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2012/03/03

■節子への挽歌1643:不運と思ってあきらめてくれ

 

愛する妻よ
人間の寿命ははかるべからざるものだ。
不運と思ってあきらめてくれ。

節子
少し前に放映された「日本人は何を考えてきたか」の第4回目「非戦と平等を求め 幸徳秋水と堺利彦」に出てきた、森近運平の手紙の文章です。
森近は全くの無実にもかかわらず、大逆事件と言われる国家犯罪に巻き込まれて、わずか30歳で死刑になります。
その森近が死刑執行の直前に妻に送った手紙に書いた文章です。
人間の寿命ははかるべからざるものだ。
不運と思って諦めてくれ。
テレビ番組を見たのは数日前ですが、この言葉がなかなか頭から離れないのでここに書くことにしました。

たしかに「寿命」は個人の「はかるべきもの」ではないのかもしれません。
昨今の健康志向のブームには、私自身はいささか否定的ですが(生物学的な生よりも人間的な生をこそ目指したいと私は思っています)、それでも私はかなり「寿命」の長さを望んできました。
もちろん節子がいなくなった今は、その気持ちは全くありませんが、しかしどこかに「はかるべきもの」という思いがあることは否定できません。
それに、節子の「寿命」が62歳だったとしても、それを単に「不運」とは思えません。
もっと長くしたかったですし、それができなかったのは私の責任でもあるという思いから、たぶん永遠に解放されはしないでしょう。
しかし、節子はどうだったでしょうか。
テレビを見た時に、そう思ったのです。

節子は、私に何回も「ごめんね」と言っていました。
手術をしてなかなか回復できないでいた時には、なんでこうなってしまったのだろうと悲しむことはありましたが、半年位してからは決して自らの不運さを嘆くことはありませんでした。
節子から「愚痴」を聞いたことは一度もありません。
節子はいつも前しか見ていなかったような気がします。
前に何もないことがわかってからも、です。
私と違って、自らを決してだますことはなかったのです。
そして、私に「不運」の試練を残していくことを謝っていたのです。

4年半経って、しかも森近運平の手紙の文章を知って、さらに数日考えて、やっと気がつきました。
なんという愚鈍さ、我ながら嫌になります。
しかし、不運といって諦めることはしません。
不運とか運がいいとか、そんなことはもう通り抜けました。
節子と人生を共にした事実があれば、それで十分に良しとしましょう。
森近運平も、そう思っていたのではないか、そんな気がしてきました。

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