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2012/02/20

■節子への挽歌1629:夢判断

節子
久しぶりに節子の夢を見ました。
最近、挽歌を書いていないので、その督促かもしれませんね。

夢の中での節子は私とは別行動をしていました。
夢は湯島で毎月開催しているオープンサロンでした。
これは毎月最後の金曜日に定期的に開催していた、誰にでも開かれた気楽な集まりでした。
誰が来るか私たちにもわからない集まりでしたが、いつも節子が受け入れ準備をしてくれていました。
節子がいなくなってからしばらくはやめていましたが、今はまた細々と再開しています。
しかし節子がいた頃のような雰囲気は全く戻ってはきません。

そのオープンサロンが夢に登場したわけです。
最初は節子と2人で準備しているような感じでしたが、そこに人が集まりだしました。
節子の知っている人もいれば、知らない人もいました。
私はそのうちのある人とかなり話しこみました。
その人は最近久しくお会いしていない人ですが、節子も知っている人です。
しかし、気がついてみると、話し合いの輪っかが2つに分かれてしまっていました
節子は向こうに、私はこっちにと、いう感じです。
そして、いつの間にか節子が消えてしまったのです。
いつもは節子の夢を見た時にはあったかい気持ちが残ります。
でも昨夜の夢は、目覚めたあとに、そういう気分は残っていませんでした。

まあたいした話ではありません。
「夢判断」とか「夢占い」とかには、私はあまり興味はありません。
しかし、時に自分が見た夢について、考えることがあります。
そこから何かのメッセージを得たくなることもあるのです。
節子との別れのあとには、何回か、彼岸に続く電車や駅の夢を見ました。
2つほどは実に生々しいイメージを受けた夢もありました。
起きてからその駅の名前をネット検索したほどです。
もちろん見つかりませんでした。
しかし、最近はそうした夢は全く見なくなりました。
彼岸願望は消えたのかもしれません。
最近は節子が向こうから会いに来るのです。

夢に関していえることは、節子がいた頃といなくなってからは、見る夢が違っているということです。
これは少し不思議ですが、それまで繰り返し見てきた夢を見なくなったのです。
もっとも夢に関する記憶はとても曖昧ですから、これまで見ていた夢と思っているのが本当にそうなのかは確信が持てません。

しかし、夢が現実とつながっていることは間違いありません。
今朝、起きて、フェイスブックを開けたら、なんと昨夜の夢で久しぶりにオープンサロンにやってきた人からメッセージが届いていないのです。
それも昔を懐かしむメッセージです。
とすると、昨夜、夢で見た節子の行動ももしかしたら何らかの意味を持っているのかもしれません。
最近、いろいろと問題続きで、いささか頭が疲れています。
これ以上、頭を悩まさせないでほしいものです。
節子はきっと、彼岸から、最近の私の混迷ぶりを楽しんでいるのでしょうね。
困ったものです。

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