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2012年4月

2012/04/30

■節子への挽歌1702:タケノコ三昧

三昧といえば、いまもう一つの三昧があります。
この季節は毎年なのですが、タケノコ三昧です。

私はタケノコ料理が大好きです。
ところが今年は福島の原発事故による放射線汚染で、周辺のタケノコがほぼすべて出荷停止になってしまいました。
そのため、わが家の食卓にはタケノコ料理が並ばないでいたのです。
今年はあんまり食べられないかなと思っていました。
ところが連休の直前に、福井にいる節子の姉からどっさりとタケノコが送られてきました。
いつもならおすそ分けするところなのですが、今年は半分以上をわが家で独占してしまいました。
それでこの数日、毎日、タケノコ料理です。
今日はタケノコの煮物とタケノコご飯とタケノコのキッシュです。
節子が元気だった頃、いろんなタケノコメニューをやってくれたおかげで、いまも娘たちがそれを引き継いでくれているのです。
わけのわからないタケノコカレーなどと言うのもありました。

ユカが、お母さんがせっかく料理を教えてくれたのだから、自分で少しは料理したらといいますが、やはり料理してもらったものを食べるのが私の性にあっています。
さて、明日はどんなタケノコ料理でしょうか。

Takenoko


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■節子への挽歌1701:読書三昧

節子
大型連休だそうです。
私にとっては、世間からのノイズから少しだけ隔離されて、一人で過ごす時間がとれる少しだけ贅沢な時間です。
今年はめずらしく読書三昧です。
5月の連休に読書三昧などとは、私にとってはたぶん初めての体験です。
読み出したのは、「ユーザーイリュージョン 意識という幻想」という500頁を超える厚い本です。
先日、やはり同じように分厚い「神々の沈黙」という本を読んだのですが、その本で知った本です。
いずれも、人類の意識を扱った壮大な本なのです。
節子との別れがなかったら、もしかしたら2冊とも読まなかったかもしれません。

本といえば、私のとっては大いに悔いになっていることがあります。
ネグリの「マルチチュード」という本です。
この本に出会ったのが、節子が病気療養中です。
あまりに面白いので、節子の病床の横で読みふけってしまっていました。
節子には少し寂しかったかもしれないと、今にして思うと後悔の念が生じます。
しかし、節子と話すのを忘れて、読みふけっていたことが何回あります。
私でさえ思い当るほどですから、節子はもしかしたら怒っていたかもしれません。
でも、その時には、まさか節子が逝ってしまうとは思ってもいなかったのです。
あまりの愚かさと身勝手さに、このことは思い出すたびに胸が痛みます。

今回の「ユーザーイリュージョン」は、どんなことなど考えずに、読みふけれますが、昨日は挽歌を書き忘れました。
懲りずに同じことをやってしまっています。
節子はきっと笑っていることでしょう。
修は夢中になると寝食を忘れるから仕方がないと諦めているでしょう。
しかし、節子がいなくなった今、寝食を忘れることはまったくなくなりました。
しかし、この本は面白いです。
ただかなり難解でなかなか読み勧めません。
その上、今回はきちんとノートをとりながら読んでいるのです。
正直に言えば、ノートを取らないと頭に入っていかないのです。
困ったものです。

ところで本書のどこが面白いのか。
それは、人間には自由意思などないのではないか、ただ「神」にしたがって生きているだけではないのか、というところです。
節子がいなくなってから、子どもの頃から思考停止してきたことを考えるようになってきていますが、その答があるような気がしているからです。
もう少し消化できたら、きっと挽歌で書けることがたくさんあるような気がします。

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2012/04/28

■節子への挽歌1700:庭でのカフェ

節子
リビングに下りていったら、娘たちが2人で庭の花の植え替えをしていました。
むかしよく見た風景です。
残念ながら節子はいませんが。
それで、私も少しだけ手伝いました。

庭に出てみると、いろんな花が咲いていました。
昨年思いきってかなり剪定した藤棚の藤も咲いていました。
最近なにかと雑用に追われ、さらにいささかの心配事に巻き込まれてしまっており、あまり庭に出て花を見る余裕がなかったのです。
節子が好きだったシラユキヒメも、山野草も、咲いていました。

娘たちから節子と花の話もいろいろと聞きました。
ハナミズキがちょっと対になる感じで植えられているのですが、その横に小さな赤いハナミズキが咲いていました。
娘によると、節子は白と赤のハナミズキを対にして植えたかったのだそうです。
ところが娘たちが「赤いハナミズキは好きでない」と言い張ったために、2本とも白になったのだそうです。
赤いハナミズキは、植木鉢に入ったものですが、これは節子がどこかからもらってきたものだそうです。
その赤いハナミズキだけが咲いています。

もう一つ節子が好きだったデルモホセカが、今年はとても元気です。
この花も挿木でどんどん増えますので、わが家からいろんなところにもらってもらった花の一つです。

Photo


タネから育てたレバノン杉も大きくなってきました。
もうこれ以上は大きくしたくないのですが、娘たちからはあまり歓迎されていません。
私の好きなランタナは、今年はかなり悲惨です。

作業の途中でみんなで庭で珈琲を飲みました。
実に久しぶりの風景です。
節子がいた頃は、時々、こういう風景がありました。

節子がいなくなってから5回目の春です。
少し何かが変わりだしているのかもしれません。

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■節子への挽歌1699:三春の滝桜

節子
福島の「三春滝桜」がいま満開のようです。
きれいな夜景がテレビで放映されていました。
節子の病気が小康状態になった年に、各地の桜を見て回りましたが、三春にも行きました。
いつだったかなと私のホームページで探したのですが、なぜかどこにも見つかりません。
写真もあったのにと写真も探しましたが、出てきません。
なんだかキツネにつままれたような気がします。
それで、昨日、この挽歌を書きだしたのですが、途中でストップしてしまっていました。
今朝も少し探しましたが出てきません。
困ったものです。

ところで、網膜には盲点があるというのは有名な話です。
しかし、その盲点は脳の働きで埋められて、私たちの視界には欠落部分は発生しません。
それと同じように、私たちの記憶もまた、欠落部分をうまくつなぎ合わせて、一つの物語として「想起」させてくれるのだそうです。
ですから思い出とは、脳による創作ともいえるわけです。

三春の桜は創作なのか。
そんなことはありません。
兄夫婦と一緒に行ったので、間違いありません。
にもかかわらず私のパソコンの中には見つからないのです。
なにしろ私は、最近はすべての記録をパソコンに入れてしまっているのです。
写真もプリントアウトせずにデータだけがパソコンにあります。
節子は、プリントアウトしない写真は写真と認めませんでしたので、たぶんどこかに三春の桜の写真もあるでしょう。
節子はアルバム整理が好きでしたから。
しかし、私はアルバムではなくパソコンの画面で映像を見るのが好きなのです。
というよりも、最近はともかくすべてをパソコンに収納するようになっています。
私のすべての記録がつまった、私のお墓をつくろうという思いなのです。
言い方を変えると、私のパソコンはいまや私以上に私のことを知っているのです。
しかも、そのパソコンはきちんと管理していけば、決して死なないのです。
娘たちにとっては、私のことはすべてパソコンにあるというわけです。
しかも縁を切りたくなったら、簡単にすべてを消去できるのです。
これって、なんだかとても魅力的な気がします。

もし仮に、もう少し早くパソコンのレベルが今程度になっていれば、節子のすべてをそこに移して、不死の節子を生み出せたかもしれません。
そして、技術の発展によって、その不死の節子が蘇ったかもしれません。
そんなことを時々思います。

話がずれてしまいましたが、なぜ、三春の桜の写真や記録がないのか。
もしかしたら、三春には行っておらずに、兄夫婦のことも私の脳の創作物かもしれません。
いや、そもそも節子は実在したのだろうか。
いやはや、寝不足のせいか、今日は頭が混乱します。

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2012/04/27

■小沢さんのけじめ、検察のけじめ、マスコミのけじめ

小沢事件の判決は無罪でした。
昨日は判決が気になって、ずっとテレビを見ていました。
無罪になって安心しましたが、裁判そのものが有効だとされたのは、がっかりでした。

報道されているように、小沢さんの言動にはすっきりしないものがあります。
それはそうでしょう。
しかし裁判は、人格や生活を裁く場ではありません。
ある特定の「事件」を裁くものです。
そうした視点から考えれば、小沢さんの言動以上におかしい言動はあります。
そもそも検察が嘘をつくことによって、強制起訴されたとも思えます。
それによって、どれだけの費用と時間が浪費されたことか。
それ以上に、日本の政治が停滞したことをどう考えるか。
そういう視点は忘れてはいけません。
小沢さんの政治家としてのけじめを説く人は多いですが、けじめをつけるべきは、検査とマスコミだろうと思います。
とくに文書捏造を行った検察関係者が起訴されないことに怒りを感じます。
そして、これほどの小沢憎悪状況をつくりあげたマスコミやそこに登場しているコメンテーターやキャスターも、少しは反省して欲しいものです。
日本では、いまや「反省」や「謝罪」の文化は消えつつあるのがさびしいです。

福島原発事故も、まだ何の総括も出来ていません。
にもかかわらず、原発再稼動に動き出しています。
そこには「反省」も「謝罪」もありません。
あるのは居丈だけな「恐喝」と「弁解」です。

昨日、敦賀の人と電話で話しました。
夕方大飯原発の説明会が行われる前です。
みんな仕事がなくなってきているので、大変だそうです。
再稼動しないと仕事はなくなると言われれば、反対もそうはできなくなりかねません。
原発を止めても仕事が生まれることを示す努力をすればいいだけの話ですが、その努力は意図的に行われていません。
自然エネルギーコストを高くするのと同じです。
コストなどは、どこまでを考慮するかで、いくらでも変えられます。
しかし、自ら考えることなく与えられた知識を覚えるのに慣らされてきた人たちは、相変わらず学者や管理者の出す数字に従います。
データなどは作られたものなのですが、知性のない人にはそれが大きな強制力を持っているのです。

小沢さんにけじめを要求するのであれば、同じように検察とマスコミにもけじめを求めるべきです。
ちなみに、私はいずれにもけじめは求めません。
けじめるのは、自ら、です。
けじめを求めるって、一体なんなのでしょうか。
けじめるべきは自分であって、他者にではないでしょう。
こんな社会に生きるのが、最近はとてもいやになってきています。

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2012/04/26

■節子への挽歌1698:運命の贈りもの

節子
ナチスの強制収容所を生きぬいた精神科医ヴィクトール・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」を読み直しました。
先日の日曜日の朝の「こころの時代」で話題になっていたからです。
番組は最後の5分ほどしか見られなかったので、再放送を見るつもりですが、まずは本を読み直してみました。
そこに、療養先で偶然にも自らの死期を知ってしまった人の書いた手紙の話が出てきました。
その人は友人に当ててこう書いています。

意識して死に赴いていくというのは、運命の贈りものにちがいないと考えました。
いまや運命は、私にも、意識して死に赴いていくことを許したのです。

そして彼は、それ以前と同じように毎日数学を勉強し、音楽を聴き、最後を迎えたようです。
フランクルは、病気も死も、贈り物と考えることができると書いていますが、その実例として、この手紙を紹介しています。

節子も、これと同じようなことを話してくれたことがあります。
もちろん、病気になってよかったとは言いませんでしたが、病気になったことに関して、恨み言は一切言いませんでした。
そこから得たものへの感謝は、口にしたことがあります。
その一方で、節子は「死への恐れ」を口にしたこともありませんでした。
家族を悲しませるようなことも、一切言いませんでした。
それはそれは、見事なほどでした。

その体験があるので、フランクルが紹介している、この手紙を読んだ時に、素直に心に入りました。
しかし、その「運命の贈り物」を、私は冷静には受け止められませんでした。
おろおろし、不安定になり、無気力になり、嘆き悲しみました。
いまなお、人生にイエスなどという気にはなれません。

それにしても、節子はなぜあれほどに心安らかで、平常心でいられたのか。
たぶん、ほんとうにたぶんですが、私の愛を確信していたからでしょう。
そう思うと、私は少し心が静まります。
愛する人に見守られているということは、そういうことなのではないかと思います。
修らしい勝手な解釈ね、と節子が笑いそうですが、まじめにそう思っています。

とてもとても辛いのですが、私にはそういう状況はありません。
旅立ちは、早い者勝ちです。
まだまだフランクルの書は、私には救いにはなりません。

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2012/04/25

■節子への挽歌1697:2つの時計

節子
今日は福知山線脱線事故の7年目でした。
事故を風化させてはいけないという発言を、テレビで何回も聞きました。
同じような事故を繰り返さないためにも、風化させてはいけないでしょうが、事故の被害者やその遺族は、なぜ風化させたくないのでしょうか。
テレビを見ながら、そんなことを考えていました。

事故の被害にあった人の関係者は、事故を忘れたいと思う一方、忘れられたくないと思うのでしょう。
そのアンビバレントな気持ちは、よくわかります。
事故の一瞬前で、時間が止まってくれたら、と、みんなそう思っているのではないか。
そんな気がします。
いや当事者にとっては、実際に時間は止まっているのです。
時間と共に癒されるとか、忘れられるとかいうことは、たぶんないでしょう。
当事者が自らの思いを「風化」させることなどあるはずがありません。
しかし、一方で社会は事件を風化させていきます。
社会にはたくさんの事故や事件がありますから、それをすべてとどめておくことなどできませんから、それは当然のことです。
当事者の時間と社会の時間は、こうしてずれていく。
当事者が「風化させたくない」というのは、その時間のずれを少しでも小さくしたいからかもしれません。
第三者が語る「風化させてはならない」という言葉とは、たぶんまったく違うのです。

事故が話題になれば、その時間に戻れるのです。
それは当事者にとっては、辛いことであるとともに、安堵できることでもあります。

風化させたくないと語る被害者家族の発言を聞いていて、どこか私の心情につながるものを感じていました。
こうした思いを抱いている人は、多いのでしょう。
そういう人たちは、たぶん「2つの時計」を持っているのです。
いつになったら、その2つの時計の時刻を合わせられるのか。
これからずっと2つの時計を持ち続けるのか。
これは、生き方につながってもいるのです。

