■節子への挽歌1632:介護する大変さと介護する幸せさ
新潟からチューリップを送ってきてくれた金田さんは、私よりも年上ですが、まだご母堂も健在です。
しかし、ご苦労も多いようで、その介護もあって新潟に夫婦ともども転居されたのです。
大変とはいえ、介護できる相手がいることは幸せなことです。
介護する大変さと介護する幸せさ。
これはなかなか微妙な問題です。
介護疲れが原因で、痛ましい事件が起きることは少なくありません。
そうしたニュースに触れる度に、心が痛みます。
しかし、もしかしたら、と思うことがあるのです。
介護は大変ですが、どちらがより大変だったのだろうか、と。
そして、果たして、それは不幸な結末といえるのだろうか、と。
こういう捉え方をするとどうでしょうか。
介護できる幸せと介護される辛さ。
介護疲れは、双方にあるのです。
そして幸せも双方にあるわけです。
しかし、体力的に介護できなくなったらどうなるか。
介護できる幸せと介護できない辛さ。
介護の大変さは、介護できることの幸せによって報われます。
しかし、その関係が終わったらどうなるか。
二重の辛さが襲ってくるのです。
介護しなければいけない辛さと介護できない辛さ。
双方の幸せを守る方法は、一つしかありません。
痛ましい事件と思うのは、他人事で考えているからかもしれません。
まあ、時々、そんなことを考えてしまうわけです。
介護は、さまざまなことに気づかせてくれます。
私の両親の介護は、私よりも節子がやってくれました。
私がもし両親の介護をしっかりとしていたら、節子が再発して寝たきりになってしまった後、もう少し節子の気持ちを理解できたかもしれません。
金田さんはとても親思いで、献身的な介護をされています。
金田さんと話すと、いつもこのことが悔やまれます。
節子
反省することばかりです。
わるかったね。
でも節子はきっと笑って許してくれるでしょうが。
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