■原発と原爆
ホームページ(CWSコモンズ)に書いたものを、このCWSプライベートにも少し加筆して書かせてもらいます。
先日、「原爆投下と原発事故の奇妙な一致」という記事を書きましたが、その続きです。
その記事を読んだ一条真也さんから「原爆投下は予告されていた」という本のことを教えてもらいました。
一条さんは、その本について、すでにご自身のブログで取り上げていました。
一条さんからのお薦めもあり、私もその本を読みました。
軽い気持ちで読み出したのですが、その「まえがき」に書かれていた著者の古川愛哲さんの疑問にハッとさせられました。
「第二次世界大戦において、なぜ日本国内では、政治家や官僚、高級軍人の多くが生き残ったのか」
この疑問こそ、古川さんがこの問題に取り組みだしたきっかけなのだそうです。
あまり意識したことはなかったのですが、これは実に恐ろしい「疑問」です。
あまりに本質的な問いで、できれば問いかけたくない疑問です。
国家権力や支配原理ということから考えれば、答は明白だからです。
最近、「国家の犯罪」という言葉さえもが、NHKのドキュメンタリー番組でさえ、出てくるようになりました。
たとえば、シリーズで放映されている「日本人は何を考えてきたのか」の第4回で取り上げられた大逆事件について、解説者は「国家の犯罪」という言葉を明言されています。
私自身は「国家犯罪」ではなく「政府の犯罪」というべきだと思いますが、まあ同じようなものでしょう。
いつの時代も、国家政府は司法を使って「犯罪」を「正義」として遂行できます。
同書によれば、広島は西日本を統轄する第二総軍司令部がある「軍都」であったにもかかわらず、司令官と参謀は生き延び、高級将校のほとんども生き残ったというのです。
そして、「承知しながらも、原爆を投下させた人々」がいると書いています。
もしそうであれば、それは「政府の犯罪」です。
同書には、もっと生々しいイメージを感じさせる事実がいろいろと紹介されています。
そして、とても偶然とは思えぬようなタイミングで、本書執筆中に福島原発事故が起こります。
著者はこう書いています。
大日本帝国陸海軍の軍人の所業と、東日本大震災下における官僚の行動――この二つの点を結んだ線上に、本書が追い求めんとする事実はあった。その事実とは、「強者が弱者を盾にして、あるいは強者が弱者を置き去りにして逃げを打った事実」です。
福島原発事故に関しても、同じような動きがあったことがいろいろと判明してきました。
実に悲しい話ですが、それこそが「強者」の本性ですから仕方ありません。
しかし、「この二つの点を結んだ線上」ではなく、その奥に見えるものもあります。
それは「実験」です。
文字にすることも躊躇しますが、私にはどうしても「実験」という言葉が頭にちらつきます。
原爆投下の前に、日本はすでに戦争終結に向けて動いていましたから、そもそも原爆は投下される必要はなかったはずです。
だとしたら、それは「実験」以外の何ものでもありません。
念のために言えば、「アメリカにとっての実験」(それは明白です)ではなく、「日本にとっての実験」です。
そして、今回の福島原発事故とその後の対応の動きはどうでしょうか。
そこに、とてもよく似た構図が感じられます。
「実験」などという言葉を使うのは不謹慎ですが、どうしても私にはその二文字がちらついてなりません。
ちなみに、私は原爆と原発は同じものだと考えています。
実際に深くつながっているのですから、分けて考えることなど出来るはずがありません。
しかし、原爆と原発の被災からの対応過程が、これほどまでに似ていることには驚きを感じます。
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