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■荒れ野の40年でのビジョンクエスト

昨日、「荒れ地」の話を書きましたが、「荒れ地」で思い出すのはナチスドイツの戦争が終わって40年目の1985年に行われたドイツのヴァイツゼッカー大統領の演説です。
日本ではその記録が岩波ブックレットで出ていますが、タイトルは「荒れ野の40年」です。
ヴァイツゼッカーは演説の終わりのほうで、こう語っています。

イスラエルの民は、約束の地に入って新しい歴史の段階を迎えるまでの40年間、荒れ野に留まっていなくてはなりませんでした.
この「40年」に2つの反対の意味があると言います。
けじめをつけるためには40年が必要だが、40年の時間は体験の教訓をも風化させ忘れさせてしまう、というのです。
そのため、ヴァイツゼッカーは、まさに戦争が終わった40年目にこの演説を行ったのです。
この演説のことは、前にも書いたことがありますが、何回読んでも新しい気づきがあります。

荒れ野で得られるビジョンクエストという儀式が、ネイティブアメリカンにあります。
ビジネスマンの意識変革研修などにも取り組まれており、サンフランシスコ在住の私の知人もそれを日本に導入したいと相談に来たことがあります。
いまもいろいろなところが、中途半端に取り込んでいますが、ビジョンクエストはネイティブアメリカンの通過儀礼でした。
自然の中で生命のビジョンを得ることで、自らの魂に気づくのです。
荒れ地をさまよったモーゼは「言葉」を求めましたが、ビジョンクエストは個人の身体を超えたものへの気づきを目指します。
つまり言葉にならない「言葉以前のもの」です。
それが、言葉につながっていくのが、生きるということかもしれません。
だから通過儀礼なのです。
それをきちんと通過していないと、誰かの言葉に従うだけの存在になってしまいかねません。
言霊に振り回されるか、言霊とつながるかは、大きな違いです。

ドイツが「荒れ野の40年」からどう立ち上がったかは、さまざまな事実が示しています。
たとえば、昨年の福島原発事故のあとのドイツの動きは見事です。
メルケル首相は、福島の事故が起きてからわずか10日間で、倫理委員会を設置し、倫理委員会は5月末に報告書を取りまとめています。
そしてエネルギー政策を転換しました。

日本は戦後の荒廃から20年で立ち上がりました。
いかにも早かったのですが、その咎がいま生じているのかもしれません。
原爆の体験も、これほど風化するとは思っていませんでした。
ヴァイツゼッカーが演説していた頃、日本は高度成長後のバブルの余韻に酔い、マネタリーエコノミーをさらに加速させようとしていました。
私が会社を辞めたのは、その4年後です。

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2012/04/24

■節子への挽歌1696:十句観音経

節子
十句観音経を毎朝声明しようと決めましたが、最初はなかなか続かずに、習慣化したのは最近です。
たった10句なのになかなか覚えられませんでした。
そもそも覚えようなどという姿勢が間違っているのでしょう。
ともかく声にしていれば、おのずと口から出るようになるものです。
どうもまだ、「覚えよう」という発想から抜けられません。

十句観音経はとても短く、要旨は次のようなものらしいです。
「朝夕に観世音を念じ、無我の心からすべての念を起こすようにすれば、自らの内にある仏性が目覚め、平安がやってくる」
まさにこれは「自己暗示」です。

昨日、言霊に魅せられているお2人の人が湯島に来ました。
言霊思想は日本だけのものではありませんが、お経はまさに言霊の世界です。

ところで、お経をあげる時には大日如来ではなく、節子の写真を見ながらのことが多いです。
そうすると、観世音と節子とが重なってきます。
十句観音経にある「朝念観世音 暮念観世音」の観世音は、まさに節子につながってくるわけです。
そして、「念念従心起 念念不離心」、念ずるほどに節子を想い起こし、節子と心離れずに同行できるようになるわけです。

ところが、今日、韓国の佐々木さんからメールがきました。
昨日は、佐々木さんが娘のように可愛がっていた愛犬パルの四十九日だったのです。
法要に来てくださった僧侶の方から、「パルが転生するためには、離してあげないといけない。彼岸でまた会えるようにするためにも必要である」と諭されたそうです。
佐々木さんがいたら、いろいろと話したい気もします。
離さずして離す。
その心境は、他者には分ち合い難いような気もします。

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■節子への挽歌1695:「とても寒い」

節子
ハプスブルグ家の最後の皇帝フランツ・ヨーゼフの悲劇的な人生は、有名な話です。
おそらく彼は誠実な人物だったと思いますが、それゆえにか、あまりに哀しい人生でした。
意見の違いから愛する弟はメキシコの皇帝になって革命軍に殺され、たった一人の息子は自殺をしました。
しかし一番哀しいのは、毎日、手紙を書いていたという妻エリザベーテとの物語です。

エリザベーテとの結婚は、母の反対を押し切ってのものでした。
ヨーゼフとエリザベーテは深く愛し合っていました。
しかし母との確執のなかで、エリザベーテは旅行に明け暮れ、執務に追われるヨーゼフとの一緒の時間はあまりありませんでした。
ヨーゼフにとっては、毎日、旅先にいるエリザベーテに手紙を書く時間だけが、おそらく至福の時間だったのでしょう。
ヨーゼフは、毎日のように手紙を書いていたそうです。
その手紙が残っていますが、その文面には権力者とはまったく別の顔が見えます。

たとえば、こんな手紙があります。

私の愛する人
いま起きたばかりの短い時間に、この手紙を書く時間をつくることにした。
あなたに愛していると言いたいから。
あなたの顔が見たい。
身体に気をつけるという約束を忘れないで、たくさん遊んでおいで。
悲しい思いにならないように、いい旅ができるように。
こんな手紙もあります。
いとしいあなたへ
さびしくここに座っている。
シェーンブルンにいるあなたのことを考えている。
とても寒い。
暖房がついていても寒い。
「とても寒い」
心身に突き刺さるような気がします。

今日も寒い一日です。

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■荒れ地のなかで自分の軌道を見つけることの大切さ

神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、有名な聖杯神話は「荒れ地」と呼ばれる土地に活気を取り戻す物語だと話しています。
この頃、つくづく、いまの日本は「荒れ地」になってしまっていると思います。
人に会うことが少ない、荒れ地です。
こんなことを書くと友人知人から怒られそうですが、正直、そんな気がして、さびしいです。

キャンベルはこう話します。

「荒れ地」では人々が主体的に生きることを放棄して、義務的に行動しています。自分の手で獲得したのではない公的な役割や地位を継承している状態です。それが、誰もが偽りの人生を営んでいる「荒れ地」の姿です。
ますます、友人知人を失いそうですが、このブログを読んでくださっている友人知人は、そんな人生には満足していないでしょうから、わかってもらえると思います。
こういう私も、自信を持って、偽りの人生ではないと言いきるほどの自信はありませんし。

ヤンベルはさらに言います。

「荒れ地」とは、生きる活力のなくなってしまった場所です。人々は生活のために仕事をし、中年になって仕事が何の意味も持たないことを発見するのです。
私も46歳の時に、その問いを持ちました。
そして、仕事の概念を変えました。

昨日、知人の訪問を受けました。
そして「壁にぶつかった時、どうしますか」と問われました。
その人は、「自分の考えと社会のそれとをすり合わせるのが難しい」とも話されました。
私は、「壁の外で生きているのでぶつかることはないし、すり合わせなどしたこともない」と話しました。

もう一度、キャンベルを引用します。

聖杯にしても他のほとんどの神話に関しても、その意味するところは、人生の原動力を見つければ、その軌道は自分の中心から発するものになり、社会から押しつけられたものを軌道にしなくて済む、ということです。もちろん自分自身の良い状態や護りたい高潔さと、社会の物質性や必要性との、折り合いをつける必要があります。それでも自分の軌道を見つけることが先決で、社会との折り合いはそれからついてくるものです。
荒れ地が、表情のある世界に変わるのはいつでしょうか。
最近、めずらしく大きなストレスを感じ出しています。

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2012/04/22

■節子への挽歌1694:自責の念

節子
今日は寒いので何もやる気が出ずに、あったかいリビングで録画していたテレビ連続ドラマ「推定有罪」をみてしまいました。
最終回は今夜放映なのですが、これまでの4回分をまとめてみました。

テーマは「冤罪」ですが、冤罪に関わるさまざまな立場の人、冤罪当事者と家族、事件の被害者遺族、警察、裁判所、弁護士、報道関係者などの生活や思いが絡み合った社会派人間ドラマです。
そこに政治まで絡ませ、さらに犯罪被害者支援法案の話まで出てきます。

ストーリーも面白いのですが、私の心に響いたのは、犯罪被害者の家族の「自責の念」です。
もし自分がこうしていたら家族の犯罪被害を避けられたかもしれないと語る場面を見ていて、先日のフォーラムで話した「自責の念」を思い出しました。
やり場のない怒りや悲しみの持っていき場は、やはり常に自分なのです。
いやたぶん、やり場があったとしても、やはり自分を責めることが多いでしょう。
そんな気がします。

自責の念は、しかし自らを責めることではないのかもしれません。
怒りや悲しみを、自らで引き受けることで、被害者と一体化することかもしれません。
このドラマを見ていて、そんな気がしてきました。
つまり、「自責の念」とは自らを浄化し安堵させる行為なのです。

私の場合、節子を治せなかったのは、私の責任だと思うことで、問題を「私たちの問題」にできるような気がします。
うまく説明できませんが、私たちの人生は私たちが決めたのだと思えると、なぜか少し安堵できるのです。
もちろん、その一方で、胸が痛くなり、時に頭のなかが白くなってしまうほどに、自責の念が後悔や自己嫌悪につながることもあります。
その時には、全身を大きな不安感が襲ってきます。
病死でさえそうですから、事故や犯罪被害の場合は、自責の念のもたらす不安感は安堵を吹っ飛ばすほどの大きさでしょう。
でも、他者を責めるよりも、その不安感に耐えたほうが、たぶん安堵できるでしょう。
自責の念は、怒りや憎悪にではなく、赦しにつながるからです。
他者を責めたり憎んだりすることからは、安堵は生まれないでしょう。
そんな気がします。

ドラマで自責の念を語るシーンを見ていて、涙が出ました。
そして、自責の念をもっと大事にしようと思いました。
ドラマをみていても、いつも節子をも出だしてしまうのはなぜでしょうか。

さて今夜は最終回です。
どういう結末になるのでしょうか。

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2012/04/21

■節子への挽歌1693:至福の人生

節子
前にも引用したことがある、ジョーゼフ・キャンベルは、
「心の底で自分を捉えるもの、自分の人生だと感じられるもの、それが至福であり、それに従えば扉は開く」と書いています。
お金で得た幸せは、お金がなくなれば消えてしまうが、至福は決して消えることがないとも書いています。

至福は消えることがないのか。
私は若い頃からずっと素直に自分を生きてきました。
キャンベルが言う「心の底で自分を捉えるもの」に従って生きようとしてきました。
ある意味では、大人になりそこない、社会からはみ出したりしながら、それでもなんとか、その生き方を大切にしてきました。
節子が、よく続いたわね、と言ったように、会社生活も25年間も続けました。
社長と大論争したり、辞表を書けと2回も言われたりしながらも、妥協することなく、自分を貫いてきました。
その後、急に辞めたくなった時には、辞表を撤回するように言われましたが、撤回せずにそれも貫きました。
ですからキャンベル風にいえば、至福の人生を送ってきたわけです。
ジェインズ風にいえば、時折心にひびく神の声のままに生きてきたとも言えます。
お金も地位もまったくないのに、私の毎日は至福の日々だったのです。

それがいつのまにか、節子こそ自分の人生だと感ずるようになってしまいました。
私の生きる意味を、節子が与えてくれる。
つまり、依存型の人生に変わっていたわけです。
自分の人生を節子にゆだねてしまった。
そのために、節子がいなくなった途端に、「自分の人生」を感ずることができなくなりました。
そして「至福の人生」は消えてしまった。

どこで、なにを間違えたのでしょうか。
節子は、私への試練だったのか。
節子のあったかい笑顔を思いながら、いまは果たして至福なのかどうか、迷います。

今日、ユカから、お母さんがいなくなってもお父さんの生活は何も変わっていない、もっと自立しなければと、怒られました。
そういえば、節子もそんなことを言っていました。
まあ節子もユカも、私がそんな生き方が出来ないことはよく知っているのでしょうが。

キャンベルの言っていることは正しいのかもしれません。
そんな気もします。
もしかしたら、今もなお、私は至福の人生のなかにいるのかもしれません
至福の人生も、それなりに寂しく悲しいものなのかもしれません。

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2012/04/20

■節子への挽歌1692:殉死

節子
庭のジュンベリーが白い花を咲かせています。
ジュンベリーは、家から一番良く見える庭の隅にありますが、ここに何を植えるかはいろいろとありました。
転居時には植木屋さんから勧められて立派な紅葉を植えたのですが、ユカが気に入らないというので、違う樹を植えようということになりました。
わが家はともかくみんなの合意で物事が決まるので、合意を取るのが大変なのです。
かなり大きな紅葉だったのですが、家族全員で植え替えたのですが、さらにその場所に反対者が出て、もう一度、別の場所に植え替えたら枯れてしまいました。
悪いことをしてしまいました。

次に植えたのがアズキナシでした。
これはたぶん節子が好きだったのでしょう。
私の好みではありませんでした。
アズキナシは元気に育ち、毎年きれいな花を咲かせていましたが、アブラムシが好きな樹なので、その樹の下が汚れてしまい、これも植え替えようと言うことになりました。

