■節子への挽歌1641:フォワード
節子
節子と最後に行った旅行先で出会った東尋坊の茂さんの夢を応援しようと立ち上げた「自殺のない社会づくりネットワーク」も3年近くが経過しました。
節子を見送った後、気力を失っていた私が、活動を再開するために、このネットワークづくりやその後の活動は大きな力になりました。
3年目を迎え、そのネットワークで「フォワードが語り合う公開フォーラム」を開催することになり、いまその準備をしています。
自殺企図者や自殺未遂者という言葉があまりに強烈だったので、「前に向かって進んでいく人」という思いを込めて、「フォワード」と命名させてもらったのです。
東尋坊の茂さんのように、自殺防止活動をしている人を「ゲートキーパー」と呼んでいるのに合わせての命名でした。
果たして適切な言葉だったのかどうかは、最近少し悩ましく思い出していますが、私の中では自殺に限らず、先を見て前に進む人を元気づける言葉になってきています。
つまり、私もまさに「フォワード」なのです。
3月のフォーラムの参加申し込みをしてきた方が、参加動機に「フォワードという存在にたいへん興味がある」と書いてきてくださいました。
自死遺族の方のようです。
「フォワード」の命名者としては、とてもうれしいことでした。
そして、少し考えました。
果たして、私自身はいま「フォワード」と言えるだろうか、と。
節子がいなくなってから、どんなに元気そうにしていても、実のところ、前に進めずにいる自分によく気づきます。
昔の私を知らない人は、それでも私がいろんなことに取り組んでいるに感心してくれます。
しかし、実のところ、ほんとは進みたくて進んでいるのではないのです。
だから行動力が全く違います。
その上、時々、そうした「本音」が外に出てしまいます。
先日は、それをある人から注意されました。
素直さもほどほどにしなければいけません。
3月にもうひとつ、「自死を防ぎたい! そのために何ができるか」をテーマにしたフォーラムも開催されます。
その内容をパネリストの方たちと相談していたら、こんなご意見をいただきました。
「自死を防ぐ」という姿勢には、死にたい気持ちを持っている方に対しても、大切な人を自死で亡くした方に対しても、さらなる苦悩を付加してしまう可能性を持っていると経験的に感じています。ハッと気づきました。
私自身もそうだったのではないのか、と。
「フォワード」などと口で言うのは簡単ですが、人の生はそんなに簡単ではありません。
前に進まなくても、止まっていてもいい。
後ろに進んでもいいのではないか。
「フォワード」と命名してよかったのかどうか。
自分で企画しながら、今度のフォワードフォーラムは少し気が重くなってきました。
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