■節子への挽歌1686:桜
節子
せっかくの桜が雨で散ってしまいましたが、わが家から見える山桜は例年のように見事です。
節子にも見えているでしょうか。
節子が病気になってから、私は節子と一緒に、一生分の桜を見に行きました。
弘前にも行きました。
節子は桜が好きでした。
一昨日、ユカと一緒に、ちょっとだけ近くのあけぼの山公園の桜を見にいきました。
節子がいた頃は、毎年、家族でお花見に行ったところです。
盛りは過ぎていましたが、まだまだきれいで、夕方でしたが、花見客もいました。
この公園にも山のように思い出がありますが、帰り際に日本庭園の入り口の駐車場を通り過ぎたときに、ここの桜が節子と最後に見た桜だったことを思い出しました。
あの時、節子はたぶんそれを感じていたのでしょう。
言葉が思い出せませんが、そんなことを感じさせる会話をしたような気がします。
わが家には鉢植えですが、2本の桜があります。
河津の桜としだれ桜です。
節子がいなくなって、手入れが不十分のためか、あまり元気がありません。
今年から少し庭の手入れをきちんとやることにしました。
来年は2本の桜も元気に咲かせようと思います。
桜は毎年、春になると咲いてくれます。
節子ではなく、桜に恋をすればよかったと、つくづく思います。
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