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2012年3月

2012/03/28

■節子への挽歌1665:「愛には喜びと苦痛がある」

神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、「愛は生の燃え上りであり、そのなかには喜びと苦痛がある」と言っています。
昨日、「愛」について書きましたので、今日もまた「愛」の話も書いておこうと思います。
「愛」は考えれば考えるほど、奥の深い概念です。

これもキャンベルが紹介している話ですが、ペルシア神話には昔、神と悪魔は一心同体だったという話があるそうです。
おそらくこれは全世界に共通した神話でしょう。
日本でも神と鬼は同義語でした。
突然とっぴなことを言いますが、「愛」は神と悪魔の淵源なのではないかと思います。

喜びがあればこそ苦しさがあり、苦しさがあればこそ喜びがある。
愛は、それを増幅させます。
そして生きていることを実感させてくれます。
キャンベルが言うように、愛があればこそ、人生は燃え上がります。
節子がいた頃の私の生は燃え上がっていたのですが、いまは消えてしまいそうな人生です。
退屈で、無意味で、忙しくて、暇で暇で、無駄な人生だと自分でもわかります。
喜びも苦しさも、ほどほどにしかないのです。
語る価値のない毎日。節子がいた頃とは、まったく違うのです。
この感覚は、体験した人でなければわかってもらえないでしょう。

燃え尽きたのではないのに、燃え上がらない人生を生きるのは、それなりに難しいのも事実です。
自分でも、どう生きたらいいのか、よくわからない。
節子がいないので、相談もできません。

神と悪魔が一体だったころ、そこにあったのは何でしょうか。
正義と悪は、そこにあったのか。喜びと苦痛はそこにあったのか。
たぶんなかったのでしょう。
そこにあったのは、無感覚と退屈だったに違いありません。
最近の私が、まさにそんな心境なのです。

「愛」は考えれば考えるほど、わからなくなります。
節子を抱きしめられれば、こんなにややこしく考えることもないのですが。

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■節子への挽歌1664:節子が書きこんだ文字

節子
1週間くらい前から、鶯が鳴きだしました。
我が家の周りにはまだ緑が残っているので、転居してきた頃、鶯の声で目が覚めて節子と話題にしたことを思い出します。
しかし節子がいなくなってからは、鶯の声もただたださびしいだけです。

庭に節子が植えた河津桜も数日前から咲き出しています。
しかし鑑賞する人もいないので、これもまた寂しそうです。

春は毎年同じようにやってきます。
しかし同じ春も、節子がいなくなってからの私には全く違う表情です。
華やかのようで寂しくて、あったかいようで悲しいのです。

節子が好きだった、近くの菜の花畑もそろそろ満開です。
節子と一緒なら立ち寄るのですが、節子がいなければ、立ち寄る気にもなりません。
世界は、気持ちによって、まったく違うものになってきます。

近くの手賀沼公園も、少しずつ春めいてきていますが、節子がいなくなってから、私は踏み入ったことがありません。
湖畔に浮かんでいるボートを見ると、節子が一度乗りたいねと言っていたのを思い出します。
すべての風景に、節子が書きこんだ文字があるのです。

春になると、お花見の誘いがあります。
それをどう断るかが、いつも大変です。
せっかく誘ってくれるのですが、まだお花見に行く気にはなれません。
最近ようやく娘たちとは行けるような気がしてきましたが、それがせいぜいです。
どこかで心身が動きません。

そうはいっても、もう節子を送ってから5回目の春です。
今年は、どこかに桜を見にいこうとは思っています。
節子
どこがいいですか?
節子の文字が書かれていないところがいいか、それとも思い切りかかれているところがいいか、迷います。

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2012/03/27

■節子への挽歌1663:愛は此岸と彼岸をつなぐもの

アウグスティヌスの愛を語りながら、アーレントは「愛は此岸と彼岸をつなぐものだ」と書いています。

前の挽歌で、「愛すること」と「愛されること」について書きましたが、アーレントは「愛する者」は「愛されるもの」に帰属しているといいます。
これは、私にはとても納得できる表現です。
しかし、アウグスティヌスは、「愛する者」は「愛されるもの」を欲求し、所有しようとすると考えているようにも感じられます。
私にはとても違和感がありますが、多くの人はそう思っているかもしれません。
だから「欲望としての愛」という表現に、違和感を持たないのかもしれません。

こう考えていくと、アウグスティヌスやアーレントの「愛」の議論は一面的でしかないことに気づきます。
地上の愛と神への愛の違いは、実は帰属関係の方向性でしかないのです。
愛するものに帰属すると考えるか、愛されるものに帰属すると考えるか。
言い換えれば、自分に帰属するか、自分が帰属されるか、です。
もっとわかりやすく言えば、自分を捨てられるか捨てられないかです。
アウグスティヌスの言う「神への愛」は、自分を捨てる愛です。

アーレントは「神への愛は「永遠」への帰属性を与える」と言います。
「人間は、自らは永遠ではないが、永遠そのものである神を愛し、また自らの内にあって、決して奪い去られることなき存在として神を愛するのである」と言うのです。
つまり、それによって、人は神の一部になるわけです。
さらにこう書いています。
「人間は神を見いだすことによって、自らに欠けているもの、まさに自らがそうでないもの、つまり、永遠なるものを見いだすのである」

「神」という言葉が気にいりませんが、私が最近感じていることと見事に重なっています。
アーレントの別の表現のほうが、私にはもっとぴったりします。
「永遠を望むこと、それは愛するということである」
アウグスティヌスも、「永遠と絶対的未来を追求する正しい愛を、「カリタス」と呼びました。
アウグスティヌスにおいて神とは、「恐れに転化しない安定した未来」あるいは「永遠の平安」と言ってもいいでしょう。

アーレントはこうも書いています。

「個々の人間は誰しも、たしかに孤立した状態で生きるが、「愛」によってたえずこうした孤立の状態を克服しようとする。その場合、「欲望」は人間をこの世界の住民となすのであり、また「愛」は人間を絶対的未来に生きさせ、そうすることによってかの世界(彼岸世界)の住民となすのである。」

愛は此岸と彼岸をつなぐものなのです。
さらに、アーレントは書いています。
「人間とは、その人が追い求めるものにはかならない。」
神を媒介にせずとも、彼岸に通ずる道はあるのです。

どこまでがアウグスティヌスで、どこからがアーレントの言なのか、少し混乱しているかもしれませんが、違和感のあるキリスト教の「愛」の概念に、少しだけなじみが出てきた気がします。
もっともこういう議論は、節子の好むところではありません。
節子なら言うでしょう。
愛は語るものではなく、感ずるものだと。
節子は私に対して、「愛している」と自発的に発言したことはありませんでした。
そういうことに関しては、節子は頑固だったのです。

今日は挽歌を4つも書きましたが、まだまだ追いつけません。

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■結局は何も変わらない原子力行政

関西電力大飯原発の再稼動に向けての動きが着々と進んでいるようです。
すべての原発がとまってしまっても、電力不足にはならないという事実をつくりたくないのでしょうが、あまりにもひどい進め方です。
それにしても、3月23日の原子力安全委員会の臨時会議はひどいものでした。
「2次評価なしでやるのは無責任だ」という市民たちの声を無視して、班目委員長は文書を読み上げ、5分後に「これを本委員会の見解とします」と述べて会議を打ち切ったのです。
まともな感覚を持った人とはいえません。
お金で買われた御用学者と思われても仕方がありません。
福島原発事故に直接関わりのある学者たちが評価をしている異常さも含めて、怒りを感じます。
この発表を受けて、政府は大飯原発の再稼働に向けた検討を始めたそうです。
新聞報道によれば、今週中にも関係閣僚で安全性を確認し、再稼働可能と判断するようですが、彼らにとっての「安全性」とは一体何なのか。

昨年の事故直後には、日本の原子力行政への反省が関係者からも出ましたが、時間と共にそうした人たちは舞台からいなくなってきているように思います。
それにしてもなぜ班目さんのような人が今もって責任ある場所にいるのでしょうか。
不思議でなりません。
科学技術者への不信感はますます高まってくるばかりです。

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■節子への挽歌1662:ランダム・ハーツ

「愛」についてのシリーズをもう一つ。
アウグスティヌスの愛の話を書いているうちに、思い出した映画があります。
「ランダム・ハーツ」、シドニー・ポラックの作品です。
古い映画ですが、私はつい最近テレビで観ました。
映画としてはあんまり面白くないのですが、奇妙に心に引っかかっている映画です。

愛し信じていた妻を突然飛行機事故で亡くした夫が、妻が不倫の相手と一緒に飛行機に乗っていたことを知り、その相手の男性の妻と一緒に真相を追っていくという話です。
伴侶に裏切られ、しかも死なれてしまった男女が、揺れる心の中でお互いに愛を感じていくという、いささかやりきれない大人のラブ・ストーリーです。
主演はハリソン・フォードですが、相手役のクリスティン・スコット・トーマスが実に魅力的です。

妻の不倫が発覚したにもかかわらず、ハリソン・フォード演ずるダッチは妻への愛から抜けられません。
同じく、スコット・トーマス演ずるケイもまた、夫への愛を捨てられません。
だから、ランダム・ハーツなのです。

愛する人が「不倫」をしていたら、愛は憎しみに変わる、とアウグスティヌスは書いています。
だから、愛は恐れに変わるというのです。
しかしそれは本当でしょうか。
私は、そうは思いません。
アウグスティヌスは、たぶん人を愛したことがないのでしょう。
裏切られたら憎しみに変わるような愛は、愛ではありません。
それこそまさに,アウグスティヌスがいう「欲望としての愛」でしかありません。
そこでは、「愛すること」と「愛されること」とが混同されています。

