もちろん、夫婦と親子とは、その愛情の種類が違うようで、比べることはできません。
もし私たち家族が事故にあって、誰かが犠牲になるという状況になったら、おそらく私たち夫婦は躊躇なく、自らを犠牲にし、次に伴侶を犠牲にしたでしょう。
これに関しては、絶対の確信があります。
にもかかわらず、娘と節子とどちらを愛しているかと問われれば、私は躊躇なく、節子と答え、節子は私と答えたでしょう。
わが家は夫婦軸の家族だったのです。
血のつながりがないからこそ、私たちは純粋に愛し合えたのです。

私にとって、節子はまさにかけがえのない、唯一人の人なのです。
早くもう一度会いたいものです。

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