候補になったのは、エゴノキでした。
植木屋さんを探したのですが、あまり良いエゴノキが見つからずに、断念しました。
それ以外にもいくつかの候補があったのですが、何を植えるかで意見がまとまらず、極めて安直にジュンベリーで落ちついてしまいました。
なにやらその場所には相応しくないのですが、みんな議論疲れで、娘の名前と同じ、ジュンベリーになってしまったのです。
これもわが家によくあるパターンでした。
議論が盛り上がる割には最終的な決定はかなりいい加減なのです。

ジュンベリーは小さな木で、花も地味です。
存在感もあまりありません。
その実を鳥が好んで食べるのが、唯一の長所でしょうか。

節子がいた頃は、そんな感じで、わが家の庭の花木も家族と一緒に暮らしている感じでしたが、今はどことなくさびしく、ひっそりと咲いています。
半分くらいは枯れてしまったかもしれません。
まあ手入れ不足なのですが、これは一種の殉死ということにすると誰も傷つきません。
ですからそういうことにしておきましょう。

殉死した枯れ木や花の鉢がたくさんあります。
いかにもそれがだらしないので、整理しようと思います。
それにしても、節子はたくさんの花木をよくまあ育てていたものです。
暇だったのでしょうか。
いや、好きだったのでしょうね。

今年から少し私も花木の手入れをしようと思います。
できるでしょうか。いささかの心配はありますね。

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■原発にとっての「地元」

ブログでは時々書いていますが、「問題」をどう設定するかで、その人の立ち位置や世界が見えてきます。
日本の学校教育は、問題を解くことを目指しており、日本人の多くは問題を立てるこが苦手ですが、主体性を持って生きるためには問題は自分で立てていくとが不可欠です。
日本人に主体性や自主性がないのは、あるいは家畜のように従順なのは、与えられた問題を解く教育のせいかもしれません。

たとえば、大飯原発の再稼働に関連して、「どこまでが地元なのか」という議論があります。
私にはまったく馬鹿げた問題設定です。
昨年の福島原発事故で、少しは認識されたのではないかと思っていましたが、相変わらず「お上の設定した問題」の範囲でしか、みんな考えていないような気がします。
要は、みんな自分だけの生活を守りたいだけで、結局は家族を海外にいち早く避難させたという東電の前の社長と変わりません。

原発には「地元」などありません。
原発を立地する時には、たしかに「地元」概念はありますが、「地元概念」が権力の支配のための常套手段であることはいうまでもありません。
権力にとっては、「地元発想」はまさに「分断」発想だからです。
まもなくおおい町と小浜市がいがみあい、福井と滋賀、大阪がお互いを非難しだすでしょう。
地元発想とは、そういうことです。
枝野さんの言動は、まさにそれを意図しています。

大飯原発が事故を起こしたら、滋賀や京都ではとどまりません。
福島がそうであったように、立地地域の住民だけが当事者ではないのです。
お金を貰うのは立地地域の人だけですが、被害は全世界、さらには未来の世代にも覆いかぶさっていくのです。
そんな想像力も持たずに、地元がどのこうのと議論している状況を見ているとやりきれなくなります。

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2012/04/19

■節子への挽歌1691:統合失調感情

節子
小林和彦さんという人の書いた、統合失調症闘病記「ボクには世界がこう見えていた」を読みました。
先日読んだ「神々の沈黙」に触発されて、統合失調症の人の世界を知りたくなったからです。
本書は、「統合失調症と診断された著者が自らの精神疾患の体験について綴った出色のドキュメンタリー」なのです。
たしかに面白い。
むかし読んだ大熊一夫さんの「ルポ精神病棟」を思い出しました。
ちなみに、著者の小林さんはグループホームで暮らしながら、精神科のデイケアを受けているそうです。
これだけの本を書ける人が、と思うと、感慨深いものがあります。

小林さんが発病したのは24歳の時です。
その時の様子が実にリアルに書かれています。
もっとも肝心のところは記憶がなくなっているので抜けていますが、普通の日記を読むように鮮やかなのです。
小林さんは当時、アニメ制作に関わっていましたし、ニューサイエンスにも関心があったようで、発病時(1986年)の文化状況なども思い出されて、私にはとても心に響いてきました。
文体は軽妙で、筒井康隆の小説ではないかと思うほどです。
それに、私自身の発想に似ているところも少なくないのです。
というか、小林さんに見えていた世界が、それほど異常には思えずに、割と親近感がもてるのです。
これはちょっと「あぶない」のかもしれません。
私もどちらかといえば、分裂症気質でしたから、ちょっとの差で、小林さんと同じ人生を歩んだかもしれないという気さえしました。
いや、実際問題として、同じ世界にいるのかもしれません。
何しろ、小林さんもどうであったように、自分の異常さは自分では分かりません。
節子と別れてから、私が少なからず「おかしくなっている」のは自分でも分かります。

ところで、小林さんはちょっとの差で、筒井康隆どころか、大文豪が大預言者になっていたかもしれません。
偉業を成就する人は、多かれ少なかれ、尋常ではないでしょう。
人生は、ほんとうにちょっとした差で大きく分かれてしまうのです。
その違いは、たぶん、神からどのくらい愛されているかどうかです。
私は神嫌いですから、愛されてはいないでしょう。

先日読んだ、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」を読んで以来、脳のことが気になっています。
古代の人の脳は、右脳と左脳が統合されておらずに、一方の脳に神が宿っていたというのがジェインズの主張ですが、まさにその状況が「統合失調症」と一致するわけです。
私は節子が発病した頃からのような気がしますが、右脳の後ろが時々熱くなります。
そうなると思考力や集中力が弱くなり、そこに「何か」が巣食っているような気がするのです。
「神々の沈黙〕」読んでから、それがますます気になってきています。

残念ながらまだ神の声は聞こえてはきません。
しかし、もしかしたら、この挽歌は、小林さんの闘病記のように、後で読んだら、異常なのかもしれません。
小林さんも、こんな気持ちで書き続けていたのでしょうか。
小林さんはもう50歳。普段は誠実で温厚な紳士だそうです。
ちょっとお会いしたいような気もします。
私の両親の生まれ故郷の柏崎にお住まいのようです。

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■当事者の時間感覚と社会の時間感覚

消費税問題や原発再稼動などの騒ぎの中で、ともすると忘れられがちなのが、地道な政策実行です。
原発再稼動ほどのスピードで取り組むべき課題は少なくありません。
数少ない大型問題に目が奪われている背後で、何が行われているかをきちんと見ておく必要があります。
たとえば、一昨日、報道された、薬害を防ぐために医薬品行政を監視する第三者機関の設立法案をめぐる動きです。
長妻厚労相(当時)が薬害肝炎訴訟の原告団に今年の通常国会に法案を提出することを約束し、その後の大臣もそれを継承してきていますが、厚労省は反対しているようです。
昨日の記者会見で、小宮山厚労相は、今国会への法案提出の見通しは立っていないと話しました。
新聞記事によれば、政策を議論する審議会は新設しないとした1999年の閣議決定を理由に、厚労省は反対しているようですが、なんともまあおかしな話です。
つまり政府が機能していないということです。
これはほんの一部のことであって、実行力を失った政府に対して、霞ヶ関は集団サボタージュをしているようにさえ感じます。
しかし、そうした動きに関心を持つ人は少なくなってきています。
消費税問題や原発再稼動に目が奪われてしまっているからです。
その上、最近は尖閣諸島問題までが人々の耳目を吸い取りだしています。

長崎県西海市で2人の女性が殺害された、ストーカー殺人事件の被害者の夫が、3つの地域の警察にいくら訴えてもまじめに対応してもらえずに、ついには殺害されてしまった怒りをテレビで語っていましたが、それと同じ構図がここにあります。

当事者にとっての時間感覚と社会の時間感覚は明らかに違います。
切迫感も全く違うでしょう。
薬害の被害者にとっては、今まさに日々苦しんでいるわけです。
当事者にとっては、時間単位、時には分単位で考えますが、制度をつくろうなどという人は年単位で考えます。
当事者には個人が問題になりますが、制度を作る人は数量が問題になります。
そこに大きな意識の違いが生まれます。

昨夜も北朝鮮に娘を拉致された横田夫妻がテレビで語っていました。
お2人にとっては、世界は全くとまっているように思えるでしょう。
どんな問題も、当事者にならないと見えてはこないのです。
そこにこそ、大きな問題があるように思います。
当事者から発想して行動するか、社会から発想して行動するか。
国家のパラダイムを変える時期に来ているように思います。

ちなみに私は、この10年以上、前者の発想で生きようとしています。

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2012/04/18

■節子への挽歌1690:セザンヌ展

節子
六本木の国立美術館でセザンヌ展をやっています。
めずらしいセザンヌがたくさん展示されているようです。
節子がいたら見に行ったかもしれませんが、私は絵画には興味がないので行くつもりもありません。
節子がいた時には、美術展にも時々付き合わせられましたが、いなくなってからは行かなくなりました。
ですから、セザンヌ展をやっていることさえ知りませんでした。

昨夜、テレビのぶらぶら美術館で、そのセザンヌ展を紹介していました。
ユカがこの番組のファンなので、私も時々、見ています。
節子が大好きになりそうな番組です。
この番組を見ていると、いつも節子が一緒に見ているような気もします。
セザンヌには私は興味がありませんが、番組はとても面白かったです。

番組を見ながら、ユカと話したのですが、節子が病気になる頃から、東京の風景は大きく変わってきたように思います。
私にとってはあまり好きな変わり方ではありませんが、節子にはもしかしたら好きかもしれません。
変わった東京を楽しませてやりたかったねとユカに話したら、でもお母さんは六本木ヒルズにも行ったし、丸の内の新しいビルにも行ったし、というのです。
そういえば、私よりも新しい東京を知っているかもしれません。
節子は療養中にもかかわらず、新しい街が出来ると出かけていました。
娘たちも私も、付き合わされていました。
節子は、そういうことではとてもアクティブだったのです。

その節子がいなくなってから、私は東京を歩く機会が減ってしまいました。
時々、娘に連れられて出かけますが、一人では行ったことがありません。
いや一度だけ、密教美術展に行きましたが、それだけです。
私の世界は狭くなってしまっています。

しかし思い出してみると、結婚したての頃は逆でした。
学生の頃、私は美術展や彫刻展に一人でよく行っていました。
いつの頃からか興味を失ってしまいましたが、若い頃はそれなりに好きでした。
節子と東京に転居して最初に行ったのは、今でもはっきり覚えていますが、池袋西武のセゾン美術館でやっていたカンディンスキー展でした。
そこに、傘を貼り付けたような作品が出展されていました。
節子はそれがとても気にいったのです。
私たちの間ではよく話題になりました。
そしていつの間にか、節子は私よりも美術好きになったのです。
そして私を誘うようになったのです。

節子がいたおかげで、私の世界はそれなりにバランスが取れていました。
最近は、どうもそれが偏っています。
少し行動スタイルを変えないといけません。
来週から、もう少し東京を歩いてみようかと思っています。

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■世界が見えなくなってきているような気がします

最近、新聞を見ていて感ずるのですが、報道されているのは大事件や話題になりやすい記事ばかりで、実は社会で起こっているはずの、そうした「事件の萌芽」を予知させるような現場の動きはほとんど出てきません。
私は新聞の小さな記事が好きなのですが、最近はそうした記事も少なくなりました。
あっても芸能ニュースや生活情報のようなものが多いです。
それにどの新聞もほぼ同じようなものばかりです。
おそらく新聞社には現場を回る記者が少なくなったからでしょう。
テレビは、さらにひどく、新聞記事の紹介のような報道が多くなりました。
事実を発見するという報道の姿勢は薄れ、話題になったことの話題をさらに大きくするような報道や読者の好奇心に合わせたような記事ばかりです。
現実に何が起こっているのかが見えにくくなっているような気がします。

ネットを通じて流れている情報も、かなりの偏りがあります。
それにネットだとなかなか関心事以外の情報が目につきにくい気がします。
こういう情報環境にいると、何やら世界の成り立ちはいとも簡単に思えてきてしまいます。
その上、問題が複雑になってきているのに反比例して、その解釈は白か黒かのような単純化が進んでいます。
たとえば原発もTPPも賛否がわかれ、いずれの側もその論拠はかなりシンプルです。
ですから話し合いも成り立ちません。
もしかしたら自分では考えていないのではないかと思うくらい、紋切り型の賛成論や反対論が多いです。
みんな世論の歯車になってしまっているようです。

もう一つの「やりきれなさ」は、言葉と行動が切り離されていることです。
たとえば、テレビに出ている人たちは盛んに原発再稼動は急ぎすぎだといいますが、政府はそんなことなど気にしているようには思えません。
国際社会の呼びかけを気にせずに、「人工衛星打ち上げ」を決行した北朝鮮と日本の政府はなんら変わることはないと思えるほど、世論や識者の意見は無視されています。
時々、異論を唱える政治家もいますが、TPPの時のように結局はただ意見を言うだけでそれが無視されても行動を起こしません。
テレビで話している人たちも、本気でそう思っているのなら行動を起こせといいたいですが、そういう思いは感じられませんし、行動を起こす気配はありません。
ただただ観察し、他人事で賢く語っているだけです。
現場の声や重いなどとは全く無縁です。
言葉が力を失い、行動(現実)と切り離されてきているのです。

しかも、その言葉はもはや「個人の言葉」ではありません。
気をつけて聞いていると、ほとんどの人が「同じ言葉」を語っています。

先週、 「神々の沈黙」と言う本を読みました。
その本によれば、人間が意識を持ち出したのは3000年ほど前だそうです。
そして今、私たちは、「その意識」を手離そうとしているような気がしてなりません。
意識は「言葉」によって育ってきました。
言葉の力が無くなってしまえば、意識がなくなるのは当然です。
そして、見えない世界の中で生きていくには、神々の指示に依存したくなります。
また「神々の時代」が到来するのかもしれません。

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2012/04/17

■節子への挽歌1689:写経と読経

節子
私の知り合いの西さんは毎朝写経をされています。
それももう10年以上続けています。
たぶん節子は西さんには会ったことがないと思いますが、最初に湯島に来たのはもう10年以上前だったと思います。
その出会いで、私は強い印象を受けました。
スピリチュアリティを強く感じたのです。
たぶん西さんも、何か感ずるところがあったのでしょう。
長い空白期間もありましたが、最近また湯島に時々来てくださいます。
その間、お互いにいろんなことがありました。