愛は、決して裏切られることはありません。
何かを期待などしないからです。
私は、節子を愛していましたが、節子が私を愛していたかどうかは確信がもてません。
半分冗談で、もう少し愛してもいいのではないかと私は何回か節子に言ったことはありますが、節子はそれにうなずいたことは一度もありませんでした。
今となっては確認のしようはありませんが、愛とは確認すべきものでもないでしょう。

私には「地上の愛」も「神の愛」もなく、愛はただ一つ、愛なのです。
誰かを本気で愛すれば、だれをも愛せるようになれます。
愛とは、そういうものだと、私は思っています。

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■節子への挽歌1661:アモールとカリタス

今日はアウグスティヌスが述べている2つの「愛」の話です。
アウグスティヌスは古代ギリシアの神学者で、近代ヨーロッパの思想的潮流にも大きな影響を与えた人です。

アウグスティヌスは、「愛とは欲求のごときものである」と定義しています。
「至福」を求める人間にとって、「欲求」にはあらかじめそれが追求する「善きもの」が前提とされています。
そこで、アウグスティヌスは、「愛」とは、人間が自らの「善きもの」を確保する可能性にほかならない、と言うのです。
しかし、この「愛」は「恐れ」に転化すると、アウグスティヌスは言います。
なぜなら、得たものはいつか失われるからです。

「善きもの」の特徴は、それがわれわれに所有されていないという点にある。
われわれがそれを所有するならば、その時に「欲求」はやむ。
そして、獲得したものを失う危険がある場合には、「所有への欲求」は、「失うことへの恐れ」へと転化してしまう。

愛、あるいは欲求を成就してしまえば、途端に「失うことへの恐れ」が生まれ、そこで「愛の至福」は終焉するわけです。
アーレントも、その終焉を体験したのでしょうか。
そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。

アーレントはともかく、アウグスティヌスは、そうした終焉する「地上の愛」は現世に固執する誤った「愛」(アモール)としての「欲望」だと切り捨てます。
そして、終わることのない至福を得るには、神と永遠を追求する正しい「愛」としての「愛」(カリタス)に目覚めなければならないというのです。
こうした「神への愛」こそが「至福」をもたらすというキリスト教的発想には違和感がありますし、節子との別れを体験する前の私だったら、興味さえもたないでしょう。
しかし、いまは違います。
奇妙に心に響くのです。

「愛」、つまり「至福」が「恐れ」に転化することは、まさに私が体験したことです。
しかし、同時に、終わることのない「至福」もまた、節子との別れから学んだことです。
アーレントは、「地上の愛」の中に「神への愛」を見つけているようにも思いますが、私もまた、失われることのない「地上の愛」を確信しています。
人を愛さずして神を愛せるか。
「世界への愛」(アモール)と「神への愛」(カリタス)の選択を迫るキリスト教は、やはり私には馴染めません。

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■節子への挽歌1660:アーレントとハイデガー

節子
挽歌がどうも書けません。
挽歌だけではなく、時評編も最近は書けずにいます。
この2か月、いささか遊びのない時間を過ごしてきているからかもしれませんが、パソコンに向かう気がしなくなってきているのです。
その代わりに本を読むようになりました。
昔もそうでしたが、仕事が忙しい時ほど、本が読みたくなるのです。

一昨日から、ハンナ・アーレントの「アウグスティヌスの愛の概念」を読んでいます。
アーレントの本は苦手なのですが、どこか魅かれるところがあります。
実はあんまり理解できないのですが、気になる言葉によく出会います。
しかしよりによって、キリスト教嫌いの私が、なぜ「アウグスティヌスの愛」に興味をもったのかは自分でもわかりません。
気がついたら図書館から借りてきた本の中に混ざっていたのです。
覚えていないのですが、どうも予約していたようです。
これもなにかの理由があると思いながら、読み出しました。
間違いであろうと、流れには素直に乗るのが私の最近の生き方です。
節子には驚きでしょうが。

しかし、やはり途中で投げ出したくなりました。
それで最後の訳者の解説を読んで終わりにしようと思いました。
ところがそこに意外なことが書かれていたのです。
アーレントは大学で会った途端に恩師のハイデガーに恋をしたようです。
ハイデガーとアーレントが恋愛関係にあったということを私は知りませんでしたが、それを知って、アーレントへのイメージが変わりました。
これまではただただ彼女の論理的なメッセージに共感していただけだったのですが。

この本の訳者はこう書いています。

アーレントは、ハイデガーとの恋愛関係を、アウグスティヌスの言語世界の用語を使用することによって、「欲求」としての「愛」、「欲望」として把握し、「欲望」の一時性と自己中心性、無際限性と空虚性、またそれにもかかわらず現世に生きる人間にとってのその切実さと魅惑について、内省的に確認しようとしているかのごとくである。
そして訳者は、本書は若きアーレントのみずみずしいオデュッセイア(魂の彷徨)を表現していると見るべきではなかろうか、と書いています。
本書はアーレントが20代の時に書いた博士論文なのです。
そして、本書はまさにアーレントの出発の書であり、「彼女の思想的生涯を一貫して規定していくことになる」と訳者は言っています。
最後まできちんと読もうと思い直しました。

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2012/03/24

■節子への挽歌1659:人はみんなそれぞれに特別です

前の挽歌で、節子から学んだことを書きましたが、実は別の学びの話を、昨日開催したフォーラムで最後に話させてもらいました。
それをここにも少し書いておこうと思います。

昨日のフォーラムは、フォワードに語ってもらうフォーラムでした。
前にも書きましたが、「フォワード」は、「自らあるいは身近に自殺に追い込まれるような体験をした人」を「前に向かって進みだす」と言う思いを込めて命名した言葉です。
4人のフォワードのみなさんが会場に向かって、きちんと顔を出して、語ってもらう、あまり例を見ない集まりだったと思います。
50人ほどの人が集まってくれました。
自死で伴侶を亡くされた方の話は、まさに私自身の思いを聴くようでした。

参加者で話をした後、最後に私も少しだけ自分の話をさせてもらいました。
こんな話です。

私は、4年ほど前に妻を病気で見送りました。
私が後を追うのではないかと友人たちが、心配してくれたほど、私自身もしばらくは心身が動かない状況でした。
4年半経った今も、昔の自分ではないのをはっきりと感じます。
その体験からたくさんのことを学びました。
たとえば、自分の悲しさや辛さは他者にはわかってもらえないけれど、
他者の悲しさや辛さを少しだけでも背負い合うことで、
自分の気持ちも少しだけ軽くなるということです。
悲しさや辛さのおかげで、みんなとつながれることも知りました。

自殺と病死とは違うと思う人もいるかもしれませんが、通ずるものもあります。
家族のようにしていたペットの愛犬を亡くした友人がいます。
彼から、愛犬を亡くして、佐藤さんの悲しみや辛さがわかったと言われました。
そういわれた時には正直、いやな気持ちでした。
妻と犬を同じにしてほしくありませんでした。
しかし、少しして、私の間違いに気づきました。
愛するものを失った時の思いはみんな同じなのだと。
人は自分だけが特別であると思いがちです。
しかし、人はみんなそれぞれに特別なのです。

みんなそれぞれに重荷を背負っている。
しかし、その重荷は外からは見えません。
みんな自分の辛さをわかってもらいたいと思いますが、
それに比べると、他者の辛さをわかろうとする気持ちは弱いのかもしれません。
しかし、わかることから始めなければ、わかってはもらえない。
それも、学んだことの一つです。

終わった後、若い人から心に響いたと言ってもらいました。

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■節子への挽歌1658:報告

節子
少しご無沙汰してしまいました。
この数日、少しゆっくりする時間がありませんでした。
今日からまたきちんと書くようにします。

今日は先ず報告です。
近くのTさんのおばあさんが亡くなりました。
96歳でしたが(私は100歳を超えていたと思っていたのですが)、凛とした方でした。
私は一度も話したことはありませんが、節子も娘も、それぞれにお話ししたことがあります。
お手伝いさんとお2人で大きな家に住まわれていますが、高台のわが家からはそのお庭が見下ろせます。
時々、庭に出ている姿をお見かけしました。
住み込みのお手伝いのOさんは、時々、わが家にも来てくれました。
節子が元気だったら、Oさんはもっとわが家に呼んであげたでしょう。
Oさんは、東北の出身で、我孫子には知り合いはいませんので、相談相手もいませんでした。
わが娘たちが、その相談相手で、私も相談を受けたことがあります。
節子がいたら、その度に思いました。
節子は、そういう相談を受けるのが得手でした。
節子は、そういう人だったのです。
強い人が嫌いで、立場の弱い人が好きでした。
目線の高い人が一番嫌いでした。
節子から学んだことはたくさんあります。

3日前に娘がOさんに会ったら、おばあさんは元気だと言っていたそうですから、突然のことだったようです。
Tさんは、数年前に娘さんを亡くされています。
節子の見舞いにも来てくださいましたが、彼女もがんでした。
おばあさんが亡くなって、Oさんはどうされるのか。

そういえば、近くのTさんも最近転居しました。
少しずつ、わが家の周りも変化してきています。
まもなく私もいなくなるでしょう。
何かとても不思議な気がします。

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■被曝か停電か

テレビのニュースで、原発稼動を再開しないと停電の怖れがあるという発言を聞いて、娘が「被曝か停電だったら停電がいい」と言いました。
全くその通り、原発を再稼動しないと停電になるかもしれませんという電力会社や政府の発言は、ばかげた脅迫でしかありません。
しかし、それを真に受けている国民が多いのは不思議です。
両者は比較などできようもない話なのです。

