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2012/02/28

■節子への挽歌1639:水仙

庭の水仙が咲き出しています。
寒さは相変わらずですが、少しずつ春が見え出しています。

先日、娘たちが押入れの整理をしていたら、まだ使われたことのない新品のパジャマが2着出てきたそうです。
入院用に用意していたのでしょう。
節子は自宅療養でしたが、家族に迷惑をかけたくないと入院も覚悟していたのです。
迷惑をかけ合うのが家族だと私は思っていますが、節子は私や家族への迷惑をいつも軽くしようという思いを持っていました。
いつもみんなに迷惑をかけてごめんね、と言っていました。
もちろん、私はそう言わせないように努めましたが、節子は、そういう人でした。
もし、私と節子との立場が逆転していたら、どうでしょうか。
たぶん私も同じようになるかもしれません。
40年も一緒に暮らしていると、言動は似てくるものです。

私たちは、最初から同じ考えや気質だったわけではありません。
むしろ考えはかなり違っていました。
それが次第に近づき、いつの間にかお互いの考えに自然と共振してしまうようになりました。
相手が感じていることや考えていることが、なんとなくわかるようになっていました。
お互いに腹の底まで、心の奥まで、分かり合えていたのです。
そして相手のことがすべて肯定的に受け容れられたのです。
いや、正確に言えば、そうなりつつあったと言うべきでしょう。

私は節子の言動のすべてが好きでした。
もしかしたら、節子の言動の中に、自分自身も重ねていたのかと思うほど、好きでした。
節子に何かを問う時は、その答えはほとんどわかっていたのです。
節子も、そうだったかもしれません。
私たちは、私たちが好きだったのです。

庭の水仙を見ながら、一緒に住みだす前、修さんはナルシストだからと言われたのを思い出しました。
若い頃、私は私が大好きでした。
だからだれもが好きになれたのですが。
自分を愛せれば、他者も深く愛せます。
しかし、節子と長年暮らしているうちに、私は自分よりも節子が好きになりました。
その節子がいなくなって、「私たち」は壊れてしまった。
改めて、私たちは本当に私たちが好きだったんだなあ、と思いました。

週末には水仙をお墓に届けようと思います。

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