■ふたたびニーメラーの教訓
昨日に続いて、マルチン・ニーメラーの話です。
ニーメラーに関しては、以前もこのブログで書いたことがありますが、今日はもっと具体的な話です。
ニーメラーはナチスに抵抗したために1937年の7月から敗戦まで、ダハウの強制収容所に収容されていました。
戦後、夫を8年もの間つないでいた獄舎を見たいという妻と一緒にそこを訪れます。
そこを訪れた時のことを彼は書き残しています。
「その建物(死体焼却炉)の前に一本の木が立っていて、そこに白く塗った板がかけてあり、黒い字で何やら書いてありました。このことが彼のその後の生き方に大きな影響を与えていくわけです。
『1933年から1945年までの問に、23万8756名の人々がここで焼かれた』。
それを読んだ時、妻が失神したようになって私の腕の中に沈み、ガタガタ震えているのに私は気がつきました。
私は彼女を支えてやらなければなりませんでしたが、同時に冷雨のようなものが私の背すじを走るのを覚えました。
妻が気分が悪くなったのは、25万人近くという数字を読んだためだと思います。
この数字は、わたしにはどうということはなかった。わたしはもう知っていましたから。
その時私を冷たく戦慄させたものはいくらか別のこと、つまり『1933年から1945年まで』 という2つの数字だったのです。
1937年の7月1日から1945年の半ばまでは、わたしにはアリバイがあります(強制収容所に捕らえられていたという意味です)。
しかし、そこには『1933年から』と書いてある。
1937年の半ばから戦争の終りまでは、お前にはなるほどアリバイがある。
だが、お前は問われているのだ。
『1933年から37年の7月まで、お前はどこにいたのか?』と。
そして私は、この間いからもう逃がれることはできませんでした。
1933年には、私は自由な人間だったのです……」
私にはニーメラーほどの峻厳な生き方はできませんが、その生き方をいつも思いだすようにしています。
他者を批判する前に、まず自らを正す。
その上で、おかしなものは素直に怒りをぶつけて生きようと思います。
もちろん行動も含めてです。
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