同じようなシェーマはほかにも少なくありません。
原発のある地元の人がよく言うのは、原発は不安だが原発がなくなったら仕事がなくなるという発想です。
たしかに仕事がなくなっては生活は苦しくなります。
一見これは合理的な命題だと思いがちですが、今回福島で被曝した人たちはどう思うでしょうか。
両者は比較すべきものではありません。
他者に迷惑をかける仕事は許されないという視点に立てば、原発の仕事への見方は変わらないでしょうか。
しかしその渦中にいる人には、受け容れられない話かもしれません。
しかし、私たちはもっと勇気を持つべきです。
生活をしていく上で、お金より大切なものがあります。
それを忘れてはいけません。

ほかにもこうしたトリック的な二者択一の命題は少なくありません。
その罠にはまってしまってはいけない。
私はいつもそう自戒しています。

娘の「被曝か停電か」の言葉は、改めてそのことを気づかせてくれました。

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2012/03/19

■節子への挽歌1657:首大仏

節子
お彼岸だと言うのに、なかなかお墓参りにも行けずにいました。
明日も一日中、用事で湯島に行かなければいけないので、今日、時間の合間を見つけて、お墓に行ってきました。
最近は寒いせいもあって、前回供えた花がまだ残っていましたが、お彼岸らしく賑やかにしてきました。

ところが事件が発生していました。
墓石の前に置いていた小さなお地蔵さんが見当たらないのです。
どこかに散歩しているのかと思って、周りを探したら、割れてしまった上半身が見つかりました。
下半分は見つかりませんでした。
なにやら縁起がよくありません。
地震のせいでしょうか。

処置に困ったので、上半身を墓石の周りの石のなかに置くことにしました。
石の中を注意してみると、お地蔵さんの首だけが出ているという構図です。
なんだか不気味だねと娘が言いました。

そういえば、湯河原に首だけの大仏があります。
節子と一緒に、千歳川を散策していて出会ったのですが、地面から首だけ出しているのに驚きました。
福泉寺の首大仏です。
大きさは2メートルぐらいで、その異形さもあって迫力があります。
福泉寺は、実際には湯河原ではなく、千歳川をはさんで対岸の熱海市にあるのですが、まあ湯河原の一部のような立地です。

観光案内などには、日本的でない表情から南方系の流れと説明されていますが、私たちが最初に出会った時に、私も節子も思い出したのは、飛鳥寺の大仏でした。
飛鳥大仏は、節子と私がまだ一緒に暮らしだす前に訪れたのですが、そこでのいろいろな思い出があるのです。
当時はまだ飛鳥もさほど観光化されておらず、素朴な雰囲気が残っていました。
その数年後にも2回ほど行きましたが、行くたびに様子が変わっていました。

その後、韓国の不思議な表情の弥勒菩薩の写真を見たときにも、この首大仏を思い出しました。
一度見ただけで、それほど印象に残る大仏です。

節子のお墓の石に埋もれているのは、大仏でも弥勒仏でもない、庶民的なミニ地蔵ですが、これを機会にミニ仏像を墓石の周りに気づかれないように配置するのもいいかなと思いつきました。
そういうことは、あまり節子は好まないのですが、まあいいでしょう。
機会があったら小さな仏像を集めてこようと思います。

節子
おはぎもユカが供えてくれています。
最近はスーパーで買ってきたおはぎのようですが。

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2012/03/18

■経済と共済

昨日、共済研究会のシンポジウムを開催しました。
テーマは「改めて共済のあり方を考える」でした。
この『改めて』には2つの思いを込めました。

この「改めて」という表現には2つの意味を込めています。
共済事業はいまマネタリーグローバリズムの流れのなかで、金融資本に絡めとられようとしています。
そのあたりのことはこれまで何回か書きました。
その動きは、TPPに象徴されるように、ますます強まっています。
今年は、国際協同組合年なのですが、日本の協同組合や共済事業は壊されようとしています。
しかしそれは身から出たさびかもしれません。
日本の共済事業の多くは、いまや「安い保険」と言われるように、自らが金融経済事業になってしまっているのです。
それではマネタリーグローバリズムを批判できません。
そうした認識に基づいて、ちょっと立ち止まって、改めて共済事業とは何なのか、共済の理念とはなんだったのか、を考えることが必要ではないか。
これが第一の意味です。

そうした流れの中で、昨年、東日本大震災が起こり、福島原発事故が起こりました。
そして、まさに支え合いや助け合いの仕組みや活動が求められています。
そうした状況の中で、共済事業がこれまで積み上げて来たノウハウやネットワークを活かして、いまここでできることはいろいろとあるのではないのか。
そして、そこにこそ、経済事業化している現在の共済事業とは違った、新しい共済事業の地平が開けてくるのではないか。
それが、「改めて」に込めた2番目の意味です。

こうした認識に基づいての話し合いをしたかったのですが、なかなかそこまでは議論を持っていけませんでした。
しかし何人かの方は問題の所在を改めて認識してくれたようです。

ところで、このシンポジウムに先立ち、共済のイメージをフェイスブックで問いかけてみました。
そのなかにハッとさせられるコメントがありました。
「経済=経国済民=国を治め人民を救うこと」です。それに対するアンチテーゼとして、「共同して助け合うこと」という「共済」があるのではないかと言うのです。
「経済」も「共済」も、いずれも「済」の文字がついています。
つまり、国による済度か共に取り組む済度か、なのです。
この一言で、共済の理念やビジョンがすべて見えてきます。
シンポジウムではその話も最後にさせてもらいましたが、残念ながら会場からの反応はあまり感じられませんでした。
この一言で、私にはすべてが解けたような気がしたのですが、いささか私の想像力が過剰なのかもしれません。
しかし私の姿勢はこれですっきりしました。
私にとってはとてもすっきりしたシンポジウムになりました。

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■節子への挽歌1656:一人称自動詞の生き方

節子
杉本泰治さんが夕食会に誘ってくれました。
杉本さんは私たちよりもひとまわり年上ですが、お元気に社会の問題に取り組んでいます。
節子の訃報を聞いて、真っ先にわが家まで駆けつけてくれたのも杉本さんでした。
その時の「奥さんは同志でした」という言葉が、私には最高の弔辞でした。
杉本さんほど誠実な方は、そうはいないでしょう。
もし節子が元気だったら、と思うととても残念です。

杉本さんが誘ってくれたのは、技術倫理に取り組んでいる技術士のみなさんです。
北海道大学で技術倫理の普及にご尽力されている名誉教授の佐伯さんが上京する機会に、杉本さんが一緒にそうした活動をしている人を集めてくれ、私も呼んでくれたのです。
美味しい夕食までご馳走になりながら、4時間ほどの歓談を楽しませてもらいました。

みんなそれぞれに実績のある活動をされている方ですので、話も社会全体の話題になります。
それにみんな専門を持ったプロフェッションです。
話を聴きながら、ついつい余計なことを話してしまいました。
私は「一人称自動詞で語る生き方」をしているので、社会のためという発想がないのです、と。
ところが、その言葉をみんながとても好意的に受け止めてくれました。
受け止めただけではなく、早速にその視点をそれぞれが取り込んでくれたのです。

「一人称自動詞で語る生き方」。
この生き方を私がしっかりと身に付けられたのは、たぶん節子のおかげです。
うまく説明はできませんが、節子と一緒に生きたおかげで、私は頭で生きる生き方から、心身で生きる生き方を自然に身につけたように思います。
とても不思議なのですが、私の突拍子のない考えも節子は拒否せずに聴いてくれましたが、その一方で、修は頭が良いので理屈が達者だと、やんわりと私をいなすことも多かったのです。
頭が良い、と言うのは、もちろん批判的な意味です。
節子は、たぶん一度として、私に対して褒める意味で「頭が良い」とは言いませんでした。
節子にきちんと聴いてもらうには、あるいは共感してもらうには、一人称自動詞で語らなければいけなかったのです。

「一人称自動詞の生き方」の一つの結果は、私が会社を辞めたことでした。
一人称自動詞で語るためには、これまでの組織は居心地のいい場所ではありません。
最近はようやく、一人称自動詞でも居場所のある組織のかたちが少しずつわかってきました。
そして今は、そうした組織を自らで育てながら、生きています。
これももしかしたら節子が残していってくれたのかもしれません。
そうした生き方は、節子とやっていたオープンサロンが生みの親のような気がします。
理屈だけで生きていた、小生意気で小賢しい私の生き方を変えてくれた節子には感謝しなければいけません。

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■節子への挽歌1655:思いは言葉によって深くなっていく

最近、自死遺族の人や愛する人を亡くした人と話をする機会が増えています。
以前はなかなかお話しできなかったのですが、最近は素直に話せるようになってきました。
話をしながら、時に涙を浮かべる人がいます。
そうなると必ず私も涙が出ます。
お互いに話し出す時にはなんともないのですが、思いは言葉によって深くなっていくのです。

節子
別れを語ることは別れを思い出すことです。
そして、別れを聴くこともまた、別れを思い出すことです。
話の内容はさまざまですが、聴いているうちに、相手の話が私の内部では奇妙に節子の話にすり替わってしまうのです。
事情は違っても、別れの旋律は同じなのかもしれません。
むしろ事情が似通っていると、素直に聴けなくなることもありますから、別れそのものに心身が反応するのかもしれません。
それがどんな別れであろうとも、です。

別れを体験した人と話していると、ついつい自分の話もしたくなることがあります。
いまもなお私のどこかには、節子との別れを話したいという衝動が残っているようです。
いや別れではなく、節子のことを話したいだけかもしれません。
時間と共に、節子のことを話す機会は少なくなっているからです。

悲しみは時が癒すとよくいいますが、癒されるのは悲しみの当事者ではなく、その人と付き合う人たちなのかもしれません。
言い換えれば、ただ単に忘れることなのかもしれません。
しかし、悲しみの当事者には忘れるなどということは起こりません。

