■脱原発と雇用のスラップな関係
前にも一度書いたことがありますが、「脱原発」したいが雇用の関係で原発運転は継続してほしいと思っている人が少なくありません。
そのため、原発の立地地域では、「脱原発か雇用か」という論議がなされているようです。
しかし、これは全くおかしい話です。
脱原発の選択が行われ、各地の原発の運転が止まったり、原発の増設がなくなったりするとします。
そうなったらそこで原発関係の仕事はなくなるのでしょうか。
原子力関係の技術者は不要になるでしょうか。
そんなことにはなりません。
原発は運転を止めたらそれで終わりではないのです。
脱原発していくために、原発の解体処理はもちろんですが、そこに残っている核燃料廃棄物をどうするかという重大な問題が残ります。
原発を安全に停止しても、その後、多くの仕事が発生するでしょう。
むしろ雇用は増えるかもしれません。
自動車工場を閉鎖するという話とは全く違います。
チェルノブイリ事故の対応でわかるように、膨大な仕事が残ります。
事故処理と平時の運転休止とは違うでしょう。
しかしプルトニウム処理で象徴されているように、原子力発電は開発途上の技術ですから、技術者が解決すべき課題は山積みのはずです。
発想を変えれば、原発立地地域にとって、脱原発で雇用拡大する可能性もあるはずです。
似たような事例では、八ッ場ダムが建設中止になると地域の経済は壊滅し、雇用もなくなるといわれました。
そうでしょうか。たぶんそんなことはありません。
仕事がなくなるのは、それに規制した汗しない人たちだけです。
つまり仕事の体系や構造が変わるだけです。
いささか抽象的に書いているので、あまり説得力はないかもしれませんが、仕事というのはビジョンや組み立てによって、いかようにも変わりうるということです。
脱原発したら雇用がなくなる、ダムをやめたら雇用がなくなるというのは、単なる恐喝に過ぎません。
裁判の世界にはスラップ訴訟というのがあります。
権力体制への異議申し立て行動をつぶすために、企業や政府などの優越者が起こす「恫喝・発言封じなどの威圧的、恫喝的あるいは報復的な訴訟」です。
私には、それのバリエーションのように感じます。
雇用という発想そのものが、そもそも「奴隷の発想」ですが、脱原発と雇用を同じ次元で考える過ちには注意しなければいけません。
脱原発で、脱雇用するくらいのビジョンが必要かもしれません。
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