■節子への挽歌1696:十句観音経
節子
十句観音経を毎朝声明しようと決めましたが、最初はなかなか続かずに、習慣化したのは最近です。
たった10句なのになかなか覚えられませんでした。
そもそも覚えようなどという姿勢が間違っているのでしょう。
ともかく声にしていれば、おのずと口から出るようになるものです。
どうもまだ、「覚えよう」という発想から抜けられません。
十句観音経はとても短く、要旨は次のようなものらしいです。
「朝夕に観世音を念じ、無我の心からすべての念を起こすようにすれば、自らの内にある仏性が目覚め、平安がやってくる」
まさにこれは「自己暗示」です。
昨日、言霊に魅せられているお2人の人が湯島に来ました。
言霊思想は日本だけのものではありませんが、お経はまさに言霊の世界です。
ところで、お経をあげる時には大日如来ではなく、節子の写真を見ながらのことが多いです。
そうすると、観世音と節子とが重なってきます。
十句観音経にある「朝念観世音 暮念観世音」の観世音は、まさに節子につながってくるわけです。
そして、「念念従心起 念念不離心」、念ずるほどに節子を想い起こし、節子と心離れずに同行できるようになるわけです。
ところが、今日、韓国の佐々木さんからメールがきました。
昨日は、佐々木さんが娘のように可愛がっていた愛犬パルの四十九日だったのです。
法要に来てくださった僧侶の方から、「パルが転生するためには、離してあげないといけない。彼岸でまた会えるようにするためにも必要である」と諭されたそうです。
佐々木さんがいたら、いろいろと話したい気もします。
離さずして離す。
その心境は、他者には分ち合い難いような気もします。
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