周りの人が話題にしなくなることによって、当事者も思い出すこと機会が少なくなる事は否定できません。
言葉によって、思いを新たにしたり、深めたりすることがなくなってくる。
しかし、それで当事者の悲しみが癒されるわけではありません。
意識の底に、どんどんと沈んでいっても、ある時に突然にマグマのように噴出してきます。

悲しみの当事者としては、癒されることへの抵抗は強くあります。
つまり癒されたくなどないのです。
悲しみは悲しみとして大事にしていきたい。
そう思います。

しかし悲しみで心身が動かなくなることは、最近はなくなりました。
それを喜ぶべきかどうか。
そもそも節子は、それを喜んでいるでしょうか。
喜んでいるはずがない、と私は思っています。

別れの悲しみや辛さは、大きな財産なのかもしれません。
その大事な財産を失わないように、やはり私は、ずっと悲しみを言葉にしていきたいと思います。

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2012/03/15

■節子への挽歌1654:世の中の綺麗事に「いらっ」ときたりする

節子
今日は挽歌を3つも書いてしまいました。
それでもまだ追いつけません。
節子はいつも、仕事は溜めてはいけないと言っていましたが、まさにその通りです。

先週、子供の頃に、親を自殺で亡くされた方とパネルディスカッションでご一緒させてもらいました。
どんな話をするかをメールで相談しあったのですが、その人は他の人と違って、素直に気持ちを伝えてきてくれました。
すべて私にはすんなりと心身に入ってくるものでした。
たとえばこんな感じです。
彼女は、いまは自死遺族の方たちの相談にも応じているのです。

私は、世の中の綺麗事に「いらっ」ときたりするんですね。
それが自死でなくても、死別があったご家族に「元気そうで良かった」と声をかける人。
それを温かい、親切と思う世間・・・
「不幸な家と思ったの?笑わないと思ったの?これだけを見て元気そうねと言うの?」そう感じてしまうという死別体験の方。
そんな風に思う自分をとても嫌だ、辛いと、相談される方は言います。
思っちゃえ!それでいい!!と私は思います。
まったく、実に全く、同感です。
思っちゃえ!それでいい!! 蹴飛ばしてしまえ!!! と私も思います。

その人にパネリストになっていただいた集まりのテーマは「自死を語り合える社会に」でした。
その人は、こう言いました。

かわいそうと思われるのはしんどいですね。人から下に置かれたように思います。
そんな目線を受けるのをわかっていて語るのは勇気がいることです。
そうなのか、そういうことがあったんですねとただ事実を淡々と受け止めてくれる場所が必要ですよね。
妙に親切にしたり、特別扱いしたりしない関わりがいるなあと思っています。
私の場合、節子を失ったのは「自死」ではなく「病死」でした。
でも気持ちはこの人と全く同じでした。
同じすぎて、鼓の集まりでは、私はこの思いを深堀りできせんでした。

しかし、この人のおかげで、
そうか、「いらっ」としていいんだと改めて確信できました。
そんなわけで、もし私が「いらっ」としても、許してください。

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■節子への挽歌1653:悲しむ人に声をかけられなくなっています

節子
韓国にいる佐々木さんが娘のように可愛がっていた愛犬のパルが息を引き取りました。
15歳と15日だったそうです。
佐々木夫妻の悲しみを思うと心が痛みます。
その知らせを受けた時、私はなんと声をかけていいかわかりませんでした。
深い悲しみを知ってしまうと、悲しむ人に声をかけることができなくなります。
節子を見送った後、私に出来なくなったことの一つです。

「思い」と「言葉」は、ほとんどの場合、重なりません。
思いが言葉になるのではなく、どちらかというと、言葉が思いになってしまうのです。
そして、最初の思いがなぜか居場所をなくしてしまう、そんな体験をこれまで何度かしました。
思いには言葉など要りません。
それに、悲しみなど共有できるはずはないのです。
いささか難しいことを言えば、自らの悲しみでさえ、言葉で考えている自分とただ思い感じている自分とでは、その悲しみは同じではありません。
ましてや、こうした挽歌を書いている私は、言葉で考えている以上に、思いや感じよりも遠くにいるのかもしれません。
そういうことを体験しているうちに、「弔意」や「追悼の念」を口にできなくなってきているのです。

話をパルに戻しましょう。
節子も一度だけ、パルに会っています。
佐々木夫妻が、パルともう一人のミホを連れて、わが家まで節子の見舞いに来てくれたことがあるからです。
節子はその頃はもうかなり悪くなっていたので、あまりパルのことを覚えていないかもしれませんが。
佐々木さん夫妻は親身になって心配してくれ、節子はとても感謝していました。
今から思うと、本当にたくさんの人が節子や私たちを気遣ってくれました。
にもかかわらず、節子を守ってやれなかったことはいくら悔いても悔いたりません。
しかし、それも定めだったと思うしかありません。

そのパルよりも年上の、わが家のチビ太は最近なぜか元気です。
今日も庭につながるドアを開けておいたら、段差を超えて庭に出ていました。
しかし、この頃は寝ている時間が多くなりました。
寝ているチビ太でも、いなくなると寂しくなるのでしょうね。
生命のつながりは、不思議なものです。

明後日、佐々木さんにお会いします。
なんと声をかけたらいいか、節子に教えてほしいです。

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■節子への挽歌1652:後姿の寂しさ

節子
ようやく時間破産から抜け出られました。
まだ宿題は山積みですが、先が見えてきました。
節子がいたら、先が見えたから、出かけようと気分転換の外出を誘うところですが、それができないので、気分転換ができません。
仕方ないので、娘たちを誘って、昼食に近くの回転寿司に行きました。
あんまり気分転換にはなりませんでしたが。

お店を出る時、回転寿司の前で一人で食べている高齢の男性が多いのを見た娘が、お父さんはああならないでよかったねと言いました。
たしかに、そうです。
同じお店でも、女性たちはグループで賑やかに楽しんでいるのですが、男性たちは一人で食べているのです。
一つずつ席を空けて、並んで食べている男性たちの後姿しか見えませんが、なにやらさびしさを感じました。
もしかしたら、その中の一人は私かもしれない気がしました。
もっとも私は、一人で回転寿司のお店に行くことは絶対にできませんが。

伴侶のないまま、歳を重ねることはある意味で辛いことです。
意味のない人生を生きているような気に、時になります。
節子の分まで長く生きたいなどとは思ったこともありませんし、そんなことを誰かが言ったら、その人との関係は多分切れるでしょう。

伴侶がいなくなったことでよかったことはあるでしょうか。
もしあるとしたら、執着がなくなったことです。
物にもですが、それ以上に、生きることに執着がなくなった。
昨日の「心」の話につなげていえば、「心」がなくなったのかもしれません。
執着と心は違うだろうと言われそうですし、事実違うのですが、何となくそんな気がするのです。

伴侶と別れた男性が、もういらないと思って自宅に火をつけて燃やしてしまった事件が昨日テレビで報道されていました。
その気分はよくわかります。

お父さんはああならないでよかったねと娘が話した、あの後姿が頭から離れません。
気分転換のつもりが、なにやら変な思いを持ち帰ってしまいました。
節子、生きているといろいろあるよ。
節子は、毎日が平安なのでしょうね。

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2012/03/14

■節子への挽歌1651:なぜ人間は心をもったのだろうか

心の話をもう一つ。

最近知ったのですが、人間が「心」という文字は持ち出したのは、3000年ほど前なのだそうです。
つまりそれまでは、心のない生物だったということになります。
ジェリアン・ジェインズの「神々の沈黙」によれば、心のない人間たちは、ただただ神の声に従って生きていたのだそうです。
まあ今の多くの生物がそうであるように、です。
そこには「死」という概念もなかったわけです。
だから生贄が容易に行われていたのです。
それが「運命」だからです。
そこには「自由」はありません。
自由がなければ、悲しみも苦しみもない。恐怖もない。

それが3000年ほど前になって、突如として「心」をもつ、すなわち「自由意志」をもった人間が大量に出現した、とジェインズは書いています。
能楽師の安田登さんの『身体感覚で「論語」を読みなおす』を今日、読み出したのですが、安田さんによると、自由意志をもつと時間が生まれるというのです。
未来を自由に変えることができる、つまり、時間をもつことだというのです。
しかし、それは同時に、未来に対する「不安」と過去への「後悔」も発生させます。
心を持つとは、「希望」と「不安」をもつことなのです。
人間が「心」を持ち出した頃に生きた孔子は、その心とどう付き合えば良いかを『論語』にまとめたと安田さんは書いています。
実に面白い話です。

しかし、なぜ人間は、心などと言うややこしいものに気づいたのでしょうか。
もし私が、心のない存在だったら、どんなに楽だったことでしょう。
希望も不安もないし、生も死もない。
愛もない。
節子もいない。
人間は煩悩に悩むために、心を手に入れたのです。

最近、心って何だろうと思うようになりました。
心は、個々の人間を超えているのではないだろうかと。
もしかしたら、此岸を超えているのかもしれません。

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■節子への挽歌1650:ジェミノイド

少し「心」のことを書きます。

大阪大学の石黒教授が開発したアンドロイドがテレビに時々登場します。
その一つ、ジェミノイドFは私には表情やあたたかさは感ぜず、いわゆる「不気味の谷」を思い出させますが、それはそれとして、ジェミノイドFの画像を見るたびに思い出すのが、映画「ソラリス」(リメイク版)です。
挽歌でも何度か書きましたが、主人公の脳を読み取った「ソラリスの海」が自殺した「妻」を主人公の前に創出してくるのです。
主人公は、その「妻」を妻とは思えずに、宇宙に放出してしまう場面は、私には衝撃的であると共に、自分ならどうするだろうと、映画を観るたびに思います。
たぶん私はその誘惑に抗うことはできないでしょう。

