■節子への挽歌1690:セザンヌ展
節子
六本木の国立美術館でセザンヌ展をやっています。
めずらしいセザンヌがたくさん展示されているようです。
節子がいたら見に行ったかもしれませんが、私は絵画には興味がないので行くつもりもありません。
節子がいた時には、美術展にも時々付き合わせられましたが、いなくなってからは行かなくなりました。
ですから、セザンヌ展をやっていることさえ知りませんでした。
昨夜、テレビのぶらぶら美術館で、そのセザンヌ展を紹介していました。
ユカがこの番組のファンなので、私も時々、見ています。
節子が大好きになりそうな番組です。
この番組を見ていると、いつも節子が一緒に見ているような気もします。
セザンヌには私は興味がありませんが、番組はとても面白かったです。
番組を見ながら、ユカと話したのですが、節子が病気になる頃から、東京の風景は大きく変わってきたように思います。
私にとってはあまり好きな変わり方ではありませんが、節子にはもしかしたら好きかもしれません。
変わった東京を楽しませてやりたかったねとユカに話したら、でもお母さんは六本木ヒルズにも行ったし、丸の内の新しいビルにも行ったし、というのです。
そういえば、私よりも新しい東京を知っているかもしれません。
節子は療養中にもかかわらず、新しい街が出来ると出かけていました。
娘たちも私も、付き合わされていました。
節子は、そういうことではとてもアクティブだったのです。
その節子がいなくなってから、私は東京を歩く機会が減ってしまいました。
時々、娘に連れられて出かけますが、一人では行ったことがありません。
いや一度だけ、密教美術展に行きましたが、それだけです。
私の世界は狭くなってしまっています。
しかし思い出してみると、結婚したての頃は逆でした。
学生の頃、私は美術展や彫刻展に一人でよく行っていました。
いつの頃からか興味を失ってしまいましたが、若い頃はそれなりに好きでした。
節子と東京に転居して最初に行ったのは、今でもはっきり覚えていますが、池袋西武のセゾン美術館でやっていたカンディンスキー展でした。
そこに、傘を貼り付けたような作品が出展されていました。
節子はそれがとても気にいったのです。
私たちの間ではよく話題になりました。
そしていつの間にか、節子は私よりも美術好きになったのです。
そして私を誘うようになったのです。
節子がいたおかげで、私の世界はそれなりにバランスが取れていました。
最近は、どうもそれが偏っています。
少し行動スタイルを変えないといけません。
来週から、もう少し東京を歩いてみようかと思っています。
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