■貨幣経済の本質
もう数十年ぶりでしょうか、幸徳秋水の「帝国主義」を久しぶりに読みました。
先日、テレビで幸徳秋水の番組を見て、思い立ったのです。
そこにこんな文章が出てきました。
「資本家工業家が生産の過剰に苦しむと称する一面においては、見よ幾千万の下層人民は常にその衣食の足らざるを訴えて号泣しつつあるにあらずや」
現在の日本、あるいは世界の経済は、幸徳秋水の時代と何一つ変わっていないようです。
幸徳秋水の「帝国主義」に限りません。
たとえばラスキンやアダム・スミスなどの著作が最近実に新鮮に読めるのです。
もしかしたら時代は100年ほど前に逆戻りしているのかもしれません。
さてさて気の重いことです。
しかし、たぶん時代が逆流しているのではないでしょう。
ここにこそ、貨幣経済の本質があるのかもしれません。
「悪貨は良貨を駆逐する」というグラシャムの法則がありますが、貨幣の材質の悪化ではなく概念の悪化にも当てはまります。
地域通貨の世界では、よく「冷たいお金」と「あたたかなお金」と言われますが、貨幣はどんどん冷たくなる本質を持っているのかもしれません。
幸徳秋水の言葉を使えば、「資本家工業家」にとっては良い方向に、「幾千万の下層人民」にとっては悪い方向に向かわせるのが、貨幣です。
格差を生み出すためのツールが貨幣であることは言うまでもありません。
なぜなら貨幣によってこそ所有の限界が超えられたからです。
現物は、長期間保存すれば減価します。
富の保存手段としての貨幣が出現したことで、所有概念は変化し、格差を無限に増幅させられるようになったわけです。
経済の発展は「格差の縮小」と思いがちですが、「格差の拡大」と言うべきかも知れません。
しかし、それは「貨幣経済」の話です。
サブシステンス経済においては、たぶん格差の縮小が経済発展につながるはずです。
貨幣、つまり「お金」は実に悩ましいものです。
それにしても昨今の貧困現象は目に余ります。
今年になってどれほどの「餓死事件」がテレビで報道されたでしょうか。
飽食と餓死が並存することは決して矛盾はしないのでしょうk。
餓死があればこそ飽食がある。
これが貨幣経済の本質かもしれません。
こんなことを書き出したのは、どうも世論そのものが、「下層人民は常にその衣食の足らざるを訴えて号泣しつつある」方向に何の疑いも抱かずに動いているような気がするからです。
どうも昨今の経済理論には矛盾を感じます。
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