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2012/03/18

■節子への挽歌1656:一人称自動詞の生き方

節子
杉本泰治さんが夕食会に誘ってくれました。
杉本さんは私たちよりもひとまわり年上ですが、お元気に社会の問題に取り組んでいます。
節子の訃報を聞いて、真っ先にわが家まで駆けつけてくれたのも杉本さんでした。
その時の「奥さんは同志でした」という言葉が、私には最高の弔辞でした。
杉本さんほど誠実な方は、そうはいないでしょう。
もし節子が元気だったら、と思うととても残念です。

杉本さんが誘ってくれたのは、技術倫理に取り組んでいる技術士のみなさんです。
北海道大学で技術倫理の普及にご尽力されている名誉教授の佐伯さんが上京する機会に、杉本さんが一緒にそうした活動をしている人を集めてくれ、私も呼んでくれたのです。
美味しい夕食までご馳走になりながら、4時間ほどの歓談を楽しませてもらいました。

みんなそれぞれに実績のある活動をされている方ですので、話も社会全体の話題になります。
それにみんな専門を持ったプロフェッションです。
話を聴きながら、ついつい余計なことを話してしまいました。
私は「一人称自動詞で語る生き方」をしているので、社会のためという発想がないのです、と。
ところが、その言葉をみんながとても好意的に受け止めてくれました。
受け止めただけではなく、早速にその視点をそれぞれが取り込んでくれたのです。

「一人称自動詞で語る生き方」。
この生き方を私がしっかりと身に付けられたのは、たぶん節子のおかげです。
うまく説明はできませんが、節子と一緒に生きたおかげで、私は頭で生きる生き方から、心身で生きる生き方を自然に身につけたように思います。
とても不思議なのですが、私の突拍子のない考えも節子は拒否せずに聴いてくれましたが、その一方で、修は頭が良いので理屈が達者だと、やんわりと私をいなすことも多かったのです。
頭が良い、と言うのは、もちろん批判的な意味です。
節子は、たぶん一度として、私に対して褒める意味で「頭が良い」とは言いませんでした。
節子にきちんと聴いてもらうには、あるいは共感してもらうには、一人称自動詞で語らなければいけなかったのです。

「一人称自動詞の生き方」の一つの結果は、私が会社を辞めたことでした。
一人称自動詞で語るためには、これまでの組織は居心地のいい場所ではありません。
最近はようやく、一人称自動詞でも居場所のある組織のかたちが少しずつわかってきました。
そして今は、そうした組織を自らで育てながら、生きています。
これももしかしたら節子が残していってくれたのかもしれません。
そうした生き方は、節子とやっていたオープンサロンが生みの親のような気がします。
理屈だけで生きていた、小生意気で小賢しい私の生き方を変えてくれた節子には感謝しなければいけません。

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