その西さんが毎朝写経をされているお話を先月お聞きしました。
節子は時に写経をしていましたが、私はしたことがありません。
どこかのお寺に行った時にも、節子が写経している間、私は庭を見ていたほどです。
どうも写経という行為に心が向かないのです。

そういえば、読経もそうでした。
節子が病気になる前には、読経も出来ませんでした。
特に理由はないのですが、心が動かなかったのです。
心が動かないことはなかなかできないのが私の性分です。
困ったものですが、仕方がありません。

節子を見送ってから朝の読経は欠かしたことがないと思っていましたが、欠かしてしていたことに最近気づきました。
出張の時です。
西さんの話を聞いてから、たとえ自宅にいなくても般若心経を唱えようと思ったのですが、そう簡単ではありません。
先月、軽井沢でホテルに泊まりましたが、忘れてしまいました。
習慣化することも必要ですが、前に書いたように、私は「習慣化」が不得手なのです。
しかし、今度から出張の時にも節子の写真を持参して、朝のお勤めを守りたいと思います。
そういえば、節子は「お勤め」という言葉をよく使っていました。

節子も私と同じで、若い頃には写経には無関心でした。
いつの頃から、写経をしようという気になったのでしょうか。
人には「そうした時期」があるのでしょう。
私もたぶん、そのうちに写経をしたくなるかもしれません。
しかし今はまだ、写経するよりも心の中で読経しながら仏たちの顔を見たり、庭を見たりしているのが好きです。
読経も写経も、節子との回路を開く時間なのでしょうが、それがまだ私には実感できずにいます。
時期が来たら、私も写経を始めてみようと思います。

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■節子への挽歌1688:生活のリズム

節子
この頃、時間の進み方が速くなってしまったようで、気が付くと、挽歌が書けずに一日が終わってしまいます。
せっかく追いついたのに、また挽歌がたまってしまいました。
挽歌はともかく、時評編のほうはこの数日また書けずにいます。
要は生活のリズムが乱れているということでしょう。

私のホームページを偶然に見つけて、以来、ずっと読んで下さっている人がいます。
その人は湯島に会いにきてくれ、以来、サロンなどにもよく顔を出してくださいます。
その人は、私のホームページの週間報告を読んで、「ルーチン」がないことに興味を持ってくれたのです。
たしかに私の生活はパターンがなく、毎日変化しています。

昨日、ある集まりのために新宿に行っていましたが、6時過ぎに次の用事のため山手線で東京に向かいました。
ちょうど退社時間のため電車は超満員でした。
久しぶりの満員電車でした。
満員電車の中で、昔は毎日、こうやって会社に通っていたのに、と思いました。
しかし今は、毎日やることは自分で作っていかないといけません。
自宅を出るのも出ないのも、何時に出るのも何時に帰るのも、自分で決めなければいけません。
自分で決められるという言い方もできますが、権利は責任と裏腹です。

ルーチンに乗ることは思考の縮減に役立ち、生きるには楽になります。
人間は考える葦、とパスカルは言ったようですが、本当は「考えたくない」人が多いように思います。
日日是新や悠々自適は、思ったほど楽な生き方ではないでしょう。
しかし、だからこそ面白い。一度始めたらなかなか抜けられなくなるのです。
ホームレスの生活と一緒かもしれません。
ただ現代という時代の中では、「ホームレス」では生きぬくいでしょうが。

ルーチンに乗らない生活の場合、一番の問題は落し穴に陥ってしまうことです。
外部からの規制が弱いですから、何もしなくともいいわけです。
何もしないでもいられるということの魅力も、これまた大きいのです。
注意しないと日日是旧や汲々呪縛になってしまいかねません。

大切なのは、そうならないための「ゆるやかな刺激」です。
伴侶の存在は、そんなものかもしれません。
呪縛しあうのではなく、刺激しあう関係。
夫婦とはそんなものかもしれません。

ルーチンのない生活がうまくまわっていたのは、節子がいたおかげだと思います。
節子がいた頃には、生活にリズムがあった。
それがなくなっているのが、最近の疲れの原因ではないかと、気づきました。
生活のリズムをどうやってもう一度つくればいいか、かなりの難問です。

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2012/04/15

■節子への挽歌1687:「生きにくい生き方」

節子
今日からフォワードカフェを始めました。
フォワードについては一度書きましたが、自殺を考えるほどに落ち込んだ人を元気づける意味も込めて、命名しました。
しかし、その後、その意味を広く捉えることにしました。
つまり、私自身も「フォワード」です。

7人の人が集まりました。
意外だったのは、そのうちの2人は40前後のバリバリのビジネスマンです。
私のフェイスブックの案内を見て、参加してくれたのです。

湯島のカフェサロンでの話は基本的に、その場限りのルールですので、あまり書けませんが、社会のあり方が実に具体的、体験的に語られました。
みんなとても「生きにくく」生きているというような話です。
そしてみんな自分を追い詰めていくわけです。
もっと素直に、自己主張して生きればいいのですが、それができないのが「大人」であり、「社会人」なのです。
そしてその状況が、子ども世界にも浸透しつつあります。
みんなどうして、そんなに「生きにくい生き方」を選ぶのか理解できませんが、そうした大きな流れから抜け出られないものでしょうか。

私は47歳で会社を辞めましたが、それができたのは、節子のおかげです。
「生きにくい生き方」から抜けようとした時に、節子は私に言いました。
「よくこれほど長くもったね」と。
会社時代も、私はかなり自由に生きていましたが、節子から見れば、私が自由に生きているようには見えなかったのかもしれません。
会社を辞めた後、節子は私のわがままな生き方を支えてくれました。
そして私は、自分が生きたいように生きることにしたのです。
節子も、私と一緒に、生きたいように生きるはずでした。
しかしまずは私の生き方を支えてくれ、そろそろ節子主役の生き方にしようと思っていた矢先に「がん」が発見されてしまったのです。

生きたくても生きていられなかった節子のことを考えると、とても複雑な気分です。
いまは節子の思いも含めて、「私たちが生きたいように生きること」を大切にしたいと思っています。
今の私の生き方は、節子がいてもきっとそうするだろうなという生き方に心がけています。
もう私だけの人生ではないからです。

節子
今の私の生き方はずれていないでしょうね。
時々少し不安になることがあります。
でもまあ、変えようがないのですが。
困ったものです。

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2012/04/14

■節子への挽歌1686:桜

節子
せっかくの桜が雨で散ってしまいましたが、わが家から見える山桜は例年のように見事です。
節子にも見えているでしょうか。
節子が病気になってから、私は節子と一緒に、一生分の桜を見に行きました。
弘前にも行きました。
節子は桜が好きでした。

一昨日、ユカと一緒に、ちょっとだけ近くのあけぼの山公園の桜を見にいきました。
節子がいた頃は、毎年、家族でお花見に行ったところです。
盛りは過ぎていましたが、まだまだきれいで、夕方でしたが、花見客もいました。
この公園にも山のように思い出がありますが、帰り際に日本庭園の入り口の駐車場を通り過ぎたときに、ここの桜が節子と最後に見た桜だったことを思い出しました。
あの時、節子はたぶんそれを感じていたのでしょう。
言葉が思い出せませんが、そんなことを感じさせる会話をしたような気がします。

わが家には鉢植えですが、2本の桜があります。
河津の桜としだれ桜です。
節子がいなくなって、手入れが不十分のためか、あまり元気がありません。
今年から少し庭の手入れをきちんとやることにしました。
来年は2本の桜も元気に咲かせようと思います。

桜は毎年、春になると咲いてくれます。
節子ではなく、桜に恋をすればよかったと、つくづく思います。

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2012/04/13

■節子への挽歌1685:新車に変わったのですが

節子
わが家に新車がきました。
節子がいなくなってから、わが家の自動車はあまり乗る人もいなくなったのですが、もう10年近く乗っているので、エコカーにすることになったのです。
私は、自動車はもちろんですが、何かを買うことにはほとんど興味がないので、すべては節子任せでした。
節子がいなくなったいまは、娘のユカの仕事です。
私はほとんど相談にも乗っていないのですが、今日、新車が届きました。
そして節子が愛用していた、節子との思い出もたくさんつまったこれまでの自動車は引き取られてしまいました。

今朝、今日、新しい自動車が来る日だよとユカに言われました。
思いもしなかったのですが、それを聞いて、急にさびしくなってしまいました。
さびしいというか、むしろ悲しいような大きな不安感が心臓の辺りに浮かんできたのです。
どうしたことでしょうか。
もうディーラーの人が持ち去ってしまいましたが、胸の痛みは消えません。
なにやら節子とのつながりがまた一つ消えてしまったような気もします。
たかが自動車なのに、何ということでしょうか。

夫婦で一緒に育ててきた生活が変わることは、予想以上に心痛むことであり、さびしさに襲われます。
そんな経験はこれまでも何回かしてきていますが、今回の不安感は、これまでなかったことです。
思ってもいなかったことです。
まだ心は平安になれません。

そして、節子と4年間、あの車で病院に通っていたことを思い出しました。
最後の家族旅行も、あの車でした。
あの車は、まさに節子そのものだった気もします。
節子は、運転が好きでした。
もう一度、運転がしたいといって、最後の家族旅行ではちょっとだけ自分で運転もしました。
その車が、もういない。
おかしな話ですが、涙が出てきてしまいました。

胸の不安感は、なかなかなおりません。
節子が悲しんでいるのでしょうか。
新車にしなければよかったね、節子。
節子の運転の思い出が、昨日のことのように目に浮かんできます。
これもとても不思議なのですが。

でもこうして、だんだんと世界は変わってくのでしょう。
そして私もいなくなる。
そう思うと少しだけ心が落ち着きます。

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2012/04/12

■節子への挽歌1684:人の後悔(欲望)は際限がない

節子
昨日から仕事で軽井沢にきています。今朝は気持ちの良い朝です。
しかし寝不足で眠いです。
軽井沢には節子と一緒に来たことはありませんが、子どもが小さい頃には何回か夏休みに中軽井沢のほうで過ごしたことがあるはずです。
私自身はあまり記憶力に恵まれていないので、思いだせませんが、山奥のロッジに滞在したこともありました。
みんなであまり道もない山のなかを歩いて、大変な目にあったこともありました。

私は過去のことには興味がないためか、旅行の記憶などをあまり思い出せないのです。
特にどこに行ったかという地名などは、ほとんど思い出せません。
節子の日記を読めばきちんと書かれているのでしょうが、まあいまは読む気にはなれませんただいくつかのシーンは映像的に鮮明に浮かんできます。
不思議なことにみんな静止画像です。
たぶん私の脳の構造にかなりの問題があるのではないかと思います。
空間的にも、時間的にも、どうも普通とは違うのです。
昨日の次に今日があるとか、今日の次に明日がくるとか、昔からそれがあまり納得できていないのです。
そんな感じでしたから、私と付き合い出した頃、節子は混乱したでしょう。
いやそれで魅了されたのかもしれません。
しかし節子と一緒に暮らしているうちに、私の時空間感覚はかなり普通に近づきました。
節子の発想では、今日の次に必ず明日があるのです。
もっとも節子が病気になってからは、少し変わったと思います。

節子と一緒に過ごしていたようで、過ごしていなかった。
最近そんな気がすることがあります。
時間がたくさんあると思うと、その使い方はルーズになります。
なぜ節子と一緒に軽井沢に来なかったのでしょうか。

節子と一緒に行ったことのないところに行くと、必ずそう思います。
そして、節子と一緒に行ったところに行くと、なぜもっとゆっくりここで過ごさなかったのだろうと思います。
人の後悔(欲望)は際限のないものだと、つくづく思います。

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2012/04/11

■フラクタルな構図

手塚治虫の「火の鳥」には、人間が作ったロボットがロボットを作り出し、人間に似せて作った第1世代のロボットとは違うロボットが生まれてくる話があります。
私の記憶なので、少し不正確かもしれませんが。

最近の社会状況を見ていると、まさにいまそうした状況に私たちはいるのではないかと思うことがあります。
ただし、「火の鳥」と違って、神が自らに似せて人間を作り、その人間が神とは違う人間を作り出したということです。
私は第1世代の人間だと自負していますが、最近、そうではない人間が増えているような気がします。
その典型は小泉純一郎や野田首相です。
彼らには「神の心」が感じられません。
まあそのあたりの話になると、とてもとても語りきれませんので、今日は別の話です。

第2世代のロボット、もしくは人間には、あるモデルが組み込まれています。
大量生産型のモデルです。
そしてその行動のベクトルは「ソリューション型」です。
ソリューション発想は、外部に問題を作り出すことです。
ですから、自己保存のために、問題を創出しつづけるという本能が組み込まれています。
こうしたことは、これまでも断片的に何回か書いてきましたが、こうしたことを前提に、今の社会の動きを見ていくといろんなことが見えてきます。

東電が電気料金値上げをしようとしていますが、電気使用者は、まずは東電がコストダウンに努力すべきだと主張します。
政府は消費税増税を打ち出していますが、国民はまずは無駄をなくすべきだといいます。
両者は全く同じ構図です。
実はこれが近代のパラダイムだろうと私は思っています。
問題は常に相手にある、そして問題を作り出すことに自らの存在価値を見いだす。
しかし、そこからは何も生まれていかないだろうと、私は思います。

