■節子への挽歌1635:懺悔1:鬼の修
節子
昨日、ある活動を一緒にやっている人からいろいろと厳しい意見をもらいました。
「佐藤さんは人を追い込んでいって、逃げる隙を与えない」と言われたのです。
そして一緒にやっていくのはもう限界だとも言われました。
4時間も、いろいろと話し込んだなかでの話です。
その言葉を聞いて、すぐに節子のことを思い出しました。
節子も時々そう言って、私をたしなめました。
久しぶりに聴く言葉でした。
節子は、私を「仏の修」と「鬼の修」が同居していると言っていました。
そして、「鬼の修」をとても嫌っていました。
その「鬼の修」とは「追い込む修」です。
節子は時々、私に追い込まれていたのでしょう。
節子がいた頃もそれに気づいて謝ったことはありますが、節子がいなくなってからは、思い出しても謝れないので、ただただ辛いだけです。
節子からよく言われた言葉は他にもあります。
修は強いから、弱い立場の人のことがわからないのよ、とも言われました。
理詰めで責められたら反論もできない、とも言われました。
言葉がうまいからとも言われました。
私にも言い分はありますが、節子は、そうした私が好きではありませんでした。
歳を重ねるに連れて、節子は私との付き合い方に慣れてきました。
鬼の佐藤になる前に、かわすことを身につけました。
まあ、簡単に言えば、ハイハイと聞き流すわけです。
意見が対立してもある程度まで言い合うと、ハイハイで終わってしまうわけです。
そして、私が自分の間違いに気付いて後で謝ると、こうなるとわかっていたわ、と偉そうに言うのです。
もっとも節子がハイハイと言った場合は、私に非があることが多かったのですが。
しかし若い頃には、私はたぶん節子を追い込むことも多かったのでしょう。
いまとなっては悔やむしかありませんが、彼岸で節子に会ったら、まずは素直に謝ろうと思います。
追い込んでわるかったね、節子。
心から謝ります。
昨日の人にも謝らなければいけません。
これからは人を追い込むことのないように、できるだけ注意しようと思います。
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