■節子への挽歌1685:新車に変わったのですが
節子
わが家に新車がきました。
節子がいなくなってから、わが家の自動車はあまり乗る人もいなくなったのですが、もう10年近く乗っているので、エコカーにすることになったのです。
私は、自動車はもちろんですが、何かを買うことにはほとんど興味がないので、すべては節子任せでした。
節子がいなくなったいまは、娘のユカの仕事です。
私はほとんど相談にも乗っていないのですが、今日、新車が届きました。
そして節子が愛用していた、節子との思い出もたくさんつまったこれまでの自動車は引き取られてしまいました。
今朝、今日、新しい自動車が来る日だよとユカに言われました。
思いもしなかったのですが、それを聞いて、急にさびしくなってしまいました。
さびしいというか、むしろ悲しいような大きな不安感が心臓の辺りに浮かんできたのです。
どうしたことでしょうか。
もうディーラーの人が持ち去ってしまいましたが、胸の痛みは消えません。
なにやら節子とのつながりがまた一つ消えてしまったような気もします。
たかが自動車なのに、何ということでしょうか。
夫婦で一緒に育ててきた生活が変わることは、予想以上に心痛むことであり、さびしさに襲われます。
そんな経験はこれまでも何回かしてきていますが、今回の不安感は、これまでなかったことです。
思ってもいなかったことです。
まだ心は平安になれません。
そして、節子と4年間、あの車で病院に通っていたことを思い出しました。
最後の家族旅行も、あの車でした。
あの車は、まさに節子そのものだった気もします。
節子は、運転が好きでした。
もう一度、運転がしたいといって、最後の家族旅行ではちょっとだけ自分で運転もしました。
その車が、もういない。
おかしな話ですが、涙が出てきてしまいました。
胸の不安感は、なかなかなおりません。
節子が悲しんでいるのでしょうか。
新車にしなければよかったね、節子。
節子の運転の思い出が、昨日のことのように目に浮かんできます。
これもとても不思議なのですが。
でもこうして、だんだんと世界は変わってくのでしょう。
そして私もいなくなる。
そう思うと少しだけ心が落ち着きます。
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コメント
こんにちは~
いつも突然に申し訳ありません。毎日、読ませていただいております。
今日は、お車のことで…お気持がよく解ります。少しずつ故人に関わる物が消えていく寂しさ。
そして、私もいなくなる…なんとも言えない気持になりました。
私は、主人が乗っていた車に今乗っています。最後の最後まで、もうこれ以上どうしようもない所まで、乗
る積りです。守られている気がするんです。きっと、いつか、手放す時、佐藤様と同じ気持になると思いま
す。
今日は、近くの川沿いの桜を観に行きました。満開の木の上ではなくて、川を流れる桜の花びらを見ていま
した。花筏~
移ろいを感じました。桜が満開で、一見華やかそうですが、流れていく桜の花びらは寂しそうでした。
でもとっても美しい光景でした。花筏~日本語はいいですね。
全ての事は、移ろうのだと思いました。
ライム
投稿: ライム | 2012/04/13 16:49
ライムさん
いつもありがとうございます。
今年はようやくチラッとですが、お花見に行きました。
古い車の最後の日に、娘と一緒に、以前毎年行っていた桜の名所に行ってきました。
花筏
光景が目に浮かびます。
来年はきちんとお花見に行こうと思います。
投稿: 佐藤修 | 2012/04/19 16:31