昨日からジョーゼフ・キャンベルの「神々の沈黙」という大著を読み出しました。
副題に「意識の誕生」とあるのですが、人がいつ意識を持ち出したのかという話です。
神は、自らの意のままに動く人類を創ったのに、その人類が意識を持ち出してしまったのです。
そして、いま、その意識を持った人類が、自らの意のままに動くロボットを作りだした。
と、実は私は思っていたのですが、この本を読みながら、どうももう一つの大きな流れがあるのではないかという気がしてきました。
人類を意のままに動かす新しい人類(新しい神)が生まれだしているのかもしれません。
そしてその人たちによって、意のままに動かされている人間が増えてきているのが現在かもしれません。
野田首相や東電の社長や、経団連の会長を見ていると、そんな気がします。
そして彼らの言動は奇妙に似ているのです。
彼らがめざすのは、もしかしたら平安で持続可能な世界かもしれません。
言い換えれば、機械的な変化のない世界、エントロピーが極大化した死の世界ともいえます。
私はそんな世界には住みたくはありません。

それにしても、どうしてみんな紋切り型の思考しかできなくなってきてしまったのか。
そして思考と実践を切り離す生き方に違和感を感じなくなってしまっているのか。
実に不思議です。
かくいう私も、多分、その大きな流れからは抜けられずにいるのでしょう。

「神々の沈黙」は500頁を超す大著なので、まだ三分の一しか読んでいませんが、実に新鮮です。

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■節子への挽歌1683:別れの悲しみと不在の寂しさ

節子
今朝も早く目が覚めてしまいました。
最近、どうもまた夜中に目が覚めるようになってきています。
春だからでしょうか。

節子がいなくなってから4年半以上経ったせいか、別れの悲しさはあまり感じなくなっているのですが、逆に不在の寂しさは強まっているような気がします。
それらは一緒くたにしがちですが、かなり違うような気がします。
節子のことを思い出し、考えることが、一番の供養だと思っているので、
朝早く目が覚めると、まあ、そんな他愛のないことを考えてしまうのです。
以前なら、そんなことを隣に寝ている節子に話しかけるのですが、今は話す相手もいないので、挽歌に書いているわけです。

時がもし癒すことができるとしたら、それは別れの悲しみです。
しかし、不在の寂しさは、時が経つほどに強まります。
それはいまなお日々新たに発生するからです。
昨日会った人は、桜の季節はとてもいやだといっていました。
きっと夫婦で楽しんだお花見を思い出すからでしょう。
私もまだお花見には行けません。
不在を感ずると、別れの悲しみさえ思い出しかねません。
別れの悲しみと不在の寂しさは、つながってもいるようです。

その一方で、時々、この挽歌にも書いていますが、節子が近くにいるような、あるいは私の心身にも入り込んでいるような感覚はあります。
別れの悲しみや不在の寂しさをどうにかして緩和しようという、精神の防衛機制の働きかもしれませんが、それは確かに感じます。
しかし、だからといって、不在の寂しさが薄らぐわけでもありません。
むしろ不在の寂しさと同行2人の気分は、比例しているのかもしれません。
このあたりがややこしくて、一筋縄ではいかないのです。
論理的な矛盾はあるのですが、当事者としてはすんなりと受け容れられます。

不在の寂しさは再会への期待を高めます。
先日、この挽歌にコメントを寄せてくださった方が、
「たった一つの望みは、一日も早く逝くこと。妻と再会すること」
と書いていましたが、私も再会を楽しみにしています。

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2012/04/10

■節子への挽歌1682:人生は冒険

前にも一度、言及したことのある、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談集(「オープン・ライフ」)の最後でこう語っています。

人生は冒険なんです。
年を取ってくればくるほど、人生は益々冒険的になってくるんです。
これは間違いない!
 人生は冒険?
学生の頃、私もそういうように考えていました。
訳者の馬場悠子さんは、その対談集のあとがきの中で、キャンベルの思想を簡潔にまとめてくれています。
人生とは常に前人未到の道を行く冒険であって、他の誰かが歩いた道をたどっていれば荒れ地人生になってしまう。社会に適応しながら内面の充実を得るのは困難だが、「至福に従う」生き方が必ず扉を開いてくれる。自分で設けた限界が「悪魔」である。直面したくない現実を押し込めるとそれが怪物と化すのだから、認識して場を与えればいい。
(中略)
一人一人の人生を神話に見立てれば、困難な状況に陥った時に持てる力を振り絞って挑戦に応える勇敢な英雄の姿にも自分を重ね合わせることができる。「英雄的に生きるというのは、実は個人的な冒険をすること」なのだから
。とても共感できます。
「英雄的に生きる」という表現も、私の趣味に合います。

「オープン・ライフ」はジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」を知った時に、併せて購入していたのですが、邦題が「ジョーゼフ・キャンベルが言うには愛ある結婚は冒険である」だったので、あんまり読む気にはならず積んでおいたのですが、今日、何気なく開いたら、内容は全く違うものでした。
ひどい書名にしたものです。
今日は別の本を読んでいたのですが(これも神話の本です)、明日に出張ですので、新幹線の中で読んでみようと思います。

それはそれとして、
「人生は年をとるほどに益々冒険的になってくる」という言葉に、昔を思い出しました。
その生き方はどこに行ってしまったのか。
節子に持ち去られてしまったのか。
最近の私の生き方は、「荒れ地人生」になっていないか。
キャンベルがいうように、冒険を忘れなければ「至福に従う」生き方が必ず扉を開いてくれるのではないか。
節子がいないのは残念ですが、もう一度、冒険を始めるか。
キャンベルの、この言葉を見て、そんなことを考えました。

ちなみに、節子がいた頃は、いつも実に楽しい冒険でした。

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2012/04/09

■脱原発と雇用のスラップな関係

前にも一度書いたことがありますが、「脱原発」したいが雇用の関係で原発運転は継続してほしいと思っている人が少なくありません。
そのため、原発の立地地域では、「脱原発か雇用か」という論議がなされているようです。
しかし、これは全くおかしい話です。

脱原発の選択が行われ、各地の原発の運転が止まったり、原発の増設がなくなったりするとします。
そうなったらそこで原発関係の仕事はなくなるのでしょうか。
原子力関係の技術者は不要になるでしょうか。
そんなことにはなりません。
原発は運転を止めたらそれで終わりではないのです。
脱原発していくために、原発の解体処理はもちろんですが、そこに残っている核燃料廃棄物をどうするかという重大な問題が残ります。
原発を安全に停止しても、その後、多くの仕事が発生するでしょう。
むしろ雇用は増えるかもしれません。
自動車工場を閉鎖するという話とは全く違います。

チェルノブイリ事故の対応でわかるように、膨大な仕事が残ります。
事故処理と平時の運転休止とは違うでしょう。
しかしプルトニウム処理で象徴されているように、原子力発電は開発途上の技術ですから、技術者が解決すべき課題は山積みのはずです。
発想を変えれば、原発立地地域にとって、脱原発で雇用拡大する可能性もあるはずです。

似たような事例では、八ッ場ダムが建設中止になると地域の経済は壊滅し、雇用もなくなるといわれました。
そうでしょうか。たぶんそんなことはありません。
仕事がなくなるのは、それに規制した汗しない人たちだけです。
つまり仕事の体系や構造が変わるだけです。

いささか抽象的に書いているので、あまり説得力はないかもしれませんが、仕事というのはビジョンや組み立てによって、いかようにも変わりうるということです。
脱原発したら雇用がなくなる、ダムをやめたら雇用がなくなるというのは、単なる恐喝に過ぎません。
裁判の世界にはスラップ訴訟というのがあります。
権力体制への異議申し立て行動をつぶすために、企業や政府などの優越者が起こす「恫喝・発言封じなどの威圧的、恫喝的あるいは報復的な訴訟」です。
私には、それのバリエーションのように感じます。

雇用という発想そのものが、そもそも「奴隷の発想」ですが、脱原発と雇用を同じ次元で考える過ちには注意しなければいけません。
脱原発で、脱雇用するくらいのビジョンが必要かもしれません。

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■節子への挽歌1681:私たちの住まい

節子
昨日は衣服の話でしたので、今日は住まいの話です。
近くのTさんが転居したことは前にも書きましたが、まだその家が売れずに空き家になっています。
買い手が付かない理由の一つは、たぶん間取りの関係でしょう。
Tさんの住宅は、Tさんの息子さんの設計ですが、外観も間取りも自分たちのライフスタイルに合わせて設計されているのです。
家族のライフスタイルは、それぞれに違いますから、あまりカスタムメイドになっている場合、別の家族には合わない場合が多いでしょう。

実はわが家にも同じことが言えます。
かなりの部分、個性化されていますので、たぶん他の人には住みづらいでしょう。
たとえば私のための空間は、狭い書庫と狭い仕事場に分かれていますので、私以外の人には使い勝手は良くないと思います。
若い友人を部屋に案内したら、なんでこんな狭い書斎にしたのですかと驚かれました。

わが家の設計は、家族全員が関わりました。
みんなわがままなので、設計を頼んでいた人も途中から意見を言わなくなりました。
ともかくみんな自己主張が強いのです。
それもみんなそれぞれにバラバラなのです。
困ったものです。
出来上がった家は、反省点だらけですが、だからこそ「使い込んでいけば」きっと家族と一体になった住まいになっていくと私は思っていました。
私の「住まい観」は住人と一緒に育つものだったのです。

ところが転居して間もなく、節子のがんが発見され、家を使い込む余裕がなくなりました。
節子は家も庭も立地も、気にいっていましたが、新居を十分に楽しむところまではいかなかったでしょう。
節子にとっては「未完の家」だったに違いありません。
それでも、この家に住むための基本形は節子がつくってくれました。

しかし家族構成が変わると不都合がいろいろと生じだします。
それに、この家に組み込んだつもりの「仕掛け」も、もう無意味になってしまいました。
というよりも、最近思うのは、この家をつくる時には家族が変化するという発想が全くなかったことの不思議です。
そのあたりが、私の常識のなさというか、単細胞で視野が狭いというか、早く言ってしまえばバカそのものなのですが、どうして当時は家族がそのままずっと続くと思っていたのでしょうか。
もし節子がいなくなることを知っていたら、こんな家にはしませんでした。

しかし、その家で節子は最後を過ごしました。
節子の最後をあたたかく包み込んでいたのも、この家です。
だからこの家は私には宝物なのですが、私たち家族以外の人には、間取りの悪い家だと感じるかもしれません。
伴侶もそうですが、住まいも、まさに当事者に対してだけ輝いているのかもしれません。

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2012/04/08

■節子への挽歌1680:着る服がなくて困ります

節子
季節の変わり目で困ることは着る服がないことです。
なにしろ節子がいなくなってから、衣服を買いに行かなくなったため、着る服がないのです。
時々、娘のユカに付き合ってもらうのですが、気にいる服がないのです。
それで買わずに終わってしまい、結局、自宅に帰ってクローゼットなどを探して、昔のものを探してすませることが多いのです。

先週、暖かくなったり寒くなったりで困ったので、また娘に頼んで付き合ってもらいました。
なにしろお金も私はあまり持っていないので、娘の同行が不可欠なのです。
近くのイトーヨーカ堂に行きました。
ごった返していました。
それだけでもう「戦意」を打ち砕かれた感じです。
靴屋さんがありましたので、まず靴を買おうと思いました。
そういえば、靴も最近買っていません。
それで白っぽい靴がほしいと娘に言って一緒に探しました。
春ですから、茶色はもう終わりにしたかったからです。
しかし、娘から白い靴なんかないよと言われてしまったとおり、ありませんでした。
グレイもないのです。
なんでないのでしょうか。

靴はやめてジャケットを探すことにしました。
しかしどうもぴたっとするのがないのです。
ではパンツにしようと思い、パンツ売り場に行きました。
私はノータックでストレートでないとダメなのです。
コットンのチノパンツしかありません。
どうもぴったりしません。いささか細すぎるか太すぎるかのいずれかなのです。
なぜ私好みの衣服はないのでしょうか。
娘に言わせると時代が変ったのだというのです。
だからスーパーにはないと言うわけです。
困ったものです。

そんなわけでまた何も買わずに帰ってきました。
しかたなく自宅のクローゼットを探して数年前のチノパンツを3本見つけました。
今年はこれで我慢しましょう。
ジャケットはないので、オープンシャツかセーターで我慢しましょう。

節子は、歳をとったら歳相応のちゃんとした服を着てほしいといつも言っていましたが、私はどうもそれができません。
スーパーの安いカジュアルで十分なので、節子はいつも嘆いていました。
まあ、そういう節子も同じように、スーパーの安いカジュアルでしたが。
私は身だしなみや食事には、ほとんどお金をかけないのですが、節子がいなくなってから、ますますその傾向が強まりました。
そういえば、最近は書籍もあまり買わなくなりました。
高価な本は図書館で借りるようになりましたので、書籍代もほとんどかからなくなり、せいぜい月に1万円前後です。
お酒も飲まず、煙草はすわない。お金の使い道がありません。
まあお金もないので、ちゃんとバランスしているのですが。

さて明日は何を着ていきましょうか。
節子がいなくなってから、それが悩みの一つになりました。
困ったものです。
彼岸では衣服はどうしているのでしょうか。
ファッションやグルメなどという世界から、早く卒業したいものです。

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■吹田の合戦でのやりとり

今日は、脱原発と雇用確保は対立したものではなく、むしろ脱原発は雇用拡大につながるということを書く予定ですが、どうもそこに行く前に書きたいことが出てきてしまいます。

昨夜、古い本がまた1冊出てきました。
武谷三男編の「安全性の考え方」(岩波新書)です。
出版されたのは1967年です。
その本の原子力の教訓と言うところに「吹田の合戦」という面白い話が出てきました。
1957年(昭和32年)に京都大学や大阪大学の学者たちが宇治や高槻に原子炉を設置するという動きがあったのですが、それを知った市民たちが反対運動を起こし、吹田市役所で京大・阪大の原子炉当事者と立大の武谷教授との立会討論会が開催されたのです。それが「吹田の合戦」と言われたのですが、その時の速記録の一部が引用されていました。
実に面白いので、長いですが、一部を引用します。
笑えます。

