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2012/04/02

■節子への挽歌1667:「永遠に続くと思っていた時間がなくなった」

「永遠に続くと思っていた時間がなくなった」。
先日開催した「自殺のない社会に向けて何ができるか」をテーマにしたフォーラムのパネリストをお願いしたKさんの言葉です。
このフォーラムで最後に私が話したことは前に書きましたが、この言葉はまさに私の思いでもありました。

Kさんは10年ほど前に伴侶を自殺で亡くされました。
その体験を語ってくれたのですが、そのなかで、夫との死別によって、永遠に続くと思っていた時間がなくなったと話されたのです。

「永遠に続くと思っていた時間」、たしかに私もそう思っていました。
医師からは「時間の問題」と言われていても、その言葉は心に入らず、明日もあるように思いつづけていました。
最後の最後まで、私は節子との時間は永遠に続くと思っていたことは間違いありません。
その時間が、終わってしまったことを、ある時に突然気づいて愕然とする。
でもそれが理解できないのです。
いまもまだ理解しきれていない自分がいます。
しかし、節子と一緒にやろうと思っていたことがもう出来ないことに出会うと、その事実を思い知らされます。
そしてそのたびに、「永遠に続くと思っていた時間」を前提に、私は生きてきていたことに気づきます。

愛する人との時間に限りませんが、人はみな「別れ」を意識せずに人と付き合っています。
明日もまた今日のようにあるだろうと、どこかで思っています。
そう思わないと、生きにくいからかもしれません。

相手との時間だけけではありません。
自分の時間もいつかは終わると思えば、生き方は変わるでしょう。
時々、そう考えて、身辺整理をしようと思うことがあります。
しかし、それは続きません。
残された時間では読めるはずもない書籍を買い込み、いつか整理しようと思っている膨大な写真や記録を保存し、明日も今日のようにある時間を前提に生活設計を考える生き方に、すぐ戻ってしまうのです。

「ずっと続くと思っていた家族と一緒にある時間がなくなってしまった」と話してくれたKさんは、だから、家族に限らず、その後は、誰かと一緒にいる時間を出来るだけ大切にされるようになったとい言います。
私も、最近意識しないままに、そうなっているような気もします。
一緒にいる時間を大事にしたら、もしかしたら、その時間は永遠に続くかもしれない。
そう思いたいですが、節子がいない現実の寂しさの前には、それは時として気休めにしかなりません。

時間はなぜ止まってくれないのでしょうか。

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妻への挽歌09」カテゴリの記事

コメント

永遠に続くと思っていた時間がなくなった。
とても共感できる言葉です。
僕が妻と付き合い始めたのが平成2年の春。僕が大学3年生の時でした。
平成3年から6年まで、千葉県の浦安市のアパートで同棲していました。
平成7年に入籍し、東京都の練馬区のアパートに引っ越し、平成13年の夏に今のマンションを買って引越ししました。
その間、約20年、僕は、そして僕の妻も、「二人で一緒にゆったりと暮らしていく」、「いつまでもこの幸せな時間が続く」と考えていました。
頭では「人はいつか死ぬ」と解ってはいましたが、実感を持って感じたことはありません。
死は、自分たちには無縁のものだと思っていました。
平成22年4月26日の月曜日まで、僕と妻は、「これからも幸せな日々が続く」、「明日も今日と同じように平穏な日々が続く」と信じて疑いませんでした。
この日、妻の癌が発覚しました。「いつまでも続く平穏な日々」がこの日を境に消えてしまいました。

妻の闘病はわずか2か月でしたが、この間、僕は妻の傍を片時も離れませんでした。
その2ヶ月間の時間の感覚は、それまでとは違ったものになりました。
「未来に向かって永遠に続く、一直線の時間」。妻が元気だった頃はそんな風に感じていたと思います。
妻の癌が発覚してからは、「今、ここ」を大切にしよう、「今、ここ」がすべてと感じるようになりました。「今、ここ」の一瞬、一瞬がとても愛おしく感じました。時間が過去から未来へと続く「直線」として感じられていたのが、妻の癌発覚と同時に、時間が「点」として感じられるようになったと言えばいいでしょうか。

妻が亡くなった後、「今、ここ」を大切にしようという感覚は消え去りました。
かと言って、「永遠に続く時間」という感覚が戻ってきたわけではありません。
妻が亡くなって、未来に希望を抱くということがなくなりました。

たった一つの望みは、一日も早く逝くこと。
妻と再会することです。

投稿: ぷーちゃん | 2012/04/02 22:01

ぶーちゃん
いつもありがとうございます。

遅くなってしまいましたが、コメントは繰り返し読ませてもらいました。
「今ここ」という時間も「永遠に続く時間」もない。
まさに同じ思いです。

余りに重なりすぎて、反応できませんでした。

投稿: 佐藤修 | 2012/04/19 16:11

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