■原発にとっての「地元」
ブログでは時々書いていますが、「問題」をどう設定するかで、その人の立ち位置や世界が見えてきます。
日本の学校教育は、問題を解くことを目指しており、日本人の多くは問題を立てるこが苦手ですが、主体性を持って生きるためには問題は自分で立てていくとが不可欠です。
日本人に主体性や自主性がないのは、あるいは家畜のように従順なのは、与えられた問題を解く教育のせいかもしれません。
たとえば、大飯原発の再稼働に関連して、「どこまでが地元なのか」という議論があります。
私にはまったく馬鹿げた問題設定です。
昨年の福島原発事故で、少しは認識されたのではないかと思っていましたが、相変わらず「お上の設定した問題」の範囲でしか、みんな考えていないような気がします。
要は、みんな自分だけの生活を守りたいだけで、結局は家族を海外にいち早く避難させたという東電の前の社長と変わりません。
原発には「地元」などありません。
原発を立地する時には、たしかに「地元」概念はありますが、「地元概念」が権力の支配のための常套手段であることはいうまでもありません。
権力にとっては、「地元発想」はまさに「分断」発想だからです。
まもなくおおい町と小浜市がいがみあい、福井と滋賀、大阪がお互いを非難しだすでしょう。
地元発想とは、そういうことです。
枝野さんの言動は、まさにそれを意図しています。
大飯原発が事故を起こしたら、滋賀や京都ではとどまりません。
福島がそうであったように、立地地域の住民だけが当事者ではないのです。
お金を貰うのは立地地域の人だけですが、被害は全世界、さらには未来の世代にも覆いかぶさっていくのです。
そんな想像力も持たずに、地元がどのこうのと議論している状況を見ているとやりきれなくなります。
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