立教大学教授武谷三男氏     
文明の利器、特に原子力というものは非常な危険を内蔵しているものであります。ですから、これを簡単に扱ってもらっては困るんです。原子炉は絶対安全というようなことをおっしゃっている方がどうやらいらっしゃるようです。安全ということも大変疑問であります。安全でないからこそいろいろの防御設備をして、鉄の容れ物に全体を入れてみたり、いろいろ苦心惨憺するのであります。ですから、それを軽々しい態度で、こうやれば絶対安全、ああやれば絶対安全というようなことを言うのは非常に間違った態度であります。それは原子炉の本質的な問題を御存じない、原子炉の構造をいろいろトレーシソグ・ペーパーでお描きになったことはあるかも知れませんが、原子炉の根本的な態度、本質的なことについては御存じないと言われてもしようがない。すくなくとも絶対安全とか、また安全とかいうような言葉は言うべきではない。あくまで安全にしたい、する努力をするという態度で何時も言う必要があるのであります。そういう点からいうと、原子炉を置く場所という点についても細心な注意を払わなければならない。こうやれば安全だからどこへ置いてもいいだろうというようなやり方はいけないのであります。一昨年のジュネーブ会議にアメリカの原子炉安全委員会から出しました報告書にも、「原子炉は十年間動かした人でも最初の一日のときのような細心の注意を忘れては危険である。原子炉は本質的に危険なものである。主な川の流域には置いてはいけない。」ということが書いてあります。それから水源地の近くなどというところは避けねばならんということは、大体多くの人も認めていることだと思いますし、私はたとえ人が認めていなくても、私はそういうことはやってはいけないというふうに考えております。それからまた、たとえ絶対安全でも、人々が心配しているというときにそういうものを置くべきではありません。
大阪大学助教授S氏   
ただいまは武谷先生から有益なる精神訓話を拝聴いたしまして、まことにその通りでございまして、今後ともあのお話を肝に銘じてやるつもりであります。原子炉はもちろん核分裂を基礎とするものでございますから、原理においては原子爆弾と変るところがないのでございます。・・・以下略
武谷さんは反対派です。阪大のS教授は推進派です。
S教授が、「武谷先生から有益なる精神訓話を拝聴いたしまして」と話しているところに、事の本質を感じますが、その後の竹谷さんの反撃も実に面白いです。

まあそれはともかく、ここでは2つのことがすでに指摘されているのです。
絶対安全とか、また安全とかいうような言葉は言うべきではないこと。そして原子炉は本質的に危険なものであること。
原発の安全神話など、最初からなかったのです。

しかし、大阪市民や京都市民は、遠くの福井に設置したら自らが安心だと思ったのです。
東京都民は茨城や福島だったらいいだろうと反対の声を次第に立てなくなっていったのです。
当時の本を読めば読むほど、問題はみんな明らかになっていた気がします。
私たちは、それを「豊かな生活」のために、脇に追いやってきたのです。
まずは自らのそうした生き方を反省しなければいけません。
反対行動はそれからです。

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■原発の安全性と原発の危険性

フェイスブックに載せたら、原発は安全かどうかで華苦、危険な存在ですとコメントをもらいました。
それでまずそのことを書こうと思います。

原発にはいくつかのタイプがありますが、たとえば現在のタイプの原発は運転するとプルトニウムが発生します。たとえば福島の原発一基を1年間運転すると200キロ以上のプルトニウムが発生するそうです。今回の福島原発事故も、そのプルトニウムの取り扱いが大変なわけです。
プルトニウムはあらゆる生物のDNAに変異を与え、しかもそれは半永久的に残ります。
さらにプルトニウムは10キロもあれば原爆がつくれるそうです。
ある技術者に原発が攻撃されたら防ぎようがないでしょうと質問したら、原発は攻撃されても原爆のように爆発はしませんよ、と軽く言われてしまいましたが、プルトニウムが飛散したら十分に大変なはずです。
プルトニウムが発生し、それを処理できないということだけでも、私は原発には否定的です。
つまり、フェイスブックである人が書き込んだ通り、原発の安全性以前の問題として、原発の危険性という問題があるのです。
この両者は、違う問題だと私も思っています。

プルトニウムがほとんど発生しないトリウム溶融塩炉というのもあって、最近またそれが話題になってきていますが、それに関しても私は懐疑的です。
ともかく原子力関係の技術者の視野は、あまりに狭すぎることをこれまで何回も見てきましたから、信頼はできません。

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2012/04/07

■節子への挽歌1679:マリア・テレジアの後悔

節子
節子はシェーンブルン宮殿には行ったことがあるでしょうか。
私は仕事でヨーロッパに行った時に一緒に行った先輩と一緒に少しだけ立ち寄りました。
私には全くと言っていいほど興味のないところでしたので、あんまり印象に残っていません。

今朝、録画していたハプスブルグ家のマリア・テレジアのドキュメントを観ていたら、シェーンブルンが出てきました。
マリア・テレジアが思いを込めて改装し、自らもとても愛した宮殿です。
私の記憶には、見事な外観しか残っていませんが。
節子は2週間ほど、友人たちとヨーロッパ旅行に行っていますが、考えてみるとその時の話をほとんど聴いていません。
ですから節子がシェーンブルンに行ったかどうかさえ、記憶にありません。
私たちは話していたようで話していなかったのかもしれないと、ふと思いました。

マリア・テレジアが夫のフランツ・シュテファンと深く愛し合っていたのは有名な話ですが、ドキュメント番組の中でもそれが紹介されていました。
夫の死後、彼女はあれほど好きだったシェーンブルンには行くこともなく、ウィーンの宮殿で生涯、喪服で過ごしたといいます。
夫と死別した後の最初の結婚記念日も宮殿の寝室で一人喪服で過ごしたそうです。
そして友人に手紙でこう書いています。

私は、この記念すべき日をどこにも行くことなく、部屋で一人で過ごし、過ぎ去った幸せを思い浮かべています。
そして、その幸せをあまりに大切にしなかったと思いながら後悔しています。
テレジアにしても、そうだったのでしょうか。
幸せは失ってから気づくものかもしれません。
彼女はこの日に、自分の衣装もすべて周りの人にあげたようです。
そしてこう書きつづっています。
私がまだ持っていなくて待ち望んでいるのは、私のひつぎです。
テレジアは、その後、大きく変わったようです。
そして15年後に亡くなりました。63歳でした。
テレジアも、愛する夫と話していたようで話していなかったことを悔やんでいたのかもしれません。

話せなくなってからでは間に合いません。
もし話す相手がいるのであれば、悔いを残さないようにしてください。
話せば、変わることも多いですし。

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■原発の「安全神話」は消えていないようです

今朝の朝日新聞のトップの見出しは、「大飯原発、来週にも安全宣言」です。
記事によれば、来週中にも大飯原発の安全を宣言するそうです。
『安全』とは一体何なのか。

原爆を体験した日本人は、「放射能アレルギー」が強かったと思います。
しかし1970年代の日本人の前には、それを忘れさせるような「豊かな生活」の人参がぶら下げられました。
そして、「原子力の平和利用」という言葉で、原爆と原発を別物だと思うようになりました。
原発への反対運動は残りましたが、世論はなし崩し的に「安全神話」を信奉するようになってきました。
その上、原発が「エコ」などというとんでもない思いさえ植えつけられたのです。
テレビでは草野さんのようなアナウンサーが、それに加担しました。
その草野さんがまだテレビに出ているのを見ると、この人には脳があるのだろうかとさえ思います。
また話がそれそうですね。反省、

実は、私自身、「豊かな生活」という人参に魅了されそうになった時期がありました。
それに気づいたのは1980年代に入ってからです。

福島原発事故は原発の「安全神話」を壊したといわれました。
とんでもない、安全神話はもうとっくに壊れていたのです。
それについては昨日少し書きましたが、1970年代にはすでにそえは明らかになっていたはずです。
1980年代にはもしかしたら、エネルギーのあり方が変わるかもしれないという期待が生まれましたが、経済につながった技術者たちは、結局はそうした議論を脇に追いやっていきました。
そして、私は会社を辞めました。生き方を変えようと思ったのです。

1999年、茨城県東海村のJCOがウラン加工工場臨界事故を起こしました。
その事故野調査委員会の報告の冒頭には、「原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』から『リスクを基準とする安全の評価』への意識の転回を求められている」と書かれてありました。
そこでも原発の安全神話は否定されていたのです。
それを知らない技術者がいるということ自体、私には信じ難いことです。

そもそも「絶対安全」などという概念はありえません。
技術の安全性とは、安全でないことを前提にして、安全でなくなった時にどうするかを考えることだろうと思います。
安全神話は、安全性への検討を封じ込めるものでしかありません。
「想定外」という言葉が一時期よく使われましたが、安全でないことを想定の外部に追いやって、安全の状態の中で安全性を考えるような議論が横行していました。
発電コストの議論も全く同じ構図です。
そしてそれは、再稼動させるための「安全基準」を策定するという、今の政府の発想に重なっています。
つまり、あれだけの事故を体験しながら、まだ発想を変えていないのです。
そんなことをする人は、馬鹿と言うよりも、犯罪者と言うべきだろうと思います。
また話がそれそうですね。自重、

しかし、首相がそうした発想をするということは、まだ日本では原発の安全神話が消えていないということなのでしょう。
そして、同時に「豊かな生活」信仰も捨てていないのでしょう。
事実、脱原発か雇用か、とか、脱原発か停電回避か、などといったおかしな二者選択がなんの不思議もなく語られています。

次は脱原発か雇用(仕事)かの話を少し書きたいと思います。
それは決して対立構造にはないのです。

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2012/04/06

■30年前の原発事故への警告

最近の原発再稼動への動きに関しては、テレビなども疑問符を投げかけながらの報道が増えていますが、そんな事はお構いなしに既成事実をどんどん積み上げている政府のやり方には驚きを感じています。
福島原発事故のしっかりした事実確認ができないままに、なし崩し的に安全性確認の段取りを積み上げてきています。
古舘さんにしても、ほかのキャスターにしても、本気で異議申し立てをする気はないのでしょう。
アリバイ工作的な発言に終わっています。

そもそも日本における原発推進は、その「安全性神話」に依存して、学者や技術者やマスコミなどのほとんどが、それに疑問をはさまなかったことに大きな問題があります。

先日、ある集まりでかなり信頼できる技術者の皆さんと話し合っていた時に、今回の原発事故が起きるまで、燃料棒を原子炉から抜けば原発は停止し安全になると思っていたとある大学の名誉教授が話されました。
同席していた大企業出身の高名な技術者の方が、私もそう思っていて反省していたが、それを聞いて私だけではなかったとホッとしたと話されたのです。
お2人とも、とても誠実で見識があり、実践的な活動もされている研究者です。
その会話に私は唖然としました。
その気になれば、そんなことは1970年代の新書レベルの本でわかったはずです(たとえば武谷三男さんの岩波新書「原子力発電」)。
そこで、技術者の人たちはやはり他の分野には無関心なのですね、むしろ文科系のほうが知っているかもしれませんね、と余計な一言を発言させてもらいました。
そこに含意させた「とげ」はたぶん伝わらなかったでしょうが。

原子力発電のコストのほうが火力や水力よりも高いことも、1980年代にきちんと学ぶ姿勢があった人にはわかっていたはずです。
しかし経済学者は、技術者によるそうした問題提起は「想定外」の世界に葬り去りました。
そこまで考慮すると、原発は産業的には成り立たなかったからです。
まさに新古典派経済学の「論理の組み立てに都合のいい小さな世界での議論」の典型です。
そのあたりの経緯は、アメリカにおける原子力事故に関する賠償保険制度の検討の経緯をみればよくわかります。
これらの情報は1070年代には日本でも誰でも読める一般的な書籍で出回っていました。

たとえば、いま私の手元にある1冊は室田武さんの「原子力の経済学」(日本評論 1981年出版)ですが、そこにもそうした話は紹介されています。
長くなりそうなので、明日に続けますが、その本の「あとがき」で室田さんは次のように書いています。

さきに『エネルギーとエントロビーの経済学』という小著を出版した際、そのはしがきにおいて、私は、次のように書いた。
スリーマイルアイラソドで起こったこと、あるいはそれをはるかに上回る終末世界は、明日にでも、福島県で、あるいは茨城県で、また静岡県、福井県、島根県、愛媛県で発生しうることである。
「ほとんど起こりえない」と専門家が保証していたこと以上のことが、すでに現実に起きてしまったのだから、私たちは、「いつでも起こりうる」という前提に立って、あらためて私たちの生活を考え直す方がよさそうである。

30年前にすでにこうした警告が出ていたのです。
本当は「安全性神話」などもうとっくにこわれていたのです。
それにもかかわらず、みんなそれに依存して思考停止していたのです。
ちなみに、「エネルギーとエントロビーの経済学」は1979年の出版で、かなり読まれた本です。
きちんと物事を考えていた技術者や経済学者であれば読んでいなければおかしい本です。


原発の安全神話を否定しなかったことの問題を書こうと思っていたのに、話が違う方向に行ってしまいました。
その話は、明日書きます。
原発の話は、書きだすと際限なく、しかもどうしても感情的になってしまうので、うまくかけないのが問題です。
いやはや困ったものです。

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■節子への挽歌1678:やっと追いつきました

節子
やっと追いつきました。
この挽歌の番号は、2007年9月3日からの経過日数です。
その日は、節子が旅立った日です。
1週間ほどたって、毎日、挽歌を書き続けようと思い立ったのですが、今年に入ってから、書けない日が増えてきました。
そういう時は、数日以内に複数の挽歌を書いて、数字を合わせるようにしてきたのですが、最近かなりのずれが生じていました。
ようやく数字を合わせることができました。
今日は、節子を見送ってから1678日目なのです。
追いつけてホッとしています。

この挽歌は、読まれるために書いているわけではありません。
自分のために書いているのです。
だからこういうことが私にはとても大事なことなのです。
しかし、今日も思わぬ人からのコメントがありましたが、だれが読んでくださっているのかわかりません。
知らない人ならともかく、知っている人に読まれるのは、けっこう恥ずかしいものです。
すべてを公開していると言いながらも、私もそれなりに見栄もありますから、後で読むと書かなければよかったということもあります。
しかし、書いている時には、不思議と素直な気持ちになるのです。
まあ一種の自己浄化であり、懺悔であり、自己弁護です。
挽歌と言うよりは、自らも含めての鎮魂歌なのです。
書くことで気を鎮め、書くことで前を向ける。そんな感じです。

