■荒れ地のなかで自分の軌道を見つけることの大切さ
神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、有名な聖杯神話は「荒れ地」と呼ばれる土地に活気を取り戻す物語だと話しています。
この頃、つくづく、いまの日本は「荒れ地」になってしまっていると思います。
人に会うことが少ない、荒れ地です。
こんなことを書くと友人知人から怒られそうですが、正直、そんな気がして、さびしいです。
キャンベルはこう話します。
「荒れ地」では人々が主体的に生きることを放棄して、義務的に行動しています。自分の手で獲得したのではない公的な役割や地位を継承している状態です。それが、誰もが偽りの人生を営んでいる「荒れ地」の姿です。ますます、友人知人を失いそうですが、このブログを読んでくださっている友人知人は、そんな人生には満足していないでしょうから、わかってもらえると思います。
こういう私も、自信を持って、偽りの人生ではないと言いきるほどの自信はありませんし。
ヤンベルはさらに言います。
「荒れ地」とは、生きる活力のなくなってしまった場所です。人々は生活のために仕事をし、中年になって仕事が何の意味も持たないことを発見するのです。私も46歳の時に、その問いを持ちました。
そして、仕事の概念を変えました。
昨日、知人の訪問を受けました。
そして「壁にぶつかった時、どうしますか」と問われました。
その人は、「自分の考えと社会のそれとをすり合わせるのが難しい」とも話されました。
私は、「壁の外で生きているのでぶつかることはないし、すり合わせなどしたこともない」と話しました。
もう一度、キャンベルを引用します。
聖杯にしても他のほとんどの神話に関しても、その意味するところは、人生の原動力を見つければ、その軌道は自分の中心から発するものになり、社会から押しつけられたものを軌道にしなくて済む、ということです。もちろん自分自身の良い状態や護りたい高潔さと、社会の物質性や必要性との、折り合いをつける必要があります。それでも自分の軌道を見つけることが先決で、社会との折り合いはそれからついてくるものです。荒れ地が、表情のある世界に変わるのはいつでしょうか。
最近、めずらしく大きなストレスを感じ出しています。
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