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2012/04/07

■節子への挽歌1679:マリア・テレジアの後悔

節子
節子はシェーンブルン宮殿には行ったことがあるでしょうか。
私は仕事でヨーロッパに行った時に一緒に行った先輩と一緒に少しだけ立ち寄りました。
私には全くと言っていいほど興味のないところでしたので、あんまり印象に残っていません。

今朝、録画していたハプスブルグ家のマリア・テレジアのドキュメントを観ていたら、シェーンブルンが出てきました。
マリア・テレジアが思いを込めて改装し、自らもとても愛した宮殿です。
私の記憶には、見事な外観しか残っていませんが。
節子は2週間ほど、友人たちとヨーロッパ旅行に行っていますが、考えてみるとその時の話をほとんど聴いていません。
ですから節子がシェーンブルンに行ったかどうかさえ、記憶にありません。
私たちは話していたようで話していなかったのかもしれないと、ふと思いました。

マリア・テレジアが夫のフランツ・シュテファンと深く愛し合っていたのは有名な話ですが、ドキュメント番組の中でもそれが紹介されていました。
夫の死後、彼女はあれほど好きだったシェーンブルンには行くこともなく、ウィーンの宮殿で生涯、喪服で過ごしたといいます。
夫と死別した後の最初の結婚記念日も宮殿の寝室で一人喪服で過ごしたそうです。
そして友人に手紙でこう書いています。

私は、この記念すべき日をどこにも行くことなく、部屋で一人で過ごし、過ぎ去った幸せを思い浮かべています。
そして、その幸せをあまりに大切にしなかったと思いながら後悔しています。
テレジアにしても、そうだったのでしょうか。
幸せは失ってから気づくものかもしれません。
彼女はこの日に、自分の衣装もすべて周りの人にあげたようです。
そしてこう書きつづっています。
私がまだ持っていなくて待ち望んでいるのは、私のひつぎです。
テレジアは、その後、大きく変わったようです。
そして15年後に亡くなりました。63歳でした。
テレジアも、愛する夫と話していたようで話していなかったことを悔やんでいたのかもしれません。

話せなくなってからでは間に合いません。
もし話す相手がいるのであれば、悔いを残さないようにしてください。
話せば、変わることも多いですし。

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