■節子への挽歌1657:首大仏
節子
お彼岸だと言うのに、なかなかお墓参りにも行けずにいました。
明日も一日中、用事で湯島に行かなければいけないので、今日、時間の合間を見つけて、お墓に行ってきました。
最近は寒いせいもあって、前回供えた花がまだ残っていましたが、お彼岸らしく賑やかにしてきました。
ところが事件が発生していました。
墓石の前に置いていた小さなお地蔵さんが見当たらないのです。
どこかに散歩しているのかと思って、周りを探したら、割れてしまった上半身が見つかりました。
下半分は見つかりませんでした。
なにやら縁起がよくありません。
地震のせいでしょうか。
処置に困ったので、上半身を墓石の周りの石のなかに置くことにしました。
石の中を注意してみると、お地蔵さんの首だけが出ているという構図です。
なんだか不気味だねと娘が言いました。
そういえば、湯河原に首だけの大仏があります。
節子と一緒に、千歳川を散策していて出会ったのですが、地面から首だけ出しているのに驚きました。
福泉寺の首大仏です。
大きさは2メートルぐらいで、その異形さもあって迫力があります。
福泉寺は、実際には湯河原ではなく、千歳川をはさんで対岸の熱海市にあるのですが、まあ湯河原の一部のような立地です。
観光案内などには、日本的でない表情から南方系の流れと説明されていますが、私たちが最初に出会った時に、私も節子も思い出したのは、飛鳥寺の大仏でした。
飛鳥大仏は、節子と私がまだ一緒に暮らしだす前に訪れたのですが、そこでのいろいろな思い出があるのです。
当時はまだ飛鳥もさほど観光化されておらず、素朴な雰囲気が残っていました。
その数年後にも2回ほど行きましたが、行くたびに様子が変わっていました。
その後、韓国の不思議な表情の弥勒菩薩の写真を見たときにも、この首大仏を思い出しました。
一度見ただけで、それほど印象に残る大仏です。
節子のお墓の石に埋もれているのは、大仏でも弥勒仏でもない、庶民的なミニ地蔵ですが、これを機会にミニ仏像を墓石の周りに気づかれないように配置するのもいいかなと思いつきました。
そういうことは、あまり節子は好まないのですが、まあいいでしょう。
機会があったら小さな仏像を集めてこようと思います。
節子
おはぎもユカが供えてくれています。
最近はスーパーで買ってきたおはぎのようですが。
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