■節子への挽歌1633:私の立場
節子
これは書くのをやめるようにユカから厳しく言われたのですが、まあ、節子亡き後の私の生活ぶりを知ってもらうために書いてしまいます。
ユカに見つからなければいいのですが。
一昨日、湯島である集まりをやっていました。
私は足を組んでいたのですが、隣に座っていた人が私の足の裏を指差して、佐藤さん、風邪ひきますよ、と言うのです。
言ったのは、おしゃれな吉田銀一郎さん、銀ちゃんです。
足の裏を見たら、靴下に穴があいていました。
少しだけ弁解すると、湯島のオフィスはカーペットですが、私はいつもスリッパを履かないので、柔らかな素材の靴下はすぐ擦り切れてしまうのです。
ですから時々、底が薄くなっている靴下は娘が廃棄するのですが、節約家、というか、貧乏な私は少しくらい薄くても捨てられずに、娘にこっそりと再使用してしまいがちなのです。
ユカは、お父さんは良いかもしれないけど、娘の恥になるから、と言うのです。
靴下に穴が開いていて、何が悪い。最近は穴の開いたジーパンをはいている若者もいるじゃないかと言いたいところですが、まあユカの顔をつぶすわけにもいきません。
帰宅してから、穴が見つかっちゃったよ、と言ったら、ユカからまた怒られました。
ユカとそんな話をしていて、そういえば節子ともよくこんなやりとりがあったなと思い出しました。
修はいいかもしれないけれど、私の立場もあるでしょう、というわけです。
逆に、節子はいいかもしれないけど、私の立場もあるからね、と私が言っていたこともありました。
「私の立場」ってなんでしょうか。
節子と私は、大体において考えは似ていましたから、「私たちの立場」ということで一致することが多かった気がします。
しかし、時に、「私の立場」を守るために、相手に言動を替える要求をしあうこともあったのです。
まあ、みんな勝手なものです。
靴下の穴のような、些細な話が多かったような気がしますが、節子がいなくなってから、「私の立場」から私の立場をしっかりとチェックしてくれる人がいなくなったのは、私にとっては大きな影響を与えているのではないかと改めて気づきました。
娘たちが時々、私の言動をチェックしてはくれますが、その親身さの度合いにおいては残念ながら節子とは違います。
そういえば、節子はこのブログを時々読んで書き直したほうが良いと言ってくれていました。
私は、時に感情的になって、書き過ぎてしまうことがあるからです。
節子はそれを止める役目を果たしてくれていたわけです。
それは、私の行動に関してもそうです。
感情的についつい動いてしまい、とんでもないことに関わってしまうことがあまりなかったのは、節子のおかげかもしれません。
しかし、いまはその「私の立場」で止めてくれる人がいないのです。
注意しないと「唯我独尊」ないしは「投げやり」の生き方にならないとは限りません。
「私の立場」から私の立場をしっかりとチェックしてくれる人がいないと、私のように自立できていない人間は危ういですね。
いやはや困ったものです。
明日からは靴下の穴には注意しようと思いますが、まあ風邪はひかずにすみました。
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