■節子への挽歌1689:写経と読経
節子
私の知り合いの西さんは毎朝写経をされています。
それももう10年以上続けています。
たぶん節子は西さんには会ったことがないと思いますが、最初に湯島に来たのはもう10年以上前だったと思います。
その出会いで、私は強い印象を受けました。
スピリチュアリティを強く感じたのです。
たぶん西さんも、何か感ずるところがあったのでしょう。
長い空白期間もありましたが、最近また湯島に時々来てくださいます。
その間、お互いにいろんなことがありました。
その西さんが毎朝写経をされているお話を先月お聞きしました。
節子は時に写経をしていましたが、私はしたことがありません。
どこかのお寺に行った時にも、節子が写経している間、私は庭を見ていたほどです。
どうも写経という行為に心が向かないのです。
そういえば、読経もそうでした。
節子が病気になる前には、読経も出来ませんでした。
特に理由はないのですが、心が動かなかったのです。
心が動かないことはなかなかできないのが私の性分です。
困ったものですが、仕方がありません。
節子を見送ってから朝の読経は欠かしたことがないと思っていましたが、欠かしてしていたことに最近気づきました。
出張の時です。
西さんの話を聞いてから、たとえ自宅にいなくても般若心経を唱えようと思ったのですが、そう簡単ではありません。
先月、軽井沢でホテルに泊まりましたが、忘れてしまいました。
習慣化することも必要ですが、前に書いたように、私は「習慣化」が不得手なのです。
しかし、今度から出張の時にも節子の写真を持参して、朝のお勤めを守りたいと思います。
そういえば、節子は「お勤め」という言葉をよく使っていました。
節子も私と同じで、若い頃には写経には無関心でした。
いつの頃から、写経をしようという気になったのでしょうか。
人には「そうした時期」があるのでしょう。
私もたぶん、そのうちに写経をしたくなるかもしれません。
しかし今はまだ、写経するよりも心の中で読経しながら仏たちの顔を見たり、庭を見たりしているのが好きです。
読経も写経も、節子との回路を開く時間なのでしょうが、それがまだ私には実感できずにいます。
時期が来たら、私も写経を始めてみようと思います。
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