■節子への挽歌1687:「生きにくい生き方」
節子
今日からフォワードカフェを始めました。
フォワードについては一度書きましたが、自殺を考えるほどに落ち込んだ人を元気づける意味も込めて、命名しました。
しかし、その後、その意味を広く捉えることにしました。
つまり、私自身も「フォワード」です。
7人の人が集まりました。
意外だったのは、そのうちの2人は40前後のバリバリのビジネスマンです。
私のフェイスブックの案内を見て、参加してくれたのです。
湯島のカフェサロンでの話は基本的に、その場限りのルールですので、あまり書けませんが、社会のあり方が実に具体的、体験的に語られました。
みんなとても「生きにくく」生きているというような話です。
そしてみんな自分を追い詰めていくわけです。
もっと素直に、自己主張して生きればいいのですが、それができないのが「大人」であり、「社会人」なのです。
そしてその状況が、子ども世界にも浸透しつつあります。
みんなどうして、そんなに「生きにくい生き方」を選ぶのか理解できませんが、そうした大きな流れから抜け出られないものでしょうか。
私は47歳で会社を辞めましたが、それができたのは、節子のおかげです。
「生きにくい生き方」から抜けようとした時に、節子は私に言いました。
「よくこれほど長くもったね」と。
会社時代も、私はかなり自由に生きていましたが、節子から見れば、私が自由に生きているようには見えなかったのかもしれません。
会社を辞めた後、節子は私のわがままな生き方を支えてくれました。
そして私は、自分が生きたいように生きることにしたのです。
節子も、私と一緒に、生きたいように生きるはずでした。
しかしまずは私の生き方を支えてくれ、そろそろ節子主役の生き方にしようと思っていた矢先に「がん」が発見されてしまったのです。
生きたくても生きていられなかった節子のことを考えると、とても複雑な気分です。
いまは節子の思いも含めて、「私たちが生きたいように生きること」を大切にしたいと思っています。
今の私の生き方は、節子がいてもきっとそうするだろうなという生き方に心がけています。
もう私だけの人生ではないからです。
節子
今の私の生き方はずれていないでしょうね。
時々少し不安になることがあります。
でもまあ、変えようがないのですが。
困ったものです。
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