ロボット、あるいはアンドロイドに心があるのかという問いに対する石黒さんの話はとても興味深いです。

「自分」というイメージを、自分の脳がつくり出しているという意味では、自分のなかに「自分」というものや「自分らしさ」があると言っても間違いではない。
しかし、自分をつくりだす脳に刺激を与えているのは誰かといったら、それは自分自身ではなく、全部外部からの刺激ではないか。

石黒さんは、そういうのです。
そして、自分のなかに「自分」というものや「自分らしさ」、あるいは「心」というようなものがあるという考えは大間違いだと断言するのです。
確かに、私たちは気安く「心」という言葉を使いますが、心って何かはわかりません。
私に関していえば、つかまえ所がなく、状況によって「心らしきもの」はコロコロ変わるのです。
悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいという話も、前に書きましたが、「自分らしさ」も「心」も、状況によって変わってしまうのかもしれません。
「笑いのヨガ」というのがありますが、あれも楽しいから笑うのではなく、笑うと楽しくなるから笑うわけです。
心とはほんとうにわかりません。
自分の心さえわからない。

石黒さんがいうように、私たちは外部の刺激を受けて、自分を現出させ、感情や思考を生み出しているとしたら、節子がいた時の私といなくなってからの私は同じ存在なのでしょうか。
私の心や自分を形成していた上で重要な刺激は節子だったのですから。それが不在になった今の私は大きく変化しているはずです。
しかし、その変化を実感できないのはなぜでしょうか。

今日は、溜まっている疲労を解消しようと、「ソラリス」をまた観てしまったのがまずかったです。

ところで、ジェミノイドの節子がいたら一緒に暮らしたいと思いますかね。
私が旅立つ時に、ジェミノイドの私を残していったら、永遠にジェミノイドの私たちは生きつづけるのでしょうか。
それも実に興味ある話ですね。

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■誰かをマネージしたいのなら、まず自分をマネージすることだ

大阪の高校の卒業式で、君が代斉唱の際、教員が起立したかどうかに加え、実際に歌ったかどうかを管理職が口の動きでチェックして府教委に報告していたことが話題になっています。
これに対して、橋下大阪市長は「これが服務規律を徹底するマネジメント」「ここまで徹底していかなければなりません」と賛辞を送ったそうです。

私は橋下さんは何となく好きですが、彼の教育論はまったく受け容れられません。
まあ彼も徹底的に洗脳された優等生なのでしょう。
君が代がなぜ歌えないのか、に関しては以前書いたことがありますが、ここでの問題はそんなことではありません。
「これが服務規律を徹底するマネジメント」という発言です。

アメリカで20年ほど前に、メッセージ広告と言うのが話題になったことがあります。
ある企業が新聞にアメリカ国民に向けてのメッセージ広告を出したのですが、それが話題になり本になりました。
"Gray Matter"(翻訳書名「アメリカの心」)です。
そのメッセージ広告の一つに「脱管理のすすめ」というのがあります。
その最後は次のように書かれています。

もし君が誰かをマネージしたいのなら、
まず自分をマネージすることだ。
それに上達すれば、君ははじめてマネージを卒業する。
そしてリードしはじめるのだ。

マネジメントを強制と勘違いしてはいけません。
服務規律が徹底できないのは、必ず何らかの理由があるからなのです。
それへの想像力がなければ、経営はできません。

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■障害者自立支援法改正案と分断の政治

昨日の閣議で、難病患者を福祉サービスの対象にすることなどを柱とする障害者自立支援法改正案が決定されました。
障害者自立支援法は成立当時から問題が指摘されていましたが、障害者による違憲訴訟を受けて、一時は長妻厚労相(当時)が廃止を約束したこともありますが、結局は弥縫策で決着された感じです。
最近の立法界には、理念がなく、制度論で終始していることの一つです。
そして、肝心の当事者たちの声の多くは聞き入れられません。

制度がいくらできても、それで問題が解決されるわけではありません。
昨今のいたましい「餓死事件」は、もし制度がうまく機能していれば、防げたものも少なくありませんが、制度を生かすのは「人のつながり」です。
そして、注意しないと制度は「人のつながり」をこわします。
介護保険はそうした制度の一つかもしれません。

制度化の恐さは、人を分断することです。
今回の障害者自立支援法の見直しに関連して、制度の谷間のない障害者福祉の実現を求める実行委員会の共同代表の山本創さんたちは、厚生労働大臣宛に、「病気別で分断する過去を改め、障害手帳のないその他慢性疾患をもつ人も医師の意見書で補い、「制度の谷間」をなくすことを法律上、明確にしてください」と訴えましたが、今回の見直しではその声は届かなかったようです。
山本さんたちの要望書で私が印象的だったのは、「病気別で分断」するというところです。
今の政治はまさに「分断の政治」です。
お上の政治の要は「分断」です。
しかし住みやすさを目指す政治は「包括」でなければいけません。
そこに政治の本質が見えてきます。

テレビでも報道されていますが、難病に苦しむ人は少なくありません。
しかし、その難病に「名前」がつけられるかどうか、さらにどういう「名前」がつけられるかで、支援の対象になったりならなかったりします。
患者と接する医師の判断よりも、現場をしらない厚生官僚やお抱えの医師たちが支援対象に入れるかどうかを決めるのです。
おかしな話ですが、これは水俣病の時の構造から何も変わっていないということです。

現実は複雑で、難病も人それぞれです。
名前や中途半端な医学的見地からの知識などで、難病を分断する仕組みは、どう考えてもおかしいですが、残念ながら私たち自身も「分断の思考」から抜けられずにいます。

障害者自立支援法改正案には、いまという社会の本質が示唆されているような気がしてなりません。

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2012/03/13

■節子への挽歌1649:元気をありがとう

節子
先週、トヨタにいた北川さんが久しぶりに湯島に来ました。
節子も何回か会ったことがあり、節子は北川ファンでもありました。
なにしろ北川さんは、仕事もできれば、社会活動もし、スポーツもやれば、ヴァイオリンまで習いだす、そんな人だからです。
それに比べて、私はスポーツも趣味も社会活動も、仕事さえも、ほとんどやらないのです。
節子に言わせると、私はいったい何をしているのと言うわけです。
もっとも、節子はそういう私が好きだったことは言うまでもありません。はい。

北川さんは、翌日、早速メールをくれました。
そこに、「なぜか、湯島へお邪魔すると、何かしら元気が沸いてくるような気持ちになります」と書かれていました。
うれしいことです。
私も、ようやく周りの人たちに「元気」をあげられるようになりました。
もう節子がいなくても大丈夫、とは決して言えませんが、ともかく元気をおすそ分けできるほどには戻ってきたようです。

そういえば、昨年初めて会った若者がいます。
ヒップアップダンスの名手です。
仕事で会ったのですが、彼が突然、仕事を辞めることになりました。
そのため、彼とはもう会う機会はなくなるかもしれません。
そう思っていたら、彼からメールが来ました。
「佐藤さんと話すとなぜだか力がわいてきて、色々な話も聞けるので、また連絡すると思いますので、そのときはよろしくお願いします」。
これまた実にうれしいメールです。

私は、自分が元気だとはあまり思えません。
まだまだ節子との別れから立ち直れていませんし、時々、どんよりと暗く落ち込みます。
しかし、みんなには「元気」をあげているようなのです。
どうしてそんなことが起きるのか。

元気がなくても、誰かに会うと元気が出てくる。
もしかしたら、そうなのかもしれません。
元気は「良い関係」から湧き出るのかもしれません。
節子がいた頃は、まさにそうでした。
節子がいたからこそ、元気になって、ありあまる元気を周りに振りまいてきたのです。
だとしたら、今の元気はどこから生まれてきているのか。
むしろ元気をもらっているのは、私なのかもしれません。
湯島に来るみなさんに感謝しなければいけません。

節子、そんなわけで、なんとか元気にやっています。
節子も、そちらできっと元気でしょうが。

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2012/03/12

■節子への挽歌1648:思いを発することの大切さ

節子
「自殺を語り合える社会に」をテーマにした大阪のフォーラムではいろんな人に会いました。
福井からは茂さんが、京都からは福井さんが、わざわざ来てくれました。

このテーマは、最初はぴんと来ませんでした。
しかし昨日のフォーラムで、その深い意味を実感しました。

自死・自殺相談の取り組んでいる僧侶の方が、「死にたい」という気持ちは、なかなか人には言えないものだと言いました。
自死遺族の方は、親が自死したことを誰にもずっと言えなかったし、誰からもずっと言われなかったと言いました。
こう書いてしまうと、当然だろうと思われそうですが、その言葉の含意することは大きいのです。
言えないのは、きちんと聴いてもらえないと思うからです。
言ってしまった後が不安だからです。
でもそれが言えると生き方は変わります。
昨日の話し合いで、そのことがすごくよくわかったのです。

心の奥にあるものを抱えこんでしまっていると、それがどんどん変化していきます。
良い方向に変化することもあるでしょうが、澱んでしまうこともあります。
心の奥にあるものを誰かと本当に共有できたと思えた時も、またどんどん変化していきます。
その場合は、間違いなく良い方向に変化します。
そして安堵が生まれてきます。力が生まれてきます。
これは、私だけではありません。
これまで何回も、そうしたことを体験してきました。
安堵は力を生み出すことも。

今回、私はコーディネーター役でしたので、個々の話にはあまり深く入りませんでした。
しかし、会場でのさまざまな話し合いから、何か大きなものを感じました。
それぞれが発している大きなものを。
それをまともに受け止めたせいか、昨夜は疲れきり、今朝は不安の中で目覚めました。

