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2012/04/26

■節子への挽歌1698:運命の贈りもの

節子
ナチスの強制収容所を生きぬいた精神科医ヴィクトール・フランクルの「それでも人生にイエスと言う」を読み直しました。
先日の日曜日の朝の「こころの時代」で話題になっていたからです。
番組は最後の5分ほどしか見られなかったので、再放送を見るつもりですが、まずは本を読み直してみました。
そこに、療養先で偶然にも自らの死期を知ってしまった人の書いた手紙の話が出てきました。
その人は友人に当ててこう書いています。

意識して死に赴いていくというのは、運命の贈りものにちがいないと考えました。
いまや運命は、私にも、意識して死に赴いていくことを許したのです。

そして彼は、それ以前と同じように毎日数学を勉強し、音楽を聴き、最後を迎えたようです。
フランクルは、病気も死も、贈り物と考えることができると書いていますが、その実例として、この手紙を紹介しています。

節子も、これと同じようなことを話してくれたことがあります。
もちろん、病気になってよかったとは言いませんでしたが、病気になったことに関して、恨み言は一切言いませんでした。
そこから得たものへの感謝は、口にしたことがあります。
その一方で、節子は「死への恐れ」を口にしたこともありませんでした。
家族を悲しませるようなことも、一切言いませんでした。
それはそれは、見事なほどでした。

その体験があるので、フランクルが紹介している、この手紙を読んだ時に、素直に心に入りました。
しかし、その「運命の贈り物」を、私は冷静には受け止められませんでした。
おろおろし、不安定になり、無気力になり、嘆き悲しみました。
いまなお、人生にイエスなどという気にはなれません。

それにしても、節子はなぜあれほどに心安らかで、平常心でいられたのか。
たぶん、ほんとうにたぶんですが、私の愛を確信していたからでしょう。
そう思うと、私は少し心が静まります。
愛する人に見守られているということは、そういうことなのではないかと思います。
修らしい勝手な解釈ね、と節子が笑いそうですが、まじめにそう思っています。

とてもとても辛いのですが、私にはそういう状況はありません。
旅立ちは、早い者勝ちです。
まだまだフランクルの書は、私には救いにはなりません。

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妻への挽歌09」カテゴリの記事

コメント

佐藤様
今回の挽歌、節子さんの毅然とした態度に感銘を受けました。
同時に、妻の闘病中の態度を思い出しました。

妻は都内の癌専門病院に入院していました。
癌専門病院は地獄です。
多くの患者さんが死の恐怖に怯えていました。
泣き叫ぶ人、鬱状態になる人、見舞いに来た家族に八つ当たりをする人、多くの患者さん達が死の恐怖と闘っていました。

そんな中、僕の妻はどういうわけか、明るさを失うことはありませんでした。
よく話し、よく笑いました。
まるで何事もなかったかのように、自分が癌であることなど忘れているかのように、笑顔を絶やしませんでした。

2ヶ月間の闘病中、妻が泣いたのは二度だけです。
そのいずれも、「ぷーちゃんを残して死にたくない」と言って泣きました。
死の恐怖に怯えるよりも、残される僕のことを心配して泣いてくれました。

なぜ妻は平常心を失うことがなかったのか。
今回の挽歌を読ませていただいて理解できたような気がします。
節子さんは修さんの愛を確信していた。
僕の妻も、僕の愛を確信していてくれたからこそ平常心を保つことができたのでしょう。

今でも忘れられないことがあります。
僕は病室で、何度も妻を抱きしめました。
そのたびに、妻は言いました。「安心する」。
そして「私は幸せだよ」と。

自分を愛してくれる人が傍にいる。それだけで、人は死の恐怖をも忘れ去ることができるのかもしれませんね。

僕もいずれは死にます。
自分が死に直面した時、僕は妻のように明るく元気でいられるのだろうか疑問です。
僕を愛してくれる人は既に彼岸にいます。
僕が死に直面したときに傍にいてくれる人はいません。
僕は泣き叫び、醜態をさらすのではないか。

死ぬ瞬間を恐れる一方で、死が楽しみでもあります。
死んだら妻に再会できるかもしれない。

妻を亡くした瞬間から、僕は自らが死ぬ瞬間のためだけに生きています。

投稿: ぷーちゃん | 2012/04/29 22:51

連投すみません。
先ほどのコメントで、僕は死に直面したときに醜態をさらすかもしれないと書きました。
投稿した後、もう一度考えてみましたが、やはり笑顔で死んでいけるような気がします。
妻のいない生き地獄から解放される。
そして、ひょっとすると彼岸で妻と再会できるかもしれない。
そう思えば、死は安らぎです。

投稿: | 2012/04/29 23:21

ぶーちゃん
コメント、いつもありがとうございます。
お返しするのがすっかりおそくなってしまいました。

笑顔で彼岸にいけるように、お互い、しっかり生きましょう。
明るさを失わないように、

私も必ず彼岸では妻に会えると思っています。
ぶーちゃんにも、いつかきっと会えるでしょう。

投稿: 佐藤修 | 2012/05/27 09:31

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