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2012/03/24

■節子への挽歌1659:人はみんなそれぞれに特別です

前の挽歌で、節子から学んだことを書きましたが、実は別の学びの話を、昨日開催したフォーラムで最後に話させてもらいました。
それをここにも少し書いておこうと思います。

昨日のフォーラムは、フォワードに語ってもらうフォーラムでした。
前にも書きましたが、「フォワード」は、「自らあるいは身近に自殺に追い込まれるような体験をした人」を「前に向かって進みだす」と言う思いを込めて命名した言葉です。
4人のフォワードのみなさんが会場に向かって、きちんと顔を出して、語ってもらう、あまり例を見ない集まりだったと思います。
50人ほどの人が集まってくれました。
自死で伴侶を亡くされた方の話は、まさに私自身の思いを聴くようでした。

参加者で話をした後、最後に私も少しだけ自分の話をさせてもらいました。
こんな話です。

私は、4年ほど前に妻を病気で見送りました。
私が後を追うのではないかと友人たちが、心配してくれたほど、私自身もしばらくは心身が動かない状況でした。
4年半経った今も、昔の自分ではないのをはっきりと感じます。
その体験からたくさんのことを学びました。
たとえば、自分の悲しさや辛さは他者にはわかってもらえないけれど、
他者の悲しさや辛さを少しだけでも背負い合うことで、
自分の気持ちも少しだけ軽くなるということです。
悲しさや辛さのおかげで、みんなとつながれることも知りました。

自殺と病死とは違うと思う人もいるかもしれませんが、通ずるものもあります。
家族のようにしていたペットの愛犬を亡くした友人がいます。
彼から、愛犬を亡くして、佐藤さんの悲しみや辛さがわかったと言われました。
そういわれた時には正直、いやな気持ちでした。
妻と犬を同じにしてほしくありませんでした。
しかし、少しして、私の間違いに気づきました。
愛するものを失った時の思いはみんな同じなのだと。
人は自分だけが特別であると思いがちです。
しかし、人はみんなそれぞれに特別なのです。

みんなそれぞれに重荷を背負っている。
しかし、その重荷は外からは見えません。
みんな自分の辛さをわかってもらいたいと思いますが、
それに比べると、他者の辛さをわかろうとする気持ちは弱いのかもしれません。
しかし、わかることから始めなければ、わかってはもらえない。
それも、学んだことの一つです。

終わった後、若い人から心に響いたと言ってもらいました。

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