自殺の限らず、思いを発することは大事なことです。
だれもが、それぞれに本音を発せる場をもっていなければいけません。
私は、いつもだれにも基本的には本音で接しています。
そうした生き方しかできないからです。
節子は、そうした私を選び、支えてくれたのです。
その節子は、もういませんが、私の生き方は変わりません。
誰の本音も引き受ける生き方をしているつもりですが、最近はその重さにへこたれがちです。

でも、時間がたつと、それが自分の支えになっていくから不思議です。
今日は、疲れきって、不安の中で過ごしていました。

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■節子への挽歌1647:一人旅

節子
挽歌が書けずにいます。
単純に時間がないだけの話なのですが、節子が旅立ってからの日数と挽歌の番号が6つもずれてしまいました。
がんばって追いつかないといけませんが、まだもう2週間、時間破産から抜けられそうもありません。
困ったものです。

昨日、大阪で「自死を語り合える社会に」というテーマのフォーラムに行ってきました。
時評編には少しだけそのことを書きましたが、終わった後、ドッと疲れが出てしまいました。
そのことを書く前に、行きの新幹線のことを少し書きます。

久しぶりに早朝の新幹線に乗りました。
いつものように、本を読むか、パソコンをするかなのですが、昨日は湯河原を通過する頃から、なんとなくボーっと外を見ていました。
東海道新幹線で、こうやってボーっと外を見ているということは、そういえば、長いことをなかったなと気がつきました。
新幹線の車窓からの風景は、節子を思い出させるので、最近はあまり見ないようにしていました。
富士山さえ、ほとんど見たことがありません。
東海道新幹線は、節子とは毎年何回も一緒に乗りましたから、見ているだけで思い出してしまうのです。
昨日もそうでした。
いろんなことが思い出されます。

節子と一緒に見た風景がある。
その中を今は一人で通過している。
そう思うとやはり寂しくなってしまいます。
一緒に見た風景を見れば悲しくなり、新しい風景を見れば、節子に見せたくなる。
一人旅は、やはり好きにはなれません。
思い出すことが悲しすぎるからです。

これは、車窓風景だけではありません。
人生をもし旅にたとえるとすれば、「同行二人」であるとしても、一人で歩く寂しさは時々、心身を襲ってきます。
そんなことを考えながら、見るでもなく見ないでもなく、車窓の外に目をやってぼんやりしていたら、いつの間にか新大阪に着いてしまいました。
そして、夢遊病者のように駅を歩いていたのでしょうか、気がついたらJRに乗り換える予定だったのに、改札を出て、わけのわからない方向に歩いているのです。

いささか疲れているとはいえ、不思議な体験をしました。
事故に合わずに良かったです。

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■知ることから生まれるものがある

昨日、大阪で「自死を語り合える社会に」と言うテーマでのフォーラムがありました。
テーマには副題がありました。
「自死のこと、自死遺族の置かれた立場を知ることから生まれるもの」。

大震災が起こる前の年に流行した言葉の一つが「無縁社会」でした。
しかし、大震災後は、思いやり、絆、繋がり、支え合いという言葉がよく聞かれるようになりました。
社会が変わったようにも思いますが、しかし現実は相変わらず、支え合いとは程遠い事件がマスコミをにぎわしています。
流行語が無縁社会から絆に変わっても、そしてみんなの意識が変わり出しても、実際には何も変わっていないのかもしれません。

しかし、東北の被災地に行って、被災者と触れ合うことで、生き方を変えた人も少なくありません。
言葉だけでは私たちの生き方はなかなか変わりませんが、新しい世界を知ると、あるいは自分とは違った世界を知ると、生き方は変わります。
知ることから生まれるものがあるのです。
昨日は、そのことを伝えたかったのですが、思うように話を運べずに、とても無念さが残ってしまいました。
私の準備不足でした。
まだまだ知らない世界がたくさんあります。

この数年、自殺・自死のテーマに少しだけ関わっています。
そこから学んだこと、気づいたことはとてもたくさんあります。
自死遺族の世界を知るのが一番難しかったのですが、最近、少しずつその世界も見えてきました。
観察者的にではなく、私自身の思いに重なるものとして、です。
私は「病死」で妻を失いましたが、その体験が、それを可能にしてくれました。

「自死のこと、自死遺族の置かれた立場を知ることから生まれるもの」。
とても含蓄のある言葉です。
自死に限らず、気づかない世界、知らない世界に触れることで、人は変わります。
被災地に行かなくても、私たちは、周りの世界にちょっとだけ目を凝らすだけで、知らない世界が見えてきます。
それが生き方を豊かにしてくれます。

昨日のフォーラムで、もう一つ気づいたことがあります。
「知らせることで生まれるものもある」ということです。
知ることも、知らせることも、結局は同じだろうと思っていましたが、そうえではないことにも気がつきました。
昨日の話し合いの、まだ延長にいます。
「自死を語り合える社会に」というテーマの意味を、反芻しています。
フォーラムを開催する前に、もっとしっかりと考えておくべきでした。
めずらしく反省しています。

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2012/03/07

■貨幣経済の本質

もう数十年ぶりでしょうか、幸徳秋水の「帝国主義」を久しぶりに読みました。
先日、テレビで幸徳秋水の番組を見て、思い立ったのです。
そこにこんな文章が出てきました。

「資本家工業家が生産の過剰に苦しむと称する一面においては、見よ幾千万の下層人民は常にその衣食の足らざるを訴えて号泣しつつあるにあらずや」

現在の日本、あるいは世界の経済は、幸徳秋水の時代と何一つ変わっていないようです。
幸徳秋水の「帝国主義」に限りません。
たとえばラスキンやアダム・スミスなどの著作が最近実に新鮮に読めるのです。
もしかしたら時代は100年ほど前に逆戻りしているのかもしれません。
さてさて気の重いことです。

しかし、たぶん時代が逆流しているのではないでしょう。
ここにこそ、貨幣経済の本質があるのかもしれません。
「悪貨は良貨を駆逐する」というグラシャムの法則がありますが、貨幣の材質の悪化ではなく概念の悪化にも当てはまります。
地域通貨の世界では、よく「冷たいお金」と「あたたかなお金」と言われますが、貨幣はどんどん冷たくなる本質を持っているのかもしれません。

幸徳秋水の言葉を使えば、「資本家工業家」にとっては良い方向に、「幾千万の下層人民」にとっては悪い方向に向かわせるのが、貨幣です。
格差を生み出すためのツールが貨幣であることは言うまでもありません。
なぜなら貨幣によってこそ所有の限界が超えられたからです。
現物は、長期間保存すれば減価します。
富の保存手段としての貨幣が出現したことで、所有概念は変化し、格差を無限に増幅させられるようになったわけです。
経済の発展は「格差の縮小」と思いがちですが、「格差の拡大」と言うべきかも知れません。
しかし、それは「貨幣経済」の話です。
サブシステンス経済においては、たぶん格差の縮小が経済発展につながるはずです。
貨幣、つまり「お金」は実に悩ましいものです。

それにしても昨今の貧困現象は目に余ります。
今年になってどれほどの「餓死事件」がテレビで報道されたでしょうか。
飽食と餓死が並存することは決して矛盾はしないのでしょうk。
餓死があればこそ飽食がある。
これが貨幣経済の本質かもしれません。

こんなことを書き出したのは、どうも世論そのものが、「下層人民は常にその衣食の足らざるを訴えて号泣しつつある」方向に何の疑いも抱かずに動いているような気がするからです。
どうも昨今の経済理論には矛盾を感じます。

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■節子への挽歌1646:compassion

10年ほど前から「大きな福祉」を理念にして、だれもが気持ちよく暮らせる社会に向けて「自分の一歩」を踏み出している人たちのゆるやかな輪を育てる活動に取り組んでいます。
と言っても、これまた私自身の一歩という程度のささやかな活動です。
節子も一緒に取り組んでくれるはずでしたが、始めてしばらくして、節子が発病してしまったので、最初の展望とは違ったものになってしまいましたが、いまも「自分の一歩」として続けています。
それが「コムケア活動」です。

その活動を設計した時には、メイヤロフの「ケアの本質」に共感し、ケアを「関係性」として捉え、重荷を背負い合う関係を育てようと呼びかけました。
あるNPOに取り組む人からは、とても魅力的な言葉だが、重荷を背負い合うというと腰が引けると言われました。
私は、無理のない範囲で重荷を背負い合うことは生きることを楽にするだろうと思っていましたが、受け止め方はさまざまでした。
いま考えれば、「関係性」という発想が多くの人には弱いのだろうと思います。
昨年の3.11の体験は、そうした状況を変えたのかもしれませんが、まだ確信は持てません。
言葉としての「関係性」は広がってきましたが、実体としての「関係性」は必ずしも育っていないような気がします。

Compassionという言葉があります。
最近、出会った言葉です。
「神話の力」のなかで、キャンベルは「やさしさ」を考える鍵はcompassionだと言っているのです。
passionは「受難」であり、com は「共に」という意味ですから、「共に難に向かう」と言うことでしょう。
つまりは「重荷を背負い合う」ということです。

私が節子と会って、「結婚でもしない?」と誘ったのは、いかにも不謹慎のように響きますが、節子はその言葉の奥に、たぶん「重荷を背負い合う」関係性を感じていたと思います。
だからこそ、その不謹慎な誘いに乗ったわけです。

一緒に暮らしだしてから、どれほどの「受難」があったでしょうか。
たくさんあったようでもあり、なかったようでもあります。
重荷は、一人ではただただ辛いばかりですが、背負い合うと辛さと共に、希望や喜びが生まれるのです。

最近、被災地で生活再建に取り組んでいる人たちのドキュメントをよく見ます。
私など体験した事のないような過酷な状況からの再出発。
しかしそこに登場する人たちの表情には、時に喜びさえ感じます。
解決すべき重荷があり、背負い合う仲間がいる。
不謹慎ですが、時にうらやましくなります。

