■節子への挽歌1681:私たちの住まい
節子
昨日は衣服の話でしたので、今日は住まいの話です。
近くのTさんが転居したことは前にも書きましたが、まだその家が売れずに空き家になっています。
買い手が付かない理由の一つは、たぶん間取りの関係でしょう。
Tさんの住宅は、Tさんの息子さんの設計ですが、外観も間取りも自分たちのライフスタイルに合わせて設計されているのです。
家族のライフスタイルは、それぞれに違いますから、あまりカスタムメイドになっている場合、別の家族には合わない場合が多いでしょう。
実はわが家にも同じことが言えます。
かなりの部分、個性化されていますので、たぶん他の人には住みづらいでしょう。
たとえば私のための空間は、狭い書庫と狭い仕事場に分かれていますので、私以外の人には使い勝手は良くないと思います。
若い友人を部屋に案内したら、なんでこんな狭い書斎にしたのですかと驚かれました。
わが家の設計は、家族全員が関わりました。
みんなわがままなので、設計を頼んでいた人も途中から意見を言わなくなりました。
ともかくみんな自己主張が強いのです。
それもみんなそれぞれにバラバラなのです。
困ったものです。
出来上がった家は、反省点だらけですが、だからこそ「使い込んでいけば」きっと家族と一体になった住まいになっていくと私は思っていました。
私の「住まい観」は住人と一緒に育つものだったのです。
ところが転居して間もなく、節子のがんが発見され、家を使い込む余裕がなくなりました。
節子は家も庭も立地も、気にいっていましたが、新居を十分に楽しむところまではいかなかったでしょう。
節子にとっては「未完の家」だったに違いありません。
それでも、この家に住むための基本形は節子がつくってくれました。
しかし家族構成が変わると不都合がいろいろと生じだします。
それに、この家に組み込んだつもりの「仕掛け」も、もう無意味になってしまいました。
というよりも、最近思うのは、この家をつくる時には家族が変化するという発想が全くなかったことの不思議です。
そのあたりが、私の常識のなさというか、単細胞で視野が狭いというか、早く言ってしまえばバカそのものなのですが、どうして当時は家族がそのままずっと続くと思っていたのでしょうか。
もし節子がいなくなることを知っていたら、こんな家にはしませんでした。
しかし、その家で節子は最後を過ごしました。
節子の最後をあたたかく包み込んでいたのも、この家です。
だからこの家は私には宝物なのですが、私たち家族以外の人には、間取りの悪い家だと感じるかもしれません。
伴侶もそうですが、住まいも、まさに当事者に対してだけ輝いているのかもしれません。
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