■インテリとは枠の中で行動するものではない
先日紹介したテレビ番組「日本人は何を考えてきたか」の第4回目の案内役の一人は、フランス・ボルドー第三大学教授のクリスチーヌ・レヴィさんでした。
レヴィさんは、ユダヤ人の伯父をアウシュビッツで失った体験の持ち主だそうです。
日本に留学し、幸徳秋水の「帝国主義」に出会い、それをフランス語に翻訳されたそうです。
幸徳秋水や堺利彦へのコメントにはとても共感がもてました。
それはそれとして、もう一つとても興味深い指摘がありました。
もう一人の案内役は山地進さん(明大教授)でした。
山地さんのお話も私にはとてもわかりやすく納得できるものでしたが、山地さんの発言にレヴィさんが異を唱えたのです。
そもそもこういう番組ではっきりと「異を唱える」と言うのが新鮮でしたが、それ以上にその主張にハッとさせられました。
最近、私自身が忘れかけていることでした。
大逆事件の後、日本の社会主義は冬の時代を迎えます。
国家に対して異を唱えて行動を起こす人はいなくなり、日本はその後、どんどんと戦争に向かっていくわけです。
山地さんは、国家の考えややり方に反対していた人はいたが、当時の状況では行動は起こせなかった。
というのも、異を唱えるだけで懲役刑になったから動けなかったと発言しました。
つまり、統制が厳しくなり、行動しようにも行動できなかったというわけです。
私もそう思いました。
ところが、レヴィさんはそれは違うときっぱりと否定しました。
そして、インテリとは枠の中で行動するものではない、枠を超えて、つまり制度などに縛られずに行動するのがインテリだと言うのです。
極端に言えば、死を恐れるようではインテリとはいえない、というわけです。
たしかにそうです。
枠の中でいくら異を唱えていても、それはむしろ逆利用されるだけです。
最近の原子力関係の委員会に、まさにその典型例を見ることができます。
反対論を唱える学者を入れることで委員会は中立に装えるのです。
インテリとは枠の中で行動するものではない。
パラダイムを変えるパワーは、まさに知にあります。
いや、パラダイムを変えるパワーのない知などは、浅薄な知識でしかありません。
レヴィさんは、そういっているのです。
当時の社会主義者たちは、日本という枠の中でしか考えていなかったとも、レヴィさんは指摘しました。
そういえば、フランスがナチスに占領された時に、ドゴールは国外に政権を建てました。
ちょっと適切な例ではないかもしれませんが、レヴィさんの発言を聞いて、すぐにそれを思い出しました。
大逆事件以来、日本は社会主義の冬の時代を迎えました。
3.11以来、私たちにはどんなチャンスがあるのか。
冬でなければいいのですが。
死を賭した革命家がでなければ、春は来そうもありません。
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