■節子への挽歌1616:涙の幸せ
節子
今日は誕生日ですね。
みんなで一緒にケーキを食べられないのがさびしいです。
テレビの報道特集で、お墓のない人が首都圏には100万人もいるということを知りました。
そのなかで、海に遺灰を散骨する人の話が紹介されていました。
お子さんのいないご夫妻で、前からお2人で決めていたのだそうです。
奥様が64歳で病気で亡くなられたのですが、散骨の様子が映像で流されました。
海に遺灰を戻すことを選ばれた人たちが、船で沖合いに出て、祈りながら散骨する風景です。
カメラがあったせいもあると思いますが、その方はしゃんとしていましたが、船に乗る前に、もう一度の別れのさびしさを口にしていました。
娘と一緒にテレビを見ていたのですが、またもや私は泣いてしまいました。
それにしても、どうしてこんなに涙が出てくるのか不思議です。
しかし、必ずしも悲しいからではないのです。
悲しいとか辛いとか、そんな感情はもうかなり前に超えています。
ところが、ただただ涙が出てくるのです。
実はその前に、新日本紀行の「聖地」の録画を見ていました。
そこでも死者を祀るシーンが何回か出てきました。
一心不乱に祈る若者の姿もありました。
それを見ていて、やはり涙が出てしまいました。
繰り返しますが、悲しいからではないのです。
ではなぜ涙が出るのか。
うまくいえないのですが、涙が出ることで、なぜかとても幸せな気持ちになれるのです。
なにやら「あったかなもの」が私を包み込んでくれるような、あるいは彼岸の節子に少しだけつながったような、そんな気分にさえなるのです。
今日は節子の誕生日。
誕生日が来ても歳をとらなくなってから、もう5回目の誕生日です。
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コメント
お久し振りでございます。
いつも読ませていただいております。
今日の涙の幸せ…私も読ませて頂いて、共感と優しさを感じて温かい気持になりました。
悲しいとか、辛いとか~超えた気持。時に悲しさにやりきれない時もありますが、でも、なんでしょう
か。読ませて頂いて思うのは、それは慈愛ー慈悲かなって思いました。
悲しみすぎると、優しみを感じるようになりました。何を見ても、優しい気持になれます。不思議です
ね。
節子様のお誕生日を迎えて、佐藤様が慈しみを感じられるのは、きっと、ご夫婦様の心がつながってお
られるからだと思いました☆
投稿: ライム | 2012/02/04 21:13
ライムさん
いつもありがとうございます。
実は、私も、
「時に悲しさにやりきれない時もあります」。
思ってもいない自分に気づくこともあります。
まだまだほんとは安定していないのです。
この頃、挽歌がどうも支離滅裂な気がしています。
書いていて、感じます。
でもこうしてコメントを貰うとホッとします。
ありがとうございました。
投稿: 佐藤修 | 2012/02/04 21:42