私は今、果たして重荷を背負っているのか。
その重荷を誰と背負い合えばいいのか。
それが最近わからなくなってきました。
片割れだった節子がいなくなると、思考が本当に混乱します。

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■節子への挽歌1645:アモール

また挽歌が滞ってしまっています。
今日はいくつか書こうと思いますが、いささか思考的な話になりそうです。

アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、愛について語り合うとしたら、12世紀の吟遊詩人から始めると話しています(「神話の力」)。
それまでの西洋社会での「愛」は、エロスかアガペだけだったというのです。
エロスは生物学的な衝動、アガペは無条件な理念的な人類愛です。
それに対して、吟遊詩人たちは、目と目が合うことから生じる個人対個人の経験をアモールとして語ったのです。
その愛はどこから生まれるのか。
それはまさに個々人の心身としか言えません。心でも身でもなく「心身」です。
キャンベルは、「私たちはほかの人とではなく、そのひとりと恋に陥る。非常に不思議なことですね」と語っていますが、実に不思議な話です。

ユングは「魂はその片割れを見つけるまでは幸せになれない」と言っていますが、片割れを見つけた時に、それが生ずるのかもしれません。
だからこそ、その人との別れは「自らの半身と半心」を削がれるような状況を引き起こします。
愛には、喜びと苦痛が含まれているのです。
キャンベルは、「愛が強ければ強いほど、苦痛も増す」と言っていますが。同時に、「愛はすべてを耐える」とも言っています。
最近、キャンベルのこうした言葉がすんなりと心身に入ってくるようになりました。
しかし、こうしたことはユングの言う集合的無意識として私たちの心身に埋め込まれているのかもしれません。
そういえば、節子と会ったころに、「とばっちり」という短編小説(と言えるかどうかは危ういですが)を書いたことがあります。
片割れ探しに宇宙をさまよう片割れの話だったと思います。
節子も読んだはずですが、ほとんど興味を示しませんでした。
今もきっと書類や資料のどこかに埋もれているでしょう。

キャンベルとの対話の中で、ジャーナリストのビル・モイヤーズは、「人が経験する最悪の地獄は、愛する人から切り離されること」と言っていますが、最近はそうした考えが、その前にある「出会うこと」という体験を忘れているような、身勝手な考えのように思えてきました。
哀しみにも感謝しなければいけません。

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2012/03/05

■インテリとは枠の中で行動するものではない

先日紹介したテレビ番組「日本人は何を考えてきたか」の第4回目の案内役の一人は、フランス・ボルドー第三大学教授のクリスチーヌ・レヴィさんでした。
レヴィさんは、ユダヤ人の伯父をアウシュビッツで失った体験の持ち主だそうです。
日本に留学し、幸徳秋水の「帝国主義」に出会い、それをフランス語に翻訳されたそうです。
幸徳秋水や堺利彦へのコメントにはとても共感がもてました。

それはそれとして、もう一つとても興味深い指摘がありました。
もう一人の案内役は山地進さん(明大教授)でした。
山地さんのお話も私にはとてもわかりやすく納得できるものでしたが、山地さんの発言にレヴィさんが異を唱えたのです。
そもそもこういう番組ではっきりと「異を唱える」と言うのが新鮮でしたが、それ以上にその主張にハッとさせられました。
最近、私自身が忘れかけていることでした。

大逆事件の後、日本の社会主義は冬の時代を迎えます。
国家に対して異を唱えて行動を起こす人はいなくなり、日本はその後、どんどんと戦争に向かっていくわけです。
山地さんは、国家の考えややり方に反対していた人はいたが、当時の状況では行動は起こせなかった。
というのも、異を唱えるだけで懲役刑になったから動けなかったと発言しました。
つまり、統制が厳しくなり、行動しようにも行動できなかったというわけです。
私もそう思いました。
ところが、レヴィさんはそれは違うときっぱりと否定しました。
そして、インテリとは枠の中で行動するものではない、枠を超えて、つまり制度などに縛られずに行動するのがインテリだと言うのです。
極端に言えば、死を恐れるようではインテリとはいえない、というわけです。
たしかにそうです。
枠の中でいくら異を唱えていても、それはむしろ逆利用されるだけです。
最近の原子力関係の委員会に、まさにその典型例を見ることができます。
反対論を唱える学者を入れることで委員会は中立に装えるのです。

インテリとは枠の中で行動するものではない。
パラダイムを変えるパワーは、まさに知にあります。
いや、パラダイムを変えるパワーのない知などは、浅薄な知識でしかありません。
レヴィさんは、そういっているのです。

当時の社会主義者たちは、日本という枠の中でしか考えていなかったとも、レヴィさんは指摘しました。
そういえば、フランスがナチスに占領された時に、ドゴールは国外に政権を建てました。
ちょっと適切な例ではないかもしれませんが、レヴィさんの発言を聞いて、すぐにそれを思い出しました。

大逆事件以来、日本は社会主義の冬の時代を迎えました。
3.11以来、私たちにはどんなチャンスがあるのか。
冬でなければいいのですが。
死を賭した革命家がでなければ、春は来そうもありません。

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2012/03/04

■節子への挽歌1644:運が離れていっているかもしれません

節子
びわこマラソンをテレビで最初から最後まで見ました。
マラソンをずっと見たのは生まれて初めてです。
しかも一人で見ていました。
特に興味があったわけではありませんし、見るつもりがあったわけでもありません。
NHKのお昼のニュースを見ながら昼食を食べていたのですが、ニュースが終わったらマラソンが始まったのです。
少し見てからやめる、溜まりに溜まっている宿題に取り組むつもりでした。
ところが目を離せなくなりました。
ランナーのせいではありません。
コースのせいです。

びわこマラソンのコースは、私たちが一緒に住み始めた琵琶湖湖畔です。
私たちは瀬田川のすぐ近くの借家から生活を始めたのです。
私たちがよく歩いた道も出てきます。
私たちが住んでいた頃とは街並みも一変していますが、なぜかテレビから離れられなくなったのです。

瀬田川の風景は変わっていませんし、瀬田側の道路風景はあまり変わっていないように思いましたが、膳所から石山辺りの風景はまるで変わっていました。
石山寺の山門前も大きく変わっていました。
私たちが行っていた頃とは大違いです。

コースは私たちの活動範囲にかなり重なっています。
風景は違っても、なにやらひきつけられるものがあり、なんとなく最後まで見てしまったわけです。
肝心のマラソンの内容は、予想を裏切って、一般参加のランナーが日本人のトップでした。
最も期待されていたランナーは惨敗でした。
ずっと見ていたのでよくわかるのですが、彼は最初からついていなかったように思います。
不運だったのです。
昨日書いた「不運と思ってあきらめてくれ」という言葉が頭に浮かびました。

節子
私は実に運の良い人間だと思っています。
節子を失ってもまだ、そう思っていました。
しかしもしかしたら、節子がいなくなってからは運が離れていってしまったのかもしれません。
最近、あんまり良いことがありません。
私の運が良かったのは、節子がいたからかもしれません。
だとしたら、これから少し心配ですね。
困ったものです。

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■原発と原爆

ホームページ(CWSコモンズ)に書いたものを、このCWSプライベートにも少し加筆して書かせてもらいます。

先日、「原爆投下と原発事故の奇妙な一致」という記事を書きましたが、その続きです。
その記事を読んだ一条真也さんから「原爆投下は予告されていた」という本のことを教えてもらいました。
一条さんは、その本について、すでにご自身のブログで取り上げていました
一条さんからのお薦めもあり、私もその本を読みました。
軽い気持ちで読み出したのですが、その「まえがき」に書かれていた著者の古川愛哲さんの疑問にハッとさせられました。

「第二次世界大戦において、なぜ日本国内では、政治家や官僚、高級軍人の多くが生き残ったのか」

この疑問こそ、古川さんがこの問題に取り組みだしたきっかけなのだそうです。
あまり意識したことはなかったのですが、これは実に恐ろしい「疑問」です。
あまりに本質的な問いで、できれば問いかけたくない疑問です。
国家権力や支配原理ということから考えれば、答は明白だからです。

最近、「国家の犯罪」という言葉さえもが、NHKのドキュメンタリー番組でさえ、出てくるようになりました。
たとえば、シリーズで放映されている「日本人は何を考えてきたのか」の第4回で取り上げられた大逆事件について、解説者は「国家の犯罪」という言葉を明言されています。
私自身は「国家犯罪」ではなく「政府の犯罪」というべきだと思いますが、まあ同じようなものでしょう。
いつの時代も、国家政府は司法を使って「犯罪」を「正義」として遂行できます。

同書によれば、広島は西日本を統轄する第二総軍司令部がある「軍都」であったにもかかわらず、司令官と参謀は生き延び、高級将校のほとんども生き残ったというのです。
そして、「承知しながらも、原爆を投下させた人々」がいると書いています。
もしそうであれば、それは「政府の犯罪」です。
同書には、もっと生々しいイメージを感じさせる事実がいろいろと紹介されています。

そして、とても偶然とは思えぬようなタイミングで、本書執筆中に福島原発事故が起こります。
著者はこう書いています。

大日本帝国陸海軍の軍人の所業と、東日本大震災下における官僚の行動――この二つの点を結んだ線上に、本書が追い求めんとする事実はあった。
その事実とは、「強者が弱者を盾にして、あるいは強者が弱者を置き去りにして逃げを打った事実」です。
福島原発事故に関しても、同じような動きがあったことがいろいろと判明してきました。
実に悲しい話ですが、それこそが「強者」の本性ですから仕方ありません。

