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2012/03/03

■「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」

1週間ぶりの時評編です。

友人の川本兼さんが「日本人は脱原発ができるのか」(明石書店)という本を出版しました。
川本さんは、近代を超える「新しい思想」として「新社会契約論」を提唱している人です。
国家から発想するのではなく、個々の人間の生活から発想した「社会契約」論ですが、その枠組みで「日本人は脱原発ができるのか」と問いかけています。
ぜひ多くの人に読んでほしいと思いますが、詳しくはホームページの本の紹介をお読みください。
ここでは、その本の「あとがき」で川本さんが書いている文章を紹介させてもらいます。

今回の大震災と大津波後の日本の状況は、日本人に対してもう一度、「他者の『人間の尊厳』に対する配慮に欠けた日本人」と「他者の『人間の尊厳』に配慮し合う日本人」のどちらを選ぶかを、私たちに問いかけているのかもしれません。
「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」
これが川本さんの議論の重要な基準です。
脱原発ができるかどうかは、この配慮ができるかどうかと深くつながっていると川本さんは言います。
全く同感です。
そう思うと、最近の動きはあまり期待できません。
相変わらず、「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」が欠けている活動が多いからです。
言うまでもありませんが、脱原発や反原発の活動においても、です。

挽歌編に書きましたが、先日、テレビで「日本人は何を考えてきたか」の第4回目「非戦と平等を求め」を見ました。
そこで幸徳秋水の「帝国主義」の文章が紹介されました。
長いですが、ぜひ引用させてもらいます。

思うに幼児が井戸に落ちようとするのをみたら、
誰でも走ってこれを救うのに躊躇しないだろうことは、
中国の孟子が言ったとおりで、我々も同じである。
もし愛国の心をして、本当にこの幼児を救うのと同質のシムパシー、惻隠の念 慈善の心と同様にならせることができるなら、愛国心は全く美しいもので、純粋で一点の私心もないのである。
私は、いわゆる愛国心が純粋な同情、惻隠の心でないことを悲しむ。
なんとなれば、愛国心が愛するところは自分の国土に限られているからである。
自己の国民に限られているからである。
他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、他人を愛さずしてただ自己の一身を愛する者である。

私が原発が嫌いなのは、その現場で「人間の尊厳」が踏みにじられていることを知ってからです。それが変わらない限り、原発には反対です。
もちろん、その「現場」は国内だけではありません。
どうやって発電した電力かを使用者が選べるようになってきていることに期待しています。

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