■節子への挽歌1649:元気をありがとう
節子
先週、トヨタにいた北川さんが久しぶりに湯島に来ました。
節子も何回か会ったことがあり、節子は北川ファンでもありました。
なにしろ北川さんは、仕事もできれば、社会活動もし、スポーツもやれば、ヴァイオリンまで習いだす、そんな人だからです。
それに比べて、私はスポーツも趣味も社会活動も、仕事さえも、ほとんどやらないのです。
節子に言わせると、私はいったい何をしているのと言うわけです。
もっとも、節子はそういう私が好きだったことは言うまでもありません。はい。
北川さんは、翌日、早速メールをくれました。
そこに、「なぜか、湯島へお邪魔すると、何かしら元気が沸いてくるような気持ちになります」と書かれていました。
うれしいことです。
私も、ようやく周りの人たちに「元気」をあげられるようになりました。
もう節子がいなくても大丈夫、とは決して言えませんが、ともかく元気をおすそ分けできるほどには戻ってきたようです。
そういえば、昨年初めて会った若者がいます。
ヒップアップダンスの名手です。
仕事で会ったのですが、彼が突然、仕事を辞めることになりました。
そのため、彼とはもう会う機会はなくなるかもしれません。
そう思っていたら、彼からメールが来ました。
「佐藤さんと話すとなぜだか力がわいてきて、色々な話も聞けるので、また連絡すると思いますので、そのときはよろしくお願いします」。
これまた実にうれしいメールです。
私は、自分が元気だとはあまり思えません。
まだまだ節子との別れから立ち直れていませんし、時々、どんよりと暗く落ち込みます。
しかし、みんなには「元気」をあげているようなのです。
どうしてそんなことが起きるのか。
元気がなくても、誰かに会うと元気が出てくる。
もしかしたら、そうなのかもしれません。
元気は「良い関係」から湧き出るのかもしれません。
節子がいた頃は、まさにそうでした。
節子がいたからこそ、元気になって、ありあまる元気を周りに振りまいてきたのです。
だとしたら、今の元気はどこから生まれてきているのか。
むしろ元気をもらっているのは、私なのかもしれません。
湯島に来るみなさんに感謝しなければいけません。
節子、そんなわけで、なんとか元気にやっています。
節子も、そちらできっと元気でしょうが。
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