しかし、「この二つの点を結んだ線上」ではなく、その奥に見えるものもあります。
それは「実験」です。
文字にすることも躊躇しますが、私にはどうしても「実験」という言葉が頭にちらつきます。
原爆投下の前に、日本はすでに戦争終結に向けて動いていましたから、そもそも原爆は投下される必要はなかったはずです。
だとしたら、それは「実験」以外の何ものでもありません。
念のために言えば、「アメリカにとっての実験」(それは明白です)ではなく、「日本にとっての実験」です。
そして、今回の福島原発事故とその後の対応の動きはどうでしょうか。
そこに、とてもよく似た構図が感じられます。
「実験」などという言葉を使うのは不謹慎ですが、どうしても私にはその二文字がちらついてなりません。

ちなみに、私は原爆と原発は同じものだと考えています。
実際に深くつながっているのですから、分けて考えることなど出来るはずがありません。
しかし、原爆と原発の被災からの対応過程が、これほどまでに似ていることには驚きを感じます。

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2012/03/03

■「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」

1週間ぶりの時評編です。

友人の川本兼さんが「日本人は脱原発ができるのか」(明石書店)という本を出版しました。
川本さんは、近代を超える「新しい思想」として「新社会契約論」を提唱している人です。
国家から発想するのではなく、個々の人間の生活から発想した「社会契約」論ですが、その枠組みで「日本人は脱原発ができるのか」と問いかけています。
ぜひ多くの人に読んでほしいと思いますが、詳しくはホームページの本の紹介をお読みください。
ここでは、その本の「あとがき」で川本さんが書いている文章を紹介させてもらいます。

今回の大震災と大津波後の日本の状況は、日本人に対してもう一度、「他者の『人間の尊厳』に対する配慮に欠けた日本人」と「他者の『人間の尊厳』に配慮し合う日本人」のどちらを選ぶかを、私たちに問いかけているのかもしれません。
「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」
これが川本さんの議論の重要な基準です。
脱原発ができるかどうかは、この配慮ができるかどうかと深くつながっていると川本さんは言います。
全く同感です。
そう思うと、最近の動きはあまり期待できません。
相変わらず、「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」が欠けている活動が多いからです。
言うまでもありませんが、脱原発や反原発の活動においても、です。

挽歌編に書きましたが、先日、テレビで「日本人は何を考えてきたか」の第4回目「非戦と平等を求め」を見ました。
そこで幸徳秋水の「帝国主義」の文章が紹介されました。
長いですが、ぜひ引用させてもらいます。

思うに幼児が井戸に落ちようとするのをみたら、
誰でも走ってこれを救うのに躊躇しないだろうことは、
中国の孟子が言ったとおりで、我々も同じである。
もし愛国の心をして、本当にこの幼児を救うのと同質のシムパシー、惻隠の念 慈善の心と同様にならせることができるなら、愛国心は全く美しいもので、純粋で一点の私心もないのである。
私は、いわゆる愛国心が純粋な同情、惻隠の心でないことを悲しむ。
なんとなれば、愛国心が愛するところは自分の国土に限られているからである。
自己の国民に限られているからである。
他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、他人を愛さずしてただ自己の一身を愛する者である。

私が原発が嫌いなのは、その現場で「人間の尊厳」が踏みにじられていることを知ってからです。それが変わらない限り、原発には反対です。
もちろん、その「現場」は国内だけではありません。
どうやって発電した電力かを使用者が選べるようになってきていることに期待しています。

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■節子への挽歌1643:不運と思ってあきらめてくれ

 

愛する妻よ
人間の寿命ははかるべからざるものだ。
不運と思ってあきらめてくれ。

節子
少し前に放映された「日本人は何を考えてきたか」の第4回目「非戦と平等を求め 幸徳秋水と堺利彦」に出てきた、森近運平の手紙の文章です。
森近は全くの無実にもかかわらず、大逆事件と言われる国家犯罪に巻き込まれて、わずか30歳で死刑になります。
その森近が死刑執行の直前に妻に送った手紙に書いた文章です。
人間の寿命ははかるべからざるものだ。
不運と思って諦めてくれ。
テレビ番組を見たのは数日前ですが、この言葉がなかなか頭から離れないのでここに書くことにしました。

たしかに「寿命」は個人の「はかるべきもの」ではないのかもしれません。
昨今の健康志向のブームには、私自身はいささか否定的ですが(生物学的な生よりも人間的な生をこそ目指したいと私は思っています)、それでも私はかなり「寿命」の長さを望んできました。
もちろん節子がいなくなった今は、その気持ちは全くありませんが、しかしどこかに「はかるべきもの」という思いがあることは否定できません。
それに、節子の「寿命」が62歳だったとしても、それを単に「不運」とは思えません。
もっと長くしたかったですし、それができなかったのは私の責任でもあるという思いから、たぶん永遠に解放されはしないでしょう。
しかし、節子はどうだったでしょうか。
テレビを見た時に、そう思ったのです。

節子は、私に何回も「ごめんね」と言っていました。
手術をしてなかなか回復できないでいた時には、なんでこうなってしまったのだろうと悲しむことはありましたが、半年位してからは決して自らの不運さを嘆くことはありませんでした。
節子から「愚痴」を聞いたことは一度もありません。
節子はいつも前しか見ていなかったような気がします。
前に何もないことがわかってからも、です。
私と違って、自らを決してだますことはなかったのです。
そして、私に「不運」の試練を残していくことを謝っていたのです。

4年半経って、しかも森近運平の手紙の文章を知って、さらに数日考えて、やっと気がつきました。
なんという愚鈍さ、我ながら嫌になります。
しかし、不運といって諦めることはしません。
不運とか運がいいとか、そんなことはもう通り抜けました。
節子と人生を共にした事実があれば、それで十分に良しとしましょう。
森近運平も、そう思っていたのではないか、そんな気がしてきました。

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2012/03/02

■節子への挽歌1642:哀しみの表現の場

節子
私と同じように、書くことによってなんとかバランスを保っている人に会いました。
Kさんといいます。
1年前に、同棲していた恋人を病気で亡くされたそうです。
病気がわかってから3か月。
突然の別れでした。

私たちのように、ずっと一緒に病気に向き合っていても、別れは突然に来ました。
そして、正直、別れがうまく理解できずに、思考が乱れ、わけがわからなくなりました。
いまでも私はあまり理解できていません。
節子は今もどこかにいるような気もしますし、節子のいない世界など嘘だろうと思うこともあります。
Kさんの場合は、3か月です。
理解しようにもたぶん理解できないでしょう。

Kさんも、ある時、突き動かされるようにして、思いをブログに書きだしたそうです。
私と同じです。
私と違うのは、書くだけでは鎮まらず、自分と同じような人はどうしているのかと動き出したのです。
そして私のところにやってきてくれました。
私も節子のことを素直に話せました。
Kさんも話してくれました。
こうやって話せる場があるだけでも救いになる、
だとしたら、同じ思いをしている人たちが話したくなったら話す場があればいい、
話でなくてもいい、音楽でもアートでも、ともかく表現できる場があればいい。
Kさんはそう考えて、動き出したのです。

Kさんはまだ30代の男性です。
私になにができるだろうか。
考えてみようと思います。
Kさんの愛の深さには、負けそうな気がしました。
私には初めての思いです。

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2012/03/01

■節子への挽歌1641:フォワード

節子
節子と最後に行った旅行先で出会った東尋坊の茂さんの夢を応援しようと立ち上げた「自殺のない社会づくりネットワーク」も3年近くが経過しました。
節子を見送った後、気力を失っていた私が、活動を再開するために、このネットワークづくりやその後の活動は大きな力になりました。
3年目を迎え、そのネットワークで「フォワードが語り合う公開フォーラム」を開催することになり、いまその準備をしています。

自殺企図者や自殺未遂者という言葉があまりに強烈だったので、「前に向かって進んでいく人」という思いを込めて、「フォワード」と命名させてもらったのです。
東尋坊の茂さんのように、自殺防止活動をしている人を「ゲートキーパー」と呼んでいるのに合わせての命名でした。
果たして適切な言葉だったのかどうかは、最近少し悩ましく思い出していますが、私の中では自殺に限らず、先を見て前に進む人を元気づける言葉になってきています。
つまり、私もまさに「フォワード」なのです。

3月のフォーラムの参加申し込みをしてきた方が、参加動機に「フォワードという存在にたいへん興味がある」と書いてきてくださいました。
自死遺族の方のようです。
「フォワード」の命名者としては、とてもうれしいことでした。
そして、少し考えました。
果たして、私自身はいま「フォワード」と言えるだろうか、と。

節子がいなくなってから、どんなに元気そうにしていても、実のところ、前に進めずにいる自分によく気づきます。
昔の私を知らない人は、それでも私がいろんなことに取り組んでいるに感心してくれます。
しかし、実のところ、ほんとは進みたくて進んでいるのではないのです。
だから行動力が全く違います。
その上、時々、そうした「本音」が外に出てしまいます。
先日は、それをある人から注意されました。
素直さもほどほどにしなければいけません。

3月にもうひとつ、「自死を防ぎたい! そのために何ができるか」をテーマにしたフォーラムも開催されます。
その内容をパネリストの方たちと相談していたら、こんなご意見をいただきました。

「自死を防ぐ」という姿勢には、死にたい気持ちを持っている方に対しても、大切な人を自死で亡くした方に対しても、さらなる苦悩を付加してしまう可能性を持っていると経験的に感じています。
ハッと気づきました。
私自身もそうだったのではないのか、と。
「フォワード」などと口で言うのは簡単ですが、人の生はそんなに簡単ではありません。
前に進まなくても、止まっていてもいい。
後ろに進んでもいいのではないか。

「フォワード」と命名してよかったのかどうか。
自分で企画しながら、今度のフォワードフォーラムは少し気が重くなってきました。

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