■節子への挽歌1644:運が離れていっているかもしれません
節子
びわこマラソンをテレビで最初から最後まで見ました。
マラソンをずっと見たのは生まれて初めてです。
しかも一人で見ていました。
特に興味があったわけではありませんし、見るつもりがあったわけでもありません。
NHKのお昼のニュースを見ながら昼食を食べていたのですが、ニュースが終わったらマラソンが始まったのです。
少し見てからやめる、溜まりに溜まっている宿題に取り組むつもりでした。
ところが目を離せなくなりました。
ランナーのせいではありません。
コースのせいです。
びわこマラソンのコースは、私たちが一緒に住み始めた琵琶湖湖畔です。
私たちは瀬田川のすぐ近くの借家から生活を始めたのです。
私たちがよく歩いた道も出てきます。
私たちが住んでいた頃とは街並みも一変していますが、なぜかテレビから離れられなくなったのです。
瀬田川の風景は変わっていませんし、瀬田側の道路風景はあまり変わっていないように思いましたが、膳所から石山辺りの風景はまるで変わっていました。
石山寺の山門前も大きく変わっていました。
私たちが行っていた頃とは大違いです。
コースは私たちの活動範囲にかなり重なっています。
風景は違っても、なにやらひきつけられるものがあり、なんとなく最後まで見てしまったわけです。
肝心のマラソンの内容は、予想を裏切って、一般参加のランナーが日本人のトップでした。
最も期待されていたランナーは惨敗でした。
ずっと見ていたのでよくわかるのですが、彼は最初からついていなかったように思います。
不運だったのです。
昨日書いた「不運と思ってあきらめてくれ」という言葉が頭に浮かびました。
節子
私は実に運の良い人間だと思っています。
節子を失ってもまだ、そう思っていました。
しかしもしかしたら、節子がいなくなってからは運が離れていってしまったのかもしれません。
最近、あんまり良いことがありません。
私の運が良かったのは、節子がいたからかもしれません。
だとしたら、これから少し心配ですね。
困ったものです。
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