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2012/03/12

■節子への挽歌1647:一人旅

節子
挽歌が書けずにいます。
単純に時間がないだけの話なのですが、節子が旅立ってからの日数と挽歌の番号が6つもずれてしまいました。
がんばって追いつかないといけませんが、まだもう2週間、時間破産から抜けられそうもありません。
困ったものです。

昨日、大阪で「自死を語り合える社会に」というテーマのフォーラムに行ってきました。
時評編には少しだけそのことを書きましたが、終わった後、ドッと疲れが出てしまいました。
そのことを書く前に、行きの新幹線のことを少し書きます。

久しぶりに早朝の新幹線に乗りました。
いつものように、本を読むか、パソコンをするかなのですが、昨日は湯河原を通過する頃から、なんとなくボーっと外を見ていました。
東海道新幹線で、こうやってボーっと外を見ているということは、そういえば、長いことをなかったなと気がつきました。
新幹線の車窓からの風景は、節子を思い出させるので、最近はあまり見ないようにしていました。
富士山さえ、ほとんど見たことがありません。
東海道新幹線は、節子とは毎年何回も一緒に乗りましたから、見ているだけで思い出してしまうのです。
昨日もそうでした。
いろんなことが思い出されます。

節子と一緒に見た風景がある。
その中を今は一人で通過している。
そう思うとやはり寂しくなってしまいます。
一緒に見た風景を見れば悲しくなり、新しい風景を見れば、節子に見せたくなる。
一人旅は、やはり好きにはなれません。
思い出すことが悲しすぎるからです。

これは、車窓風景だけではありません。
人生をもし旅にたとえるとすれば、「同行二人」であるとしても、一人で歩く寂しさは時々、心身を襲ってきます。
そんなことを考えながら、見るでもなく見ないでもなく、車窓の外に目をやってぼんやりしていたら、いつの間にか新大阪に着いてしまいました。
そして、夢遊病者のように駅を歩いていたのでしょうか、気がついたらJRに乗り換える予定だったのに、改札を出て、わけのわからない方向に歩いているのです。

いささか疲れているとはいえ、不思議な体験をしました。
事故に合わずに良かったです。

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