■節子への挽歌1668:2人だからこそ意味のあった物たち
先日、この挽歌にいただいたpattiさんからのコメントを読み直しました。
私も彼のいない人生を続けることに意味を感じることはできません。最初に読んだ時には、前のほうの文章に心が向いていましたが、何回か読むうちに、後のほうの言葉に気づきました。
私の唯一最大の望みは彼と同じ土に還ることだけ。そして、彼の魂と再会することだけ。
物もずいぶん整理しました。
そう、執着はほとんどなくなりました。
2人だからこそ意味のあった物たち・・・。
その物たちがとてもさびしそうに見えます。
「2人だからこそ意味のあった物たち・・・。」
そうです。
わが家にもそうしたものがたくさんあります。
わが家もまさにそのひとつです。
節子がとても愛していた家だったのに、節子はその家とは十分に付き合えなかった。
そんな気がします。
現在のわが家は、節子が土地を見つけ開発業者に売ってほしいと話をし、手に入れた土地に建っています。
家の間取りも、家族みんなで話し合い、それゆえにこそ、中途半端な家になりましたが、だからこそ家族みんなの思いが盛り込まれているのです。
その家で、節子は最後を過ごしましたが、転居してまもなく発病してしまいましたから、十分に住まいきったとはいえません。
節子はそこにたくさんの物を未整理のまま残しました。
病気が後戻りできないことを知った節子は、整理したいと私に頼みましたが、私は整理してほしくなかったので、止めてほしいと頼みました。
節子は、私の気持ちを察して、二度と言いませんでした。
ですから整理されないままの状差しのなかには、節子宛の手紙も、今もまだそのままにあります。
それを見ると時間は止まっているようですが、時間は止まったのではなく、終わっただけなのです。
pattiさんが書いているように、その物たちがとてもさびしそうに見える時もあります。
そして見ている自分もさびしさに引き込まれそうになります。
しかし、それを整理する気には、まだなれません。
pattiさんは、最後に、「仲代達矢の「赤秋」を見ました。佐藤さんはご覧になりましたか?」と書いていました。
節子がいたら、一緒に見られるのですが、私一人ではとても見る勇気はありません。
節子が私に一体化しているのであれば、pattiさんのように観ることができるはずですが、なぜか観る気が起きません。
この違いはどこにあるのだろう、と時々思います。
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