読んで下さっている人はわかると思いますが、気持ちはまだ大きく乱高下しています。
しかし、節子はもう現実にはいないという事実をかなり受け止められるようになってきています。
まだそんな状況なのと言われそうですが、そんなものなのです。
喪失感は、時間がたつことで高まることさえあるのです。
でも、挽歌を書かなくても、精神の安定を維持できるようになってきました。
ですから、毎日書くよりも節子に話しかけたくなった時に書くほうが内容的には良いものになるでしょう。
しかし、内容がなくても、やはり毎日書くことを続けようと思います。
ますます「読む挽歌」ではなく「書く挽歌」になりそうです。

20数年前に、ある占い師が私を93歳まで生きると占ってくれたそうです。
あるプロジェクトを私と一緒にやりたいと思った人が、私のことを知るためにわざわざ京都まで行って、有名な占い師の方に占ってもらったのだそうです。
まあ否定する理由もないので、私はそれを信じています。
だから節子にも90までは元気でいてねと頼んでいたのです。
しかし、残念ながら節子は先に逝ってしまったのです。

ちなみに、この挽歌を93歳まで書き続けるとすると、番号は10000に近づきます。
あと8000以上書くことになります。
いやはや大変ですね。
節子はそんなことも考えずに、逝ってしまいました。
困ったものです。

明日から毎日書くようにしたいと思います。
追いつけてよかったです。

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2012/04/05

■節子への挽歌1677:カフェサロンの文化

節子
昨日、湯島で原発事故と技術者倫理をテーマにした真剣な話し合いの場を持ちました。
節子のよく知っている杉本さんが中心です。
話が激論になる前に、杉本さんが黒岩比佐子さんの話をしだしました。
他のメンバーは、黒岩さんがまさか湯島のサロンの常連だったなどとは知らなかったのですが、みんな黒岩さんの「パンとペン」を読んでいて、絶賛していました。
他人事ながらうれしい話です。
黒岩さんはそちらに早々と言ってしまったので、節子とそっちで会っているかもしれませんね。

昨日の集まりは、最近の原発事故後の技術者の対応がずっと気になっていたので、志強く活動している実践者でもある技術者のみなさんに声をかけさせてもらいました。
専門家たちはお互いに遠慮をしあうので、なかなかカジュアルな横のつながりの場は生まれにくいのです。
みんな超多忙な人たちですから声をかけるのは迷惑かなと思っていたのですが、皆さんからも喜ばれました。
こういうカフェサロンの文化を節子と一緒にやってきたことが、今の私には大きな力になっています。
節子にもお礼を言わなければいけません。

昨日、終わって帰りの電車の中で、昔やったキラウエア火山ツアーのOB会のカフェサロンを思い出しました。
あの時も、コアメンバーは杉本さんでした。
あの時は節子も元気でしたが、今から思うととても楽しい集まりでした。
その集まりからも、茂木健一郎さんが大活躍です。

そういえば、やはり節子もよく知っている田中弥生さんも最近大活躍です。
今度、日本NPO学会の会長になったという連絡が来ました。
田中さんも、節子が感心していた若い女性の一人でした。

湯島で、節子と一緒に会った人たちが、いろんなところで活躍しています。
そういう人の活躍ぶりを見るととてもうれしいですが、必ず節子と一緒に会った時のことを思い出すから不思議です。

昨年、少しカフェサロンをやりすぎて、ちょっとダウン気味でしたが、そろそろまた再開しようと思います。
なにしろいろんな人が美味しいコーヒーを持ってきてくれるのです。
みなさんもよかったら珈琲を飲みに来てください。
今はモカ、キリマンジャロ、マンダリンがあります。
もっとも珈琲メーカーと水(水道水です)のせいで、美味しさが十分引き出せないかもしれませんが。

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■節子への挽歌1676:演じている自分

節子
先日開催した「自殺のない社会に向けてなのができるか」のフォーラムのテープ起こしをしていました。
当日の参加者の発言によくでてくるのが、「演じている自分」の話です。
みんなの期待を裏切らないように、頼りになる夫、強い父親を演じていて、そこから抜けられなくなってしまっていたという話です。
そういう話をテープで改めて聴きながら、私たちにはそういうのが全くなかったなと思いました。
最初から私たちは、お互いを素直に見せ合っていましたので、建前と実体の区別がなかったのです。
頼りにならない、わがままでいい加減なお互いを見せ合っていたような気がします。
それでも節子は、私を信頼していましたし、私も節子を信頼していました。
あえていえば、私よりも節子のほうが見栄っ張りだったような気がします。

というのは、節子が後悔していたことが一つありました。
私たちは途中から、私の両親と同居したのですが、節子は「良い嫁」になろうとしていたことを、両親を見送ってから話してくれました。
私から見れば、あんまりそんなようには見えませんでしたが、そうだったようです。
たしかに節子は私の両親からは、私以上に好かれていました。

私にとって、節子は別に「良い妻」だったわけでもありません。
欠陥だらけの妻でした。
にもかかわらず、節子は私には最高の妻でした。
それは、節子はいつも「地」で接してくれたからです。
それで、私も素直に自分そのもので付き合えたのです。
だからまあ、夫婦喧嘩も多かったのですが。

私は、すぐに感情が顔に出ますから、演ずることのできない人間です。
そればかりか、自分でない役柄を演ずることができないのです。
節子もそうでした。
だから私たちには溝は全くなく、悲しみも希望もシェアできたのです。
しかし、シェアしていた相手がいなくなってしまったらどうなるのか。
悲しみは倍になり、希望は半分になってしまったのでしょうか。
たぶんそうはなっていません。
昨日、挽歌を書いてから少し考えてみたのですが、
悲しみも希望もなくなったというのが結論です。

悲しみも希望もなくなるとどうなるのか。
答はすぐそこにありそうな気がしますが、もう少し考えてみなくてはいけません。

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2012/04/04

■節子への挽歌1675:希望

節子
最近、ちょっと重い話が続いたかもしれません。
たしかに少し気分が萎えています。
春になっても、私には春が来ないと今朝、この挽歌に書いたのは素直な気持ちでした。

久しぶりに湯島のオフィスに来ました。
1冊の絵本が届いていました。
「きぼうのかんづめ」です。
そういえば、先日、テレビでも報道されていました。
石巻市の木の屋石巻水産の松友さんが送ってきてくれたのです。

木の屋石巻水産は東日本大震災の津波に襲われ、工場は跡形も無く流されてしまいました。
テレビで巨大な缶詰が横倒しになっている風景を見た人もいるでしょうが、あれが同社のシンボルでした。
会社はもう解散かという話まであったそうですが、奇跡的に在庫していた缶詰がたくさん工場の瓦礫の中から見つかりました。
そこからドラマが始まります。
ご存知の方も多いでしょう。
その話は「希望の缶詰」として有名になりました。

そのファンたちが、絵本づくりのプロジェクトを立ち上げました。
そのプロジェクトの呼びかけにこう書いてあります。
 津波に流されずに
 残ったものがあった。
 それは、希望だった。
そして、絵本が完成しました。
同社もいま、会社再建に向けて動き出しています。

私は昨年、パネルディスカッションで同社社長の木村さんに会いました。
実に魅力的な人でした。
そのご縁で、松友さんとも知り合え、絵本が届いたのです。
絵本は、木の屋石巻水産の缶詰ファンがみんなでつくり上げた本です。
絵本づくりのプロジェクトのサイトに、こう書いてありました。

悲しみをシェアすれば、半分になる。
希望をシェアすれば、倍になる。
節子と一緒に迎えた最後の年は「希望の年」にしたかった。
そのことを思い出しました。
ちょっと前を向こうかなと思い直しました。
そうしたら少し向けそうな気がしてきました。
今日の空はとてもきれいです。

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■節子への挽歌1674:亜空間

節子
またぶーちゃんからコメントが届きました。
読者からのコメントをもらうと、そこにまるで自分がいるようなことが少なくありません。
人の思いを掘り下げていくと、みんな同じところに行き着くのではないかと思うほどです。

全文はコメント記事をお読みください。
そこに、こんな文章が出てきます(一部省略しての引用です)。

(妻の発病までは)「いつまでもこの幸せな時間が続く」と考えていました。
妻の癌が発覚してからは、「今、ここ」がすべてと感じるようになりました。
妻が亡くなった後、「今、ここ」を大切にしようという感覚は消え去りました。

私もそういわれて見ると、まったくと言っていいほど同じです。
ぶーちゃんは、「時間が過去から未来へと続く「直線」として感じられていたのが、妻の癌発覚と同時に、時間が「点」として感じられるようになったと言えばいいでしょうか」と書いています。
その「点としての時間」も、妻との別れで見えなくなってしまった。
まさに時間の存在しない「亜空間」に漂っている感じなのです。

もっとも、いつもいつもそう感じて生きているわけではありません。
現実に、さまざまなことがあり、それにも対応しなければいけません。
しかしその「亜空間」感覚は、いつも心身のどこかにあるのです。
そして突然に、現実が単なる喧騒にしか感じられなくなり、どうしていま自分はこんなところでこんなことをしているのだと、自責の念にかられることもあるのです。
それは、突然にやってきます。そして不安が心身を襲うのです。
そうなるのは、なぜか華やかで喜ばしい日であることが多いのです。

昨夜の強風のせいか、今朝は実に気持ちのいい朝です。
空も、やわらかで、仰ぎ見ていると心やすまります。
思わず、生きている喜びを感じそうになるのですが、その一歩手前で、なぜか心が萎えてしまう。
心の底から、その喜びや生の実感を解放できない自分がいます。
ぶーちゃんも同じかもしれません。
こういう日には、逆に自責の念や違和感が襲ってくることが多いのです。
なんとまあ皮肉なことか。

春が来ましたが、なかなか私の心身には春が来ません。

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2012/04/03

■節子への挽歌1673:孤立と退屈と豊穣の中を生きる

節子
今日は一気呵成に挽歌の遅れを取り戻しましょう。
なにしろ安全を祈りたくなるほどのすごい雨風ですので、挽歌を書いているのが一番落ち着くでしょうし。

先に引用した「災害ユートピア」からもう一度引用します。

最も深い感情や、個人の存在の核につながる感情、人の最も強い感覚や能力を呼び覚ます感情は、死の床や戦争や緊急事態にあってさえも豊かでありえる。反対に、幸せであると決めつけられる状況は、しばしば単なる探さからの隔絶や、もしくは快適な状態の中で倦怠や不安から隔絶されている状態にすぎないのだ。
最近の私の心境からは、とても納得できる表現です。
この文章のすぐ後に、「大きな喪失は通常、私たちをコミュニティから孤立させる」という文章も出てきます。
たしかにこれもその通りで、節子を見送った直後、私は社会との接点を失って、おろおろしていたのを覚えています。
その当時ほどではありませんが、いまもまだ時々、強烈な孤立感に襲われることがあります。

コミュニティからの孤立と生きる豊かさとはどうつながるでしょうか。
あるいは、「生きる意味の見いだせない退屈な人生」とどうつながるのか。
これらは一見矛盾するようですが、私の中では全く矛盾しないのです。
孤立を感じるかと思えば、つながりの豊穣を感じ、
退屈で価値がないと思いながらも、生きることの深い意味を思うのです。
かけがえのないものを喪失すると同時に、かけがえのないものを得たような気もします。
言い換えれば、感情が研ぎ澄まされて、それらがすべて感じられるようになってしまっているのかもしれません。
だからそれらが奇妙に並存し、矛盾すら感じない。
とても不思議な世界に生きているわけです。
大きな喪失は、人を哲学者にすることは間違いないようです。

また風が激しくなりました。
家全体が揺れるほどです。
なにしろ節子が選んだわが家の立地は高台のはずれで、しかも風の道に当たっています。
風のうなりも恐ろしいほどですが、家全体が揺れるのはあまり居心地の良いものではありません。
節子がいないのも、心細さのひとつかもしれません。
早く風がおさまってほしいです。

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■節子への挽歌1672:思いつきの人生

節子
今日は強い台風並みの低気圧ですごい雨風です。
一昨日から今日は何となく大地震が起こるような気がして、予定を変えて一日在宅するようにしていましたので、その雨風に巻き込まれることなく、テレビで各地の被害状況を見ています。
そういえば、3.11の東日本大地震の時も在宅でした。
幸運と言うべきでしょうか。

わが家のある我孫子も強風に襲われています。
今回はきちんと事前の備えをしていますので、大丈夫です。
さらに大地震に備えて、ガラスの大きな花瓶も一応、安全な場所に下ろしておきました。
地震の気配はないので、もしかしたら1~2日延びたのかも知れません。
地震の予想ははずれたかもしれません。
困ったものです。

ところで、節子はよく知っていますが、こうした雨風の日はなぜか心身が動き出し、利根川を見に行きたくなります。
テレビを見ていたら、急にまた利根川に行きたくなりました。
自動車運転はアクセルとブレーキを間違えて以来、この10年ほどやめていますので、やはり在宅だったユカに頼みましたが、言下に断られました。
思わず「節子だったら行ってくれるのになあ」と言ったら、「節子も行かないよ」と言われてしまいました。
その上、思いつきはやめてくれないと怒られてしまいました。
いやはや困ったものです。

娘たちによく言われますし、最近は友人たちからさえ言われますが、私はほぼ「思いつき」で行動を決めています。
人間の考えることなど、たかが知れていますので、むしろ私は「思いつき」を大事にしているのです。
それでわが家の家族は振り回されて、私の評判は悪いのですが、節子は私の思いつきによく付き合ってくれました。
私が「思いつき」でこの歳までうまく生きてこられたのは、そういう節子の受容力のおかげかもしれません。
節子は拒否することもありましたが、完全に無視するのではなく、私の思いつきをうまく取り込んだ代替案を出してくれたのです。
私の「思いつき」は、結局は思いつきですから、すぐに変わりうるのです。
節子はそれをある時から知ったのです。
そうした阿吽の呼吸というか、気づかずに騙されるとか、夫婦というのはそういう関係がうまく形成される関係なのかもしれません。

