■知ることから生まれるものがある
昨日、大阪で「自死を語り合える社会に」と言うテーマでのフォーラムがありました。
テーマには副題がありました。
「自死のこと、自死遺族の置かれた立場を知ることから生まれるもの」。
大震災が起こる前の年に流行した言葉の一つが「無縁社会」でした。
しかし、大震災後は、思いやり、絆、繋がり、支え合いという言葉がよく聞かれるようになりました。
社会が変わったようにも思いますが、しかし現実は相変わらず、支え合いとは程遠い事件がマスコミをにぎわしています。
流行語が無縁社会から絆に変わっても、そしてみんなの意識が変わり出しても、実際には何も変わっていないのかもしれません。
しかし、東北の被災地に行って、被災者と触れ合うことで、生き方を変えた人も少なくありません。
言葉だけでは私たちの生き方はなかなか変わりませんが、新しい世界を知ると、あるいは自分とは違った世界を知ると、生き方は変わります。
知ることから生まれるものがあるのです。
昨日は、そのことを伝えたかったのですが、思うように話を運べずに、とても無念さが残ってしまいました。
私の準備不足でした。
まだまだ知らない世界がたくさんあります。
この数年、自殺・自死のテーマに少しだけ関わっています。
そこから学んだこと、気づいたことはとてもたくさんあります。
自死遺族の世界を知るのが一番難しかったのですが、最近、少しずつその世界も見えてきました。
観察者的にではなく、私自身の思いに重なるものとして、です。
私は「病死」で妻を失いましたが、その体験が、それを可能にしてくれました。
「自死のこと、自死遺族の置かれた立場を知ることから生まれるもの」。
とても含蓄のある言葉です。
自死に限らず、気づかない世界、知らない世界に触れることで、人は変わります。
被災地に行かなくても、私たちは、周りの世界にちょっとだけ目を凝らすだけで、知らない世界が見えてきます。
それが生き方を豊かにしてくれます。
昨日のフォーラムで、もう一つ気づいたことがあります。
「知らせることで生まれるものもある」ということです。
知ることも、知らせることも、結局は同じだろうと思っていましたが、そうえではないことにも気がつきました。
昨日の話し合いの、まだ延長にいます。
「自死を語り合える社会に」というテーマの意味を、反芻しています。
フォーラムを開催する前に、もっとしっかりと考えておくべきでした。
めずらしく反省しています。
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コメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 履歴書の職歴 | 2012/05/04 15:25
ありがとうございます。
また来てください。
投稿: 佐藤修 | 2012/05/27 09:32