■節子への挽歌1691:統合失調感情
節子
小林和彦さんという人の書いた、統合失調症闘病記「ボクには世界がこう見えていた」を読みました。
先日読んだ「神々の沈黙」に触発されて、統合失調症の人の世界を知りたくなったからです。
本書は、「統合失調症と診断された著者が自らの精神疾患の体験について綴った出色のドキュメンタリー」なのです。
たしかに面白い。
むかし読んだ大熊一夫さんの「ルポ精神病棟」を思い出しました。
ちなみに、著者の小林さんはグループホームで暮らしながら、精神科のデイケアを受けているそうです。
これだけの本を書ける人が、と思うと、感慨深いものがあります。
小林さんが発病したのは24歳の時です。
その時の様子が実にリアルに書かれています。
もっとも肝心のところは記憶がなくなっているので抜けていますが、普通の日記を読むように鮮やかなのです。
小林さんは当時、アニメ制作に関わっていましたし、ニューサイエンスにも関心があったようで、発病時(1986年)の文化状況なども思い出されて、私にはとても心に響いてきました。
文体は軽妙で、筒井康隆の小説ではないかと思うほどです。
それに、私自身の発想に似ているところも少なくないのです。
というか、小林さんに見えていた世界が、それほど異常には思えずに、割と親近感がもてるのです。
これはちょっと「あぶない」のかもしれません。
私もどちらかといえば、分裂症気質でしたから、ちょっとの差で、小林さんと同じ人生を歩んだかもしれないという気さえしました。
いや、実際問題として、同じ世界にいるのかもしれません。
何しろ、小林さんもどうであったように、自分の異常さは自分では分かりません。
節子と別れてから、私が少なからず「おかしくなっている」のは自分でも分かります。
ところで、小林さんはちょっとの差で、筒井康隆どころか、大文豪が大預言者になっていたかもしれません。
偉業を成就する人は、多かれ少なかれ、尋常ではないでしょう。
人生は、ほんとうにちょっとした差で大きく分かれてしまうのです。
その違いは、たぶん、神からどのくらい愛されているかどうかです。
私は神嫌いですから、愛されてはいないでしょう。
先日読んだ、ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」を読んで以来、脳のことが気になっています。
古代の人の脳は、右脳と左脳が統合されておらずに、一方の脳に神が宿っていたというのがジェインズの主張ですが、まさにその状況が「統合失調症」と一致するわけです。
私は節子が発病した頃からのような気がしますが、右脳の後ろが時々熱くなります。
そうなると思考力や集中力が弱くなり、そこに「何か」が巣食っているような気がするのです。
「神々の沈黙〕」読んでから、それがますます気になってきています。
残念ながらまだ神の声は聞こえてはきません。
しかし、もしかしたら、この挽歌は、小林さんの闘病記のように、後で読んだら、異常なのかもしれません。
小林さんも、こんな気持ちで書き続けていたのでしょうか。
小林さんはもう50歳。普段は誠実で温厚な紳士だそうです。
ちょっとお会いしたいような気もします。
私の両親の生まれ故郷の柏崎にお住まいのようです。
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