節子に接していた時と同じように、娘たちには今も「思いつき」で対応しているのですが、いつもはっきりと否定されてしまいます。
節子だったら、否定しないのになあ、と不満を言うと、節子も否定しますと断定されてしまいます。
私の節子像と娘たちの節子像はどうもかなり違っているようです。
しかし、節子を正確に把握しているのは、間違いなく私です。
「節子だったらどうするか」はわかりながら、不承不承、娘たちの言葉に従っていますが、思いつき人生を改める気はまったくありません。
節子との思いつき人生は、実に楽しく、幸せでした。
それに節子もそれなりに思いつき人生でしたから。

雨が窓を強く打ち出しました。
少しこわいほどです。

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■節子への挽歌1671:人間は死ぬ瞬間、何を見るのだろう

節子
この挽歌にも、いろんな人がコメントをくれます。
それで元気づけられることも少なくありません。

最近、ぶーちゃんと称する人から時々コメントをもらいます。
一昨年。伴侶を亡くされ、以来、「気分が高揚することなど一度もない人生を送っているといいます。
「妻が一緒にいてくれた頃は、あんなに日々が充実していたんですが、妻を亡くして、遺された人生、楽しいこと、嬉しいこととは無縁だろうと思っていま」と書いていますが、私も同じような気がしています。
しかし、そんなぶーちゃんにも、楽しみにしていることが一つだけあるというのです。
「それは、僕が死ぬ瞬間です。きっと笑顔で死んでいけると思っています」
ようやく生き地獄から解放されるからですが、それだけではありません。

ぶーちゃんはこう書いています。

妻は亡くなる前日の真夜中、最期の言葉を遺してくれました。
「みんな、みんな一緒」。妻はこん睡状態の中で、そんな言葉を口にしていました。
その時の妻のとても安らかな笑顔は今でも忘れられません。
あの時、妻は何を見ていたのだろう。人間は死ぬ瞬間、何を見るのだろう。
とても気になっています。
節子はどうだったろうか、
確かに節子も平安な表情をしていました。
残念ながら私は気が動転していたのか、あんまり覚えていないのです。
たださほど悲しいとは思っていなかったような気がします。
そんな感情は通り越していました。
それに、節子が息を引き取ってからの数時間は、ほとんど記憶がありません。
節子と約束したことも果たせずに終わってしまいました。
私の腕の中で息を引き取ったわけでもありません。
その瞬間、そしてその直後、私は何をしていたのでしょうか。
悔いが残ります。

しかし節子も安らかな表情だったような気がします。
節子は何を見ていたのだろうか。
私も気になります。

しばらくして、節子は彼岸で白い花に囲まれて、幸せそうにしていると大日寺の庄崎さんから教えてもらいました
しかし、幸せのはずがありません。
なぜなら彼岸には私がいないのですから。
私も彼岸に行くのが楽しみです。
まあ節子が待っているとは限りませんが。

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■節子への挽歌1670:人間の本性の蘇生

節子
数年前に話題になった「災害ユートピア」という本には、昨年の東日本大震災のような大惨事が起こると、その直後に「見ず知らずの人たちの間にさえも、お互いに深く気遣い合う社会」が、つかの間とはいえ、発生する事例がたくさん紹介されています。
その理由のひとつは、生きる上での課題が単純化されるからだろうと思います。

その本にこんな文章があります。

セラピーの分野では、災害の帰結として、例外なくトラウマが語られる。それは、耐えがたいほどもろい人間性や、自らは行動せず、誰かが何かしてくれるのを待つといった、典型的な被災者像を暗示している。災害映画やマスコミも、災害に遭遇した一般市民を、ヒステリックで卑劣な姿に描き続けている。
「災害ユートピア」という本の著者は、それがいかにばかげた「つくりごと」であるかをたくさんの事例で示してくれます。
そして、そうした状況のなかでは、セラピストの言葉などはほとんど役に立たず、そうした世界では被災者のみならず、そこに接した人たちもまた素直になるがゆえに、「人間の本性」が蘇生し、つかの間のユートピアが生まれるというのです。

私はとても共感できました。
共感できた理由は、節子との別れを経験したからだろうと思います。
節子を失った時、私にはすべてのものが意味を失い、価値を失ったような気がしました。
愛する人を失った時に、おそらく多くの人はそう感ずるでしょう。
その喪失感を埋めてくれるものなど、何もないのです。
つまりすべてのものは、価値を失ってしまうわけです。
できる事はただ一つ、自らに素直になるだけです。

素直になると、まさに「人間の本性」に気づきます。
素直に悲しみを発現させ、素直に怒りも出せるようになります。
悲しみや怒りだけではありません。
慈しみの心もまた、素直に蘇ってきます。
同じように隣に悲しむ人がいたら、気になりだします。
それも決して上からの気持ちではなく、悲しみを分かち合おうという自然の気持ちからです。
社会に生きる生き方ではなく、生命に素直に生きる生き方になるのです。
そうすると、周りの人たちの見え方が変わってきます。
きれいごとを話している人たちの、悲しさも伝わってきます。

最初はそれが生きにくさにもなっていきますが、そのうちに生きやすさに転じます。
そしてみんなそれぞれに「重荷」を背負っていることにも気づきます。
大災害の直後、みんなその重荷をおろして、素直になるのでしょう。
しかしすぐにまた背負ってしまうわけです。

幸いに私は、節子との別れで、重荷を二度と背負わずにすむようになりました。
人は、本来、生きやすい存在なのです。
エデンの園の話に、最近、とても共感できるような気がしてきています。

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2012/04/02

■節子への挽歌1669:般若心経扇子

節子
Fさんから般若心経扇と呼ばれている京扇子をもらいました。
お会いした時に、京都のお土産なので家に帰ってから開けてくださいと謎めいた言葉と共にもらったのですが、帰宅して開けたら扇子でした。
節子の実家での法事では、扇子が必需品でしたので、私も節子から渡されていましたが、その扇子も最近は使ったことがありません。
それで、その扇子もケースに入ったままお蔵入りするところでした。
ところが、Fさんからメールが来ました。
たぶん私が開けても見ないだろうことを感知していたのかもしれません。

あの扇子は、ご覧になったと思いますが般若心経扇です。
群青色の地に散りばめられた金色文字は、夜空に輝く「星」のように見えたのです。
暗唱されていると思いますが、時々開いてこころ穏やかにお経をよんでください。
それを読んで、扇子を開いてみました。:
紺地の扇面の表には般若波羅蜜多心経が、裏には延命十句観音経が書かれていました。延命十句観音経は「観音経」のエッセンスをまとめたものといわれ、般若心経よりもずっと短いのです。
節子の訃報を聞いて、すぐにわが家に来て下さり、枕経をあげてくださった市川さんの奥さんから、お守り用にと般若心経と観音経をいただいたのですが、観音経までは手が出ませんでした。
しかし十句観音経であれば、毎朝声明できそうです。
観音信仰は、このお経によって広まったとも聞いています。

Fさんは、しかしなぜ私にこの扇子をくださったのでしょうか。
Fさんからまたメールが来ました。

フォーラムのラストの佐藤さんのお話は、わたしは全く予想していませんでしたので、
私にとってはこころ揺さぶられる思いでした。
そのときの感情を振り返って見ました。
佐藤さんが語られるその思いがすーっと入ってきたのです。
そうしたら、全身が、こころが、凍結したようになったのです。
不思議な反応だったことは、今でも身体に余韻が残っているようです。
それできっとこの扇子を贈ってくださったのです。
さて明日から十句観音経もあげるようにしましょう。
なにしろ十句ですから、短いのです。

観世音 南無仏
与仏有因 与仏有縁
仏法僧縁 常楽我浄
朝念観世音 暮念観世音
念念従心起 念念不離心 

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■節子への挽歌1668:2人だからこそ意味のあった物たち

先日、この挽歌にいただいたpattiさんからのコメントを読み直しました。

私も彼のいない人生を続けることに意味を感じることはできません。
私の唯一最大の望みは彼と同じ土に還ることだけ。そして、彼の魂と再会することだけ。

物もずいぶん整理しました。
そう、執着はほとんどなくなりました。
2人だからこそ意味のあった物たち・・・。
その物たちがとてもさびしそうに見えます。
最初に読んだ時には、前のほうの文章に心が向いていましたが、何回か読むうちに、後のほうの言葉に気づきました。
「2人だからこそ意味のあった物たち・・・。」
そうです。
わが家にもそうしたものがたくさんあります。
わが家もまさにそのひとつです。
節子がとても愛していた家だったのに、節子はその家とは十分に付き合えなかった。
そんな気がします。
現在のわが家は、節子が土地を見つけ開発業者に売ってほしいと話をし、手に入れた土地に建っています。
家の間取りも、家族みんなで話し合い、それゆえにこそ、中途半端な家になりましたが、だからこそ家族みんなの思いが盛り込まれているのです。
その家で、節子は最後を過ごしましたが、転居してまもなく発病してしまいましたから、十分に住まいきったとはいえません。

節子はそこにたくさんの物を未整理のまま残しました。
病気が後戻りできないことを知った節子は、整理したいと私に頼みましたが、私は整理してほしくなかったので、止めてほしいと頼みました。
節子は、私の気持ちを察して、二度と言いませんでした。
ですから整理されないままの状差しのなかには、節子宛の手紙も、今もまだそのままにあります。
それを見ると時間は止まっているようですが、時間は止まったのではなく、終わっただけなのです。
pattiさんが書いているように、その物たちがとてもさびしそうに見える時もあります。
そして見ている自分もさびしさに引き込まれそうになります。
しかし、それを整理する気には、まだなれません。

pattiさんは、最後に、「仲代達矢の「赤秋」を見ました。佐藤さんはご覧になりましたか?」と書いていました。
節子がいたら、一緒に見られるのですが、私一人ではとても見る勇気はありません。
節子が私に一体化しているのであれば、pattiさんのように観ることができるはずですが、なぜか観る気が起きません。
この違いはどこにあるのだろう、と時々思います。

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■節子への挽歌1667:「永遠に続くと思っていた時間がなくなった」

「永遠に続くと思っていた時間がなくなった」。
先日開催した「自殺のない社会に向けて何ができるか」をテーマにしたフォーラムのパネリストをお願いしたKさんの言葉です。
このフォーラムで最後に私が話したことは前に書きましたが、この言葉はまさに私の思いでもありました。

Kさんは10年ほど前に伴侶を自殺で亡くされました。
その体験を語ってくれたのですが、そのなかで、夫との死別によって、永遠に続くと思っていた時間がなくなったと話されたのです。

「永遠に続くと思っていた時間」、たしかに私もそう思っていました。
医師からは「時間の問題」と言われていても、その言葉は心に入らず、明日もあるように思いつづけていました。
最後の最後まで、私は節子との時間は永遠に続くと思っていたことは間違いありません。
その時間が、終わってしまったことを、ある時に突然気づいて愕然とする。
でもそれが理解できないのです。
いまもまだ理解しきれていない自分がいます。
しかし、節子と一緒にやろうと思っていたことがもう出来ないことに出会うと、その事実を思い知らされます。
そしてそのたびに、「永遠に続くと思っていた時間」を前提に、私は生きてきていたことに気づきます。

愛する人との時間に限りませんが、人はみな「別れ」を意識せずに人と付き合っています。
明日もまた今日のようにあるだろうと、どこかで思っています。
そう思わないと、生きにくいからかもしれません。

相手との時間だけけではありません。
自分の時間もいつかは終わると思えば、生き方は変わるでしょう。
時々、そう考えて、身辺整理をしようと思うことがあります。
しかし、それは続きません。
残された時間では読めるはずもない書籍を買い込み、いつか整理しようと思っている膨大な写真や記録を保存し、明日も今日のようにある時間を前提に生活設計を考える生き方に、すぐ戻ってしまうのです。

「ずっと続くと思っていた家族と一緒にある時間がなくなってしまった」と話してくれたKさんは、だから、家族に限らず、その後は、誰かと一緒にいる時間を出来るだけ大切にされるようになったとい言います。
私も、最近意識しないままに、そうなっているような気もします。
一緒にいる時間を大事にしたら、もしかしたら、その時間は永遠に続くかもしれない。
そう思いたいですが、節子がいない現実の寂しさの前には、それは時として気休めにしかなりません。

時間はなぜ止まってくれないのでしょうか。

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2012/04/01

■節子への挽歌1666:訃報を聞くとなぜか心が沈みます

挽歌が書けなくなりました。また4日ほど書けずにいます。
どうしたことでしょうか。
先ほど、意を決してパソコンに向かい、書き出そうとしたら、友人から父を見送ったというメールが届きました。
友人は50歳くらいですから、そのお父上は私よりもかなり年上でしょう。
私はもちろんその方にはお会いしたこともありませんが、ちょっと気になっていたのです。
友人からほんの少しだけその親子関係を聞いていたからです。
父上の話をした時に、彼は涙ぐんだのです。
深く愛し合っていたのだろうなと感じました。
愛し合えばこそ、うまくいかないこともある。
そんな余計な推測までさせられる仕草でした。
なぜかまた力が抜けてしまい、挽歌を書こうという気が失せてしまいました。

このごろは、ともかく「気」が弱くなっています。
人の死が悲しいわけではありません。
にもかかわらず訃報を聞くとなぜか心が沈むのです。
特に今日は、友人のことを思うと哀しいです。
とても哀しい。
私の心身から何かが抜けていく、そんな気がしてなりません。

挽歌を書くのは明日にします。
明日と明後日で、思い切りたくさんの挽歌を書こうと思います。
挽歌を書いていないのが、もしかしたら、私の「気」が不安定になっている理由かもしれません。
でも今日はとても書く気にはなれません